宮脇俊三を語りたい。その2

2006-12-13宮脇俊三を語りたい。その1

 まず、「ネタの多彩さ」。彼の著作一覧を見れば、一目瞭然である。
 ほとんどの作品が鉄道紀行を対象としていることから、宮脇本ってどれを読んでも同じじゃないの……と誤解を持っている人が少なくない。でも、各単行本のテーマって、一冊一冊違うんだよね。これって案外凄いことである。
 単に売れることや楽することを考えたら、『時刻表2万キロ』と同様の国鉄ローカル線乗りつぶしネタを繰り返せばよい。事実、80年代にはそうした類書が山ほど再生産され、それなりに売れていた。
 でも、宗家本元の宮脇はそうした流れと一線を画していた。あるときは私鉄ローカル線、あるときはソ連紀行、あるときは終着駅探訪……と微妙に焦点をずらしていく。さらには、ミステリーや歴史紀行など、新ジャンルにも挑戦している。前作の二番煎じは潔しとせず……という真摯な姿勢、そして宮脇なりの自負がそこに見え隠れしている。
 次に「情報量の多さ」。
 宮脇の文章って、意外にも鉄道や沿線風景の描写が少ない。「風光明媚」だの「銀世界」だのといった紋切り型の言葉を繰り返しても、沿線風景の美しさを伝えることはできないし、マンネリズムを生み出すだけである。そんなのは旅行情報誌や写真集を見れば良い話である。
 その代わり、現場での自分の行動、そして心の動きをこと細かく記していく。たぐいまれな観察眼、そしてシニカルな物の見方。そこに宮脇紀行の真価が発揮されている。
 これって、ヘタするとただ旅先であった話を羅列するだけの「旅行日記」になってしまう可能性もある。そんな旅行記で本屋の書棚はいっぱいだ。
 でも、宮脇は、旅で出会う人や物、そして自分に対しても絶妙な距離感を保つ。そして感情を極端にまで抑制しながら、朴訥と語りかける。そのアンバランスさが読者には魅力的なのだ。

(ラストは→ http://d.hatena.ne.jp/katamachi/20061215)