高山本線と米澤穂信の故郷と代行バス。

katamachi2006-09-14

 先週末の9日は最後の「青春18きっぷ」を片手に岐阜県高山本線おりつぶしの旅に行っていました。この路線って、美濃太田以北の各駅に戦前からの木造駅舎がたくさん残っているんですよ。白川口、下油井、焼石、上呂飛騨小坂、久々野、飛騨国府、上枝……と。で、ほとんどが無人駅であるにもかかわらず、保存状態が大変素晴らしい。
 ちょうど焼石駅で30分ほど時間があり、徒歩5分の郵便局で旅行貯金をして駅に戻ると、おじさんが構内やホームの掃除をされていた。ちょうど暇潰しでしゃべってみると、JR東海から週に2回のバイト契約で清掃を担当しているらしい。「どうだい、きれいだろう」と自慢されていたのが印象的だった。だって、JR西日本のローカル線や無人駅の駅舎って蜘蛛の巣や虫の死骸だらけでベンチに座れないところだらけだから。改めて、JR東海ってローカル線にもきちんとケアしているんだなあ(海ってカネがあるんだなあ)と感心させられました。

高山駅には小鳩常悟朗も小佐内ゆきもいなかった。

 そして高山駅。ここって、今でも列車別改札をしているんですね。各方面行きの発車5分ほど前になると、改札に職員が立ち、集札を始める。それゆえに、高山駅前の広大な広場に百数十人の高校生が溢れかえっているんですね。北海道じゃないんだからホームに入線したらさっさと列車に乗せてしまえよという気もしますが、まあ古くからの方針なんでしょう。
 で、ここも相変わらずマナーがもにょもにょなのが多かったりして、「小京都今はいずこに」なんてため息も付きたくなりました。

 米澤穂信の出身地が高山市で、彼の著作『氷菓』にも『さよなら妖精』にも『春期限定いちごタルト事件』にもこの街のイメージがたびたび使われている。ってんで、そんな娘が一人でもいるんじゃないかと、1割ぐらい心の底で期待したのですが、当然ながら裏切られました。白人さんの個人旅行の方が一人いましたが、どちらかというと「プレイボーイ」に出ているような感じの方でした。マーヤとは別人格。無念。いや飛騨古川行きのキハ48には、小鳩常悟朗&小佐内ゆきっぽいの地味な2人が並んでいました。ふらっと移動するふりしたので顔を拝見したのですが。まあ、いいでしょうどうでも。現実はいつも期待を裏切ってくれる。
 で、その周りは「吉本に行きたいぜ」とかなんとか叫んでいる高校生がたむろして、本人たちは先鋭的だと思っているそのコントを飛騨古川まで聞かされ続けました。ぜひ大阪環状線では会いたくない人種です。今の高校生はこんな感じなんですね。そんな連中が排除されている文化系サークル歴16年という人間にとって理想の素晴らしい学校。それが、船戸高校であり神山高校なんですね。僕は現実より夢を見ることにしました。

高山本線代行バスに乗ったけど

 今回最大の目的は、角川駅と猪谷駅を結ぶ代行バスに乗ること。2004年10月の水害でやられたまんまなのですが、やはり木造の角川駅舎前には中型バスが乗っていました。高校生3人と18きっぷ客その他が11人乗り込んでいました。もともと狭い国道360号をゆらゆら走り、次の坂上(飛騨市旧宮川村役場)に20:20着。ここで猪谷から来るバスとの交換待ちを行い、20:29に発車します。
 そこから先が難路。国道ですら報告しているんだから仕方がない。ところどころ道から外れて、川床に仮設された橋を渡ったり、林道っぽい砂利道を抜けて、また仮設の橋……ようやく町中に来たと思ったバスの前をイノシシが横切ってブレーキ……。そして杉原駅バス停に到着。すごいですね。この飛騨市というか、宮川村は。その後も落盤箇所を迂回したりと予想を大幅に超える難路、悪路を通過していきました。対向車がほとんどなかったのが幸い。で、県境を越えて富山県側にはいると大きなトンネルがいくつも完成しているは、片道一車線がきちんと確保されているは……別世界です。
 正直、JR東海のやる気のなさにやるせないものがありましたが、現地に行けば分かる。これは特急「ひだ」接続の代行バスとか考えることだけでも無駄。1日4、5往復の代行バスも大変です。濃飛バスの運転士も現地での運転は久しぶりだったようで、同僚相手に「道間違えないよなあ」とほやいていました。というか、ここから岐阜県富山県とを結ぶ交流ってあまりなかったなんですよね。メインルートは神岡経由の国道41号なんだから物流面でも人の流れでも問題がない。ただ、高山線国道360号が被害をもろに受けただけと言うことなのでしょう。ああ、人の流れからしたら神岡鉄道を残した方が賢明なのに……って、高山〜神岡間が未成線になっているのに不可能ですね。
 2007年秋には復旧ということだけど、あと一年で間に合うのかな。