「鉄道ジャーナル」の合理化と閉塞感の話。

鉄道ジャーナル 2006年 11月号 [雑誌]

鉄道ジャーナル 2006年 11月号 [雑誌]

 今月も鉄道趣味誌を買ってきました。
 ここ20年ほどは「鉄道ピクトリアル」と「鉄道ジャーナル」の2誌を買うことにしていますが、なんだか「ジャーナル」って、本当にキツくなってきましたね。読んでタメになる記事がほとんどない。
 目次のタイトルを見ていて驚きました。社員を除いた書き手は、わずか7人になっているんです(お付き合いのJR東日本社員は除く)。種村直樹が、自身の降板の際、竹島紀元編集長の言葉として、同誌で合理化が進んでいる旨を漏らしていましたが、ホントうそではなかったのですね。

編集長の古い友人たちを使った誌面

 このうち久保敏と齋藤雅男は国鉄の元技師です。竹島紀元編集長の三十年以上前からの知り合いでしようね、たぶん。齋藤は86歳(今年で 以下同様)、久保も70歳代後半か。あと、今年から連載の始まった平野雅司は元日本民営鉄道協会の人ですか。あまり狙いが分からない文章です。
 久保と平野は1ページ程度の思い出話だけだし、齋藤のシリーズも台湾での回顧が始まってからは私の興味とはズレてしまった。
 秋山芳弘も国鉄OBです。54歳と若いのは意外でした。秋山の「世界の鉄道めぐり」はいい仕事をしています。これだけ海外物なのに写真が豊富なのも珍しいし、現地での資料や外書にもきちんとあたっている。地図やデータも正確だし、中国や欧州などメジャー所だけじゃなく、途上国の鉄道も網羅しているのが素晴らしい。鉄道趣味誌の海外記事って、単に海外で見たこと聞いたことを報告しましたってだけのが多いので、彼のような労作はありがたいと思います。あの肩書きだからこそ世界を飛び回れているということは分かりますが、確実に取材費は1円も出ていないですよね。ただ、惜しむらくは、鉄道マニアの間で海外記事の評価は依然として高くないこと。
 あと、海外鉄道好きなら、秋山が中心に編集された海外鉄道技術協力協会「最新 世界の鉄道」(ぎょうせい,1986)を買っていないのはモグリです。ぜひ、お手元に一冊を。

最新 世界の鉄道

最新 世界の鉄道

 さて、本題に戻って、残る社外ライターは鈴木文彦佐藤信之、そして塚本雅啓。
 鈴木は1956年生まれの50歳か。同誌に登場したときは20歳代半ばだったんですね。かなり驚き。彼は、この四半世紀の間、「鉄道ジャーナル」誌の「社会派」路線を質の面で支えてきた功労者と思います。とくに80年代、師匠の青木栄一らと行ったローカル線研究は今日でも十分な資料価値はあります。ですが、意外と趣味人の間では注目されてこなかったような。バスの人ってイメージが付きすぎたのでしょうか。
 佐藤は7年ほど前から突然、都市交通ネタで出現したような気がしていたのですが、佐藤信之.jp ●map-base RAILLINKS/世界の鉄道リンク集を見ると、その前歴がいろいろあったのですね。川島令三と違って、きちんと一次資料にはあたっているし、引用も参考文献も付けているし、幅広く調査されています。グランプリ出版から出されたのはたいてい買わせていただきましたが、確かに面白い。ただ、亜細亜大学経済学部講師とありますが、非常勤ですよね。いったいおいくつぐらいの方なんだろうか。プロフィールや著書紹介ではボカされているんですよね。何者なんだろう。
 塚本は元ジャーナル社員ですよね。何か事情があって離れて、またフリーとして戻ってきた。この方も59歳ですか。

