【2】『満鉄全史 国策会社の全貌』

満鉄全史 「国策会社」の全貌 (講談社選書メチエ)

満鉄全史 「国策会社」の全貌 (講談社選書メチエ)

 ここ数年、再び「満州」をテーマとした本の出版が相次いでいる。ベストセラーとなった山室 信一『キメラ―満洲国の肖像 (中公新書)』(中央公論新社)あたりがそのきっかけとなった。ハルピンや大連に残る日本やロシア風の建築物を取り扱ったり、シンクタンクの先駆けとも言える満鉄調査部を取り上げたりするなどその対象も多岐にわたっている。
 中国への渡航が容易になった80年代前半にも満州に対する関心が高まった時期があり、その象徴となったのは南満州鉄道の「あじあ号」だった。『鉄道ジャーナル』など鉄道趣味関係でも積極的に取り上げられていた。ただ、その語り部となったのは、王道楽土や五族協和といった理想、あるいはその後に起きた悲劇を実体験した人たちであった。満州国という幻の国家への懐古と贖罪がごちゃ混ぜになっていて、後世の人間である自分には読みづらかった。
 最近の"満州本"の担い手はそうした体験者より二世代ほど下、戦争どころか戦後すら知らない層である。
 『満鉄全史』が類書と異なる視点を持ち得たのは、それが満鉄を軸とした経済史や人物像を描くのではなく、満鉄を取り巻く政策史を展開しているからだろう。南満州鉄道の"国策会社"としての側面に着目。その路線と権益が拡大していく過程に主軸を置き、満鉄本社や関東軍、外務省(領事部)、関東庁などの関連機関がどのようにたち振る舞ったかを豊富な資料で描き出す。
 "国策"と言うからには、本来、国の利益を最優先すべきなのであろう。ただ、満州の場合、それぞれの部局が別々の"国策"を強調するがために、内部対立が深刻化して組織の歯車が動かなくなる。それゆえに有効な戦略を打ち出せず、外圧によって瓦解してしまう。加藤聖文はその一点を問い直し続ける。
 そんな場面は、満州だけでなく、日本の近代政治史を振り返っても随所に見受けられる。いや、近代史の教科書の話題だけではない。他ならぬ現代においても"国策"を主張する論者や政治家は少なからずいるが、現代の日本と80年前の満州国。そこで訴えられている"国策"の本質は何も変わらないのではないか。そうした視座に立っているがゆえに、本書は満州という微妙な素材を取り上げつつ、植民地への懐古趣味に囚われず闊達にその歴史を語ることができたのだ。
 興味深かった指摘は、日露戦争後の1906年、ロシアから東清鉄道南部支線(旅順〜大連〜奉天長春間)の権益を引き受けた経緯である。この際、戦争の賠償として鉄道施設や関連する炭鉱、工場、付属地(沿線各地域の住民への行政サービスも担当していた)なども引き継ぎ、これを元に、日本・日系企業としては戦前最大の資本金を誇る南満州鉄道が誕生するのだが、それを「思いがけない余得」であったと看破する。戦争勝利による果実を誇りに思っていたとしても、それを大陸進出の"道具"としてどのように活用するのか、最初からデッサンを描けていなかったと。ここらも、バブル期の地域開発に踊った日本の自治体を見ているようで、胸が痛い。
 そんな優れた書籍だとは思うのだが、やや読みづらい点も少なからずある。豊富な話題を圧縮して一冊の本にまとめたからであろうか。説明不足の箇所が随所に見受けられる。
 たとえば、p.133に「満鉄にとっても満州国にとっても重要なことだった」という表現が出てくる。ただ、この前後を読み直しても、満州国が誕生したという文章はどこにもない。そんなことは自明のことだろう。そこらはニュアンスで感じてくれ。ということなのかもしれない。歴史的事象の紹介が時系列になっておらず、かつ整理されていないので話題を把握するのが難しい。あと、「満州」と「東北」の違いとは何か。本当に張作霖=中国なのか。そもそも、この時代の"中国"とは何を指すのか。なぜ朝鮮の話をしているのに、"韓国"なんて言葉が出るのか。そうした満州史を語る上で避けて通ることの出来ないキーワードについての配慮が甘い。
 またp.46以降、第3章にかけて、満鉄が鉄道網整備に着手しつつも、張作霖や中国、ロシアなどとの駆け引きに苦慮する描写が続く。バラバラの"国策"に満鉄が翻弄されていく、本書の最重要かつ魅力的な箇所であると思うのだが、ただただ地名と路線名が羅列してあるだけで表や地図が一点も挿入されていない。読者はp.4の地図を見て勝手に想像してくれと言うことなのかもしれないが*1、いきなり海龍とか洮南、撫順とか言われても、中国東北部の地図も把握している読者なんてそんなに多くはない。かなり不親切である。
 決して難しくないし、テーマの設定も斬新。大枠では面白く読めるのだが、細部の解説が難解だ。文章が難しいのではない。論旨が整理されていないのだ。少なくとも私の場合、一度、第二章のあたりで読むのを挫折している。文脈を追えなくて飽きてしまったのだ。入門書としてはどうかと思うが、そこを突破して三章や終章に行くと俄然面白くなる......とだけは言っておかねば。

*1:この地図も凡例が多すぎて複雑怪奇でかなり読み取りづらい。現在の中国名との対照もない