京都のLRT計画を巡る"いけず"な話

 京都人の"いけず"っぷりと言えば、思い出すのが、今出川通を走るLRT*1計画に関するシンポジウムのこと。 
 今年6月、京都市が主催で行われた今出川通の交通まちづくりとLRTというシンポジウムに参加したことがあります。京都北部の出町柳北野白梅町とを結ぶ今出川通LRTを敷設しよう!という運動がありまして、それが言い出しっぺの京都商工会議所だけでなく京都市や学者も巻き込んだ一つのムーブメントになっています。なんだかヨーロッパあたりでのブームに便乗しているような気もしましたが、こういう催しをきちんと地元住民向けにきちんとやろうという姿勢はそれなりに評価できるとは思います。自治体の施策って住民無視で勝手にごり押しするケースがたくさんありましたからね。
 それと、堅苦しい集まりに350人もとかの聴衆がやって来るというのも凄い。この手の集まりってヨソ者の鉄道マニアがかなりの割合を占めていてなんだか妙な雰囲気が漂っているのですが、ここの集まりは地元の方が中心でした。しかも参加者の質問内容を聞いていても、なかなか深いところまで考えている。京都市民の"街"というものに対する愛着というのがうかがえました。
 
 でもねえ。パネラーとして参加されていた地元京都の方が、「いかにも京都人」って感じの人だったんですよ。

「フランスのストラスブールのまちがでておりますが、今出川のまちとまったく違いますねえ。ああいう景色の中で走っておけばかっこうもいいんですが……」

と言わずもがなの一言。 この議事録のp.21を見ている限りは穏やかにも読めるのですが、シンポの前提をひっくり返すような発言に会場は凍り付き、司会役の学者先生の目は泳いでいました。東京出身と言うことで、いちびりな反応に慣れていらっしゃらないのでしょうね。
 昨年11月に開催された「みんなで考えよう 明日の京都のまちづくりとLRT」というシンポでも、やはり地元婦人団体の大御所みたいな方が主張する「地元の声」というのに議論が引きずられていました。それがまた皮肉たっぷりというか、やっぱりキツいんですねえ。その時の混乱を避けるため、6月のシンポでは、パネルディスカッションを2時間から1時間に圧縮して、パネラーの自由発言を抑制しようとしたのに……いやはや大変です。"保守的"とは一言でくくれない、独特のニュアンスがその2つのシンポにはありました。
 ヨソ者が、京都人の奥底にあるそうした"いけず"さを体感することってあまりないわけで、そうした意味ではなかなか貴重な機会を得ることができた......とは思います。
 でも、あんな状況だと、今出川通LRTが走るのは10年以上先のことになりそうな気がします。

*1:軽量軌道交通 まあ、21世紀型の路面電車とでも解釈してください。マニアや交通系学者、自治体の企画系の人の間では大人気のキーワードとなっていますが、一般の方の間ではほとんど知られていない用語です。正直、私もどのように定義すればいいのかよく分かりません。