細田守と押井守。そして作画の話。

この夏最大のアニメ話題作、細田守監督作品「時をかける少女」。Yahoo!の映画評や各ブログなどでは大絶賛ですね。なんだか二十数年前の宮崎駿ルパン三世 カリオストロの城」公開数年後の状況を見ているような……

時をかける少女 絵コンテ 細田守

時をかける少女 絵コンテ 細田守

最近アニメ情報を見なくなって久しいのですが、小黒祐一郎の「アニメスタイル」(http://www.style.fm/as/index.shtml)でいろいろ紹介されていたので気にはなっていました。見たのは公開直後のテアトル梅田劇場でした。昼下がりだったので入りは半分ほどだったか。

で、いまさらなんですが、私もちょいとコメントを。キーワードは、「バリエーション(変奏)」と「押井・ビューティフルドリーマー」と「ラストシーンの作画」ってところで。

変奏し続ける映画

過去から現在、未来へと流れていくはずの物語が、途中、何度も巻き戻され、観客は真琴のドタバタの反復を微妙に違ったバリエーションで何度も見せられる。同じカットの反復ってのはギャグアニメの黄金パターンであり、一方で「アトム」以来のバンクシステムの悪夢をも思い起こさせてくれる……まあ、音楽の変奏曲ならともあれ、アニメとしてはちょいと安易な演出法と了解されている。それをあえて積み重ねつつ、微妙な差異をもたらすことで、本来、繰り返されるべきではない物の大切さを噛みしめさせてくれる。それは人生であり、青春であり、そして映画表現そのものであり……

ってのが初見での感想でした。パンフを見たらデータ原口も同じような解説をしているし、とりあえず妥当な意見なのだとは思うのだけど、これってスレたマニアな視線なのかな。

そして思い出していたのが、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」との類似点。

押井守細田も、バリエーションを多用したカット割りを続けることで、テレビアニメの演出法のパロディーを展開しつつも、「映画とは何か」を語ろうとしたわけですね。友引高校の校舎がシーンによって二階だったり三階だったりしていたのと同様、「時かけ」の随所で散見されたタイムパラドックス細田が意図的に仕掛けたのでしょう。途中で訳が分からなくなることも数々ありましたが、物語世界が混乱していくことを指し示す演出だった……と好意的に解釈しています。ラストの交差点のシーンも含め、ほかにも「ビューティフルドリーマー」とよく似たイメージは少なくなかった。ただ、押井のように音楽から何から徹底してしまうと、それは別な映画になってしまいます。細田のように一歩手前で踏みとどまるやり方の方が、大方の観客には親切だったと思います。

ラストで伸びきれなかった作画

ただ、惜しむらくは真琴が踏切へと自力で走っていくラストシーン。作画的にはもにょもにょな同作において一番力を入れて欲しいところなのに、ずーっとバストアップなんですね。

いままでロングを多用してきたのでアクセントを付けようとしたのでしょうけど、一生懸命走っているという風には見えない。セル画に汗や傷の記号が付いているだけで、キャラクターが汗を流しているようには見えない。せっかくワンカットで長回しをしているし、ここが映像的にはカタルシスになる部分にも関わらず、必死感が漂ってこないんですよ。「となりのトトロ」の夏のシーンを別格と神棚に上げるのはかまわないけど、最近でも「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」とかを見ている身としては、もうちょいなんとかできなかったのでは……と無い物ねだりをしてしまう。

スケジュールの都合で肝心のラストシーンで作画水準が落ちてしまうというのは良くあることで、「カリオストロの城」の時計台のあたりや「うる星2」のメビウスの輪のシーンもそうなんだけど、宮崎駿や押井はレイアウトや物語の構造だけで魅せきってくれた。そんな力業がこの作品にはなかった。なんだかエピローグで淡々としていたのは、映像面でのカタルシスがないままだったからかな。「ネットで話題になっていたけど、それほどでは」という醒めた感想が少なからずあったのも、そこらが一因なのかも。



とりあえず佳作だし良作だとは思うけど、名作の粋には達していない。ネットの世界で大絶賛されている程ではない。いや、良作なのは間違いないとは思います。でも、今夏、「ゲド戦記」が公開されていなかったらここまで注目されていたかどうか。

まあ、どうせなら細田守宮崎駿との話も続けたかったのですが、それはまた別の話。