社会派としても趣味誌としても中途半端な「ジャーナル」

 さて、「鉄道ジャーナル」の書き手について語ってきました。
 ここ5年ほど、海外記事を除けば、ライターの固定化が進んでいます。竹島編集長の古くからの知り合いと身内で固めているような気がする。同社がライターの社内化を進めているのは知っていますが、何か閉塞感が漂っているのですよね。同じ人間が何度も連投していれば自然と飽きも来る。本棚にあった2002年11月号と比べると、ページ数は8ページほど増えている(値段は80円up)のですが、メンツはほぼ同じ。松本典久が消えたのが目立つ程度でしょうか。
 社会派路線を行ったことで、脂ののった鉄道マニア(特に鉄道友の会系)の書き手を開拓するのを怠ったのも問題でしょう。やはり40〜60歳ぐらいのメンツにもう少し戦力が欲しい。読者投稿にあまり積極的ではなかったから(タブレット欄は...(^_^;))、新しいメンツも揃わない。一時期ルポの公募をしていたこともありましたが、その時の書き手は「旅と鉄道」の方で数人見かけるだけで、「ジャーナル」誌には誰もいない。竹島編集長の求めるレベルに達しなかったのでしょうが、ご本人の好き嫌いも激しかったような気がします。そのツケが今になって効いている。
 内容もどこかで見たような記事ばかり。雑誌としての新鮮さがない。「ピクトリアル」のようになれば、また別の意味でマンネリも意味が出てくるし、それもまた楽しいというのはよく分かります。でも、そこまでの潔さもない。
 趣味活動の面でも、研究をする面でも資料性があまりないんですよ。自分で文章を書くときに昔の鉄道趣味誌を引っ張ることが多いのですが、"社会派"と名乗っている割には、発行して数年後に参考にできる文章が少ない。列車追跡とかのルポはもちろん、特集記事も意外に使えないのですよね。現状報告ばかりだし、参考文献とか注釈がきちんとしていないから、後の世代が引用しづらいのですよ。秋山、鈴木、佐藤、青木らの文章は貴重なんですが、読者としての印象としては、なにか全体に埋没して目立たない。

迷走する「ジャーナル」の行き先は......

 雑誌に資料性まで求めるのは酷なのかもしれないが、「オレたちは鉄道趣味誌じゃない!」と意気込んでいた80年代の熱さが消え失せてしまったのは確かです。かといって、「ピクトリアル」のように老成したわけでもなく、評論誌や研究誌になれたわけでもない。鉄道趣味人としても、研究する立場としても、その存在が中途半端なんです。種村を切ったからといって何かが変わることも期待できない。
 それと、私は1991年のリニューアル以降の「Railway Topics」の資料的価値の高さを評価しています。「交通新聞」の文章とほとんど同じなときもありましたが、あそこまで詳細で多岐にわたっているといろいろ役に立ちます。鉄道趣味誌にとって時事の話題を集めた新着記事というのは最大の魅力だったわけで、特にあやふやな読者投稿に頼らなかった「ジャーナル」は質の面で競争優位に立っていました。雑誌発売日には書店へ行って、新聞などで手に入らなかったネタをむさぼり読んでいました。ただ、その最大のウリが、インターネットの普及によって失われてしまった。「ジャーナル」の迷走はそこらから始まっていると思うのです。

 本当は、この後、竹島編集長の話をするつもりでした。「こちらジャーナル編集室」のことですね。編集長のコラムのほとんどが数年前の文章を再録しているだけ……というのは読者を馬鹿にしているのか。鉄道員に文句を垂れる前に、「80年代から四半世紀にわたり築き上げてきた"雑誌編集長"としての誇を大切にしてほしいと思います」というのをまとめにするつもりでした。
 今日の日記は私的な感想であり、読み手にとっては別の印象を持たれている方もいらっしゃるでしょう。ただ、仮に、ここまで私の指摘してきた「鉄道ジャーナル」の閉塞感が現実にあるとするのなら、それはネットや読者の変化だけではない。編集長の責任が大きいと思っています。本人の好き嫌いや感情を外部に訴えかけている姿が、正直、見苦しい。それを指摘する人たちが周りにはいないのでしょうか。
 ただ、p.133を見て、気が変わりました。「出発直前に体調が優れず参加を取りやめた」のですか。今年で御年80歳になられていたのですね。
 今月号を見ても何かの可能性は見いだせませんでしたが、これからも惰性で買い続けると思います。それが趣味人としての義務です。たぶん、そういうことが趣味誌を甘やかしているような気がするのですが、それはまた別の話。