水害で不通になる前から悲惨な状況だった三江線で考えてみる。その2

 昨日の「水害で不通になる前から悲惨な状況だった三江線で考えてみる。その1」の続きです。

鉄道事故調査委員会の報告書で見る三江線の実態

 さて、三江線がガタガタになった原因はどこにあったのか。2004年6月にあった「三江線 川戸駅田津駅間 列車脱線事故」の報告書を見てみよう。http://araic.assistmicro.co.jp/araic/railway/report/RA05-4-3.pdf 作成したのは鉄道事故調査委員会。尼崎の脱線事故で話題になったという組織である。
 事実関係をまとめると、こんな感じか。

2004年6月22日16時50分、三江線川戸駅田津駅間(江津駅起点16k350m付近)で、川戸駅を出た453Dキハ120が、45km/hで走行中、80m前方に落石を発見。サイズは中サイズの段ボール箱ぐらい。非常ブレーキを使用したが間に合わず、列車は脱線。乗客27名及び運転士に死傷者はいなかった。半径300mの左曲線で、比較的急な斜面を切り取って敷設されていた区間。平均斜度45°の法面で、岩盤が露出していた。1週間前の点検でも異常は発見できなかった。カーブの直後の区間で、どこに石が落ちているのかあるのか気づくのは難しい。落石防止柵もなかった。

 報告書にある写真を見ていると、事故現場にはさほど切り立った壁面があったというわけでもないらしい。戦後に敷設された新線なら確実にコンクリートで法面を覆っていただろうが、開業時期が古ければ仕方ない。崖崩れの可能性がないとは言えない地点だし、柵を造る、コンクリートで壁面を固めるという予防策がとられていてもおかしくない場所なのかもしれない。少なくとも、調査委員会が指摘するように点検時には至近距離から壁面の調査もやっておくべきだった。
 で、落石事故の後、JRが行った対策というのが、

(1) 本件のり面について、H形鋼、ワイヤロープ、ネットなどを使用して落石止柵による落石防護工を施工(16k351m〜353m)した。
(2) 同種事故の再発防止を図るため、斜面の点検を行い、徐行箇所(63ヶ所)を設定した。

の2つである。その結果、2004年7月号の時刻表では江津〜石見川本間を最速51分で走っていたのが、同年10月改正で60分になった。表定速度は37.6kmから32.6km/hに落ちている。時速20km程度に減速するのなら落石をすぐに見つけられる。ぶつかってもさほど衝撃もない。現状のままで安全運転を行うには確実な施策である。

って……おい。JR西日本
 現場にわずか2mの柵を付けて、全線に渡って63ヶ所以上の徐行運転区間を設定したからって、落石事故に対する本質的な解決には繋がっていないよ。鉄道事故調査委員会もそれで納得してていいんかい。
 改めて報告書を読み返すと、同調査委員会は事故の状況と原因について調査をすれば良いことで、その対策については言及しなくてもいい。処方箋にすら触れていない。JRの施策の紹介はあくまでも「参考事項」に過ぎない。それ以上踏み込む権限が委員会には与えられていないと言うことだろう。
 となると、ホームページに記載されている報告書はその場限りでの「報告」に過ぎず、今後、他社や他鉄道に波及していくことはない。調査がフィードバックされ、関係者に共有されていないのだ。そこらは政治や官僚の役目であると割り切っているのだろうか。尼崎の事故に関する件で、同委員会に過度に期待する向きもあり、中間報告書では中途半端だとガッカリしている方、批判している方もいらっしゃるが、彼らには対策や処方箋を事業者に求める立場にはない。
 少なくとも三江線では2004年の落石事故による教訓は活かされず、2006年の水害を引き起こすことになる。戦前期に作られた線路規格の低いローカル線の保守点検というのは各鉄道事業者には重荷になっている。合理化で保線要員が極限まで減らされたからだ。
 特にここ数年水害での被害は頻発していて、大井川鉄道なんかも2003年に土砂崩れで金谷〜福用間が運休となり、全通には半年以上要した。大糸線高山本線越美北線などは地元の補助も受けて復旧工事をした(している)が、その歩みは極めて遅い。国鉄時代ならもっと素早く動けた。木次線芸備線なんてのはどうするの......と思う。これは明らかに保線に手を抜いてきた報いであろう。
 ちなみに、2004年の夏に因美線の郡家〜津山間を乗ったときも、それなりの雨が降った直後だったからか線内で時速10km近くまで徐行運転を行っていて到着が1時間以上遅れた。保線する要員がいないから最徐行で進まないとダメらしい。脱線しても被害は少なくということなのかもしれない。三江線ではその態勢を恒常的に適用していたというわけだ。
 そんな悪条件の路盤を放置したままだったのが、2006年夏の水害に繋がった……というわけです。
(もう一回続く)