2014年3月15日JRダイヤ改正をまとめる。
さて、河北新報などの報道で「あけぼの」廃止が確定となっていた来年3月のダイヤ改正。
本日12月20日にJR各社から一通りプレスリリースが出始めています。
毎年恒例ですが、さっそくその概要をリストアップしてまとめてみましょう。<参考>
2008年3月15日改正のニュースリリースが来た! - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
いろんな意味でちょっと寂しいJRの2009年3月14日ダイヤ改正 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
2010年3月13日ダイヤ改正をまとめる - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
2011年3月12日ダイヤ改正まとめ記事。九州新幹線以外も面白いよ - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
2013年3月16日全国JRダイヤ改正をまとめてみる。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
JR東日本
夏のコミケは土曜日と日曜日に鉄道系で委託で出ています。
「ご利用状況に応じた持続可能な地域交通の実現」を訴えるJR西日本の中期経営計画
数日前から関西の大手新聞でちらほら報道されていたJR西日本の中期計画。本日、発表されたようです。
- JR西日本グループ中期経営計画2017
http://www.westjr.co.jp/company/info/plan/2017.html
前回の「JR西日本グループ中期経営計画2008-2012見直し」の期間が終わったんで、その続きの計画にあたるようです。
「私たちの使命」「地域共生企業」というキーワードで語る将来像。交通需要の減退、そして福知山線の事故。そこからどうやって次を見据えていくのか、という課題も含めて、いろいろと興味深いところもあります。株主じゃないんだけど、2030年度で連結売上高1兆4千億円ってまた大きな目標を掲げるよなあ、とも思ったり。
こういう計画書には、趣味的に興味深いポイントもあるんですよね。いくつか拾い上げてみたいと思います。
あれから6年。銚子電気鉄道の自主再建断念と不正経理問題と銚子市長選
昨日、銚子電気鉄道について新たな情報が飛び込んできた。
銚子電気鉄道(千葉県銚子市)は1日、東日本大震災以降の経営難から、自主再建を断念、地元の銚子市や県などに支援を要請していると発表した。
銚子電鉄:自主再建を断念、市などに支援要請 震災打撃毎日新聞 2013年02月02日
朝日新聞だと「銚子電鉄、自主再建を断念 副業「ぬれ煎餅」健闘及ばず」というタイトルになっている。「副業のヒット商品「ぬれ煎餅(せんべい)」の売り上げも、本業の利用客減少をカバーできなかった」と解説している。現社長は「東日本大震災で観光客が減少、本業の売り上げは大きく落ち込んだ」ともある。
そういった側面は確かにある。
- 電車運行維持のためにぬれ煎餅を買ってください!! 電車修理代を稼がなくちゃ、いけないんです。
との緊急アピールが銚子電気鉄道のホームページに記載されたのは2006年11月のことだ。
わずか10日ほどで1万件ほどの通販申し込みがあり、検査期限が間際となって休車の危機にあったデハ1001の検査費用1000万円を工面することができた。
- 会社をなんとかしたいという社員さんたちの熱意
- ぬれ煎餅のネット注文が殺到して品薄状態が続くことへの飢餓感
など様々な要因によって「ぬれ煎餅」→「鉄道会社の救済」という美談が語られてきた。
それから6年。ブームが一巡し、かつ観光客が震災以降に減った後、自主再建を断念し、自治体に支援を求めることになった。
過去に何度かこのブログでも取り上げた銚子電気鉄道再建問題とその周辺の話題、ここでもう一度、整理してみよう。
「自分の体験談」で文章を紡ぐと言うこと 〜「ヨソ者=『2級市民』」その後〜
先日、地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月という記事をエントリーした。その冒頭、
- ある地方都市に引っ越すことにした
- アパートの契約段階で、「共益費2000円+町内会費525円(●●ハイツ住民向け)」という文言を見つけた
- 従来からの住民は月額費不要だが、アパート住まいの周辺住民は払わねばならない、と不動産屋の説明を受けた
- 「区別」されているのが理不尽と主張すると、「僕がきちんと町内会行事に参加するなら大家さんと交渉してみる」とのこと。ただ、担うべき行事は町内会参加や掃除やなんやらかなりたくさんある
- 「すみません。わかりました525円、払います」
- 「オレって『2級市民』扱いかよ」……と釈然としないまま帰途についた
という個人的体験を書き連ねた。
住んでいる家屋の形態によって町内会費や役務に「区別」があるというのはおかしい。それが僕の不満の種であった。
ただ、その記事を読んだ知人から、体験談の記述の曖昧さの指摘を受けた。そして事実誤認の可能性も。
「えっ?」と調べてみると、確かに僕の理解自体に不十分なところがあった。町内会費の「区別」にもそれなりに意味合いがある。というか、まったく逆の解釈もできることも。
今回は前回の記事自体を検証するエントリーを書いてみたい。
地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。
事実誤認している箇所がありました。これから修正します。
2013.1.18
「自分の体験談」で文章を紡ぐと言うこと 〜「ヨソ者=『2級市民』」その後〜 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月に続きを書きました。
2013.1.21
185系「あかぎ」+200系「とき」。終焉近づく「新幹線リレー号」の旅、再び
さあて、前回の「上り臨時寝台急行「きたぐに」最後の旅。2013年1月上旬で「日本海」ともども運転終了っぽい - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」という記事の続き、というか前哨戦の話。
関西から東京へ向かう直前、長岡から京都まで「きたぐに」に乗って帰ろうとして寝台券をゲットした……というのが前回の話だったんだけど、2012年12月29日の夜、東京都内から長岡駅までどのような手段で移動しようか、というテーマも僕にはあった。
東京駅21:40発の上越新幹線最終「MAXとき353号」に乗れば長岡駅で接続するというのは時刻表でもわかる。E4系8両編成、帰省シーズンだけど空席はあるみたい。
でも、久しぶりに上越新幹線に乗るのなら、2013年3月ダイヤ改正で定期運行を停止する200系に乗ってみたい。
今から31年前に東北・上越新幹線の開業時に200系が登場したとき、趣味の人の世界ではあまり歓迎されていなかったんだよね。新幹線の運行開始と共に、「ひばり」「はつかり」「やまびこ」「とき」「はくたか」「まつしま」「佐渡」など181・485・165系などを使った在来線特急や急行が廃止されることも確定していたから。1982年6月、そして11月のダイヤ改正直前は上野駅での最後の姿を撮ろうとした小中校生が駅構内を走り回っていた、という。
ただ、関西在住の小学5年生だった僕は違った。200系新幹線の登場を今か今かと待ちわびていた。
一つには上野口の在来線にあまり馴染みがなく(1980年正月、上野のパンダの帰りにちらっと見た程度)、廃止される在来線特急や急行は惜しいなあと頭では分かっていても、今ひとつ肌感覚で分かっていなかった=新幹線開業に抵抗感がなかったと言うこと。そして、もう一つは、
「青より緑が好きだったから」