「それでもボクはやってない」の見事なまでのミスリード。そしてボクが遭った痴漢体験

 周防正行の「それでもボクはやってない」。梅田の映画館で見ようと2回ほど足を運んだのですが、いつも満員で入れなかったんです。
 あちこちの媒体で周防監督が本作の要旨やテーマ、動機について語っているので、なんとなく本作を見たような気になっていました。まあ、もう映画館に行かなくてもいいかなとも思っていたのですが、チケット屋で前売り券を買っていたので、使わないと勿体ない。そんなわけで、2月18日にようやく見てきました。詳細は公式サイトで。
 いやあ、いい映画です。

途中で"物語"から取り残されていく体験

 主人公をやっている加瀬亮って「ハチミツとクローバー」の映画版に出ていた(未見)のは知っていましたが*1、あまり印象がなかった。その無個性なところが本作ではイイ味を出しています。特段、変わった人間でなくても、痴漢冤罪事件に巻き込まれる可能性があるということですよね。
 それと、大森光明裁判官をやった正名僕蔵という人。初めて聞いた名前ですが、大人計画の所属でまだ36歳なんですね。正義感に溢れていて、ある種、監督の代弁者的なんですが、途中で(以下、中略)。彼の描かれ方とセリフが意外と唐突だったので、「この人ってなんで出てきたのだろう」と一瞬、迷いましたが、いくつか感じた疑問点はパンフレットにあった「33の素朴な疑問Q&A」の"A18"と"A31"で解決しました。だいたい、ボクが思っていたのと同じ役割を監督は期待していたのですね。本作で一番のカギとなる人物です。
 あと、主人公の母親役の、もたいまさこ。ドラマ「やっぱり猫が好き」の恩田三姉妹の一人です。80年代末の毎金曜日の深夜、テレビにかじりついて毎週見ていました。老け役をやっていながらもまだまだ若い中堅女優と思っていたけど、もう54歳か。加瀬亮に負けず劣らず、木訥とした母親役を演じていました。息子を信じて、地道な支援活動を行って、そして……。多弁な弁護士や検察官が多い中で、あまりセリフも多くなく、目立たない役でした。だからこそその存在が際だっている。
 正直、裁判シーンは、言葉数が多い上にやたらと理屈っぽく、途中で退屈になってきます。
 なんだかんだ言っても本作をエンターテイメントですし、周防監督もかなり工夫はされています。裁判をテーマとする上で、裁判所でのやりとりが重要だと分かっています。ただ、ボンヤリと見ていると、セリフの中身を追っていけなくなるときもありました。弁護士たちが何を言っているか分からない。
 でも、そうした"物語"から取り残されていく過程って、裁判で被告として立たされる人間ならば少なからず体験することなんですよね。そうして、いつしか"物語"から取り残された観客たちは、加瀬亮演じる主人公と同化していくわけです。

東京高裁の痴漢冤罪事件と「それでもボクはやっていない」

 さて、本作のモチーフとなったのは、2002年12月に東京高等裁判所で無罪判決が出た痴漢事件です。逆転無罪、しかも痴漢事件ではあり得ない判決であったため、当時、新聞など各マスコミで話題になりました。映画の公開にあわせて、事件の当事者となった矢田部孝司氏の本も出されています。

お父さんはやってない

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それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!

それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!

 ある日、西武新宿線高田馬場駅を降りようとすると、女性に「この人痴漢です」と捕まれてしまう。その後、自分と被害者との身長差を示したり、実物大の電車の模型を造ったり、再現ビデオを制作したりして、自らの無実を訴える。2001年の地裁判決では有罪とされたものの、最終的に高裁で無罪を勝ち取っていく……(詳細は東京新聞の「痴漢冤罪 あなたにも疑わしきはクロ」とか東宝の映画トピックスとか)
 今回の作品でも矢田部孝司氏の事件は大々的にモチーフとして引用されています。ホームで捕まって駅詰所に連れられていく冒頭シーン(ロケ先は、通勤電車の撮影では有名な京王競馬場線の府中競馬場正門前駅だった)や同行室、留置場での体験、そして電車のモケットを造って無罪を立証しようとするシーンとか……
 この事件が周防監督の作品造りに影響を与えてきたということは映画の宣伝活動でもさんざん言われてきました。そして、冤罪事件や裁判制度の問題点を指摘したいという使命感があった、と。私を含めた観客の多くがその情報を共有しています。
 ただ、そうした現実の事件や周防監督の解説に対する予備知識をたくさん持っていればいるほど、途中で"物語"に裏切られてしまいます。木訥とした女子中学生。3人出てくる裁判官。そしてラスト……
 そこらのミスリードが見ていて気持ちいい。痴漢被害者や裁判官、警察官ですら悪者に描かれていない。ラストに快感もカタルシスもない。でも、現実とシンクロしつつもそれを相対化してくれたことで、重層的な感動を与えてくれるのです。

 ちなみに、矢田部孝司氏が被害にあったのと同じ2000年、パキスタンのクエッタってところへ向けて急行列車に乗っていたときのこと。ここはアフガニスタンの国境に近く、多くの難民で治安はよくないエリアなのですが、敬虔なイスラム教徒も多いところ。で、昼時、寝台列車の上段で昼寝を取っていると、なにか下半身に変な違和感を覚えたんですね。体を起こすと、イスラムの若い兄ちゃんがニヤニヤしながら手を引っ込めていました。うううう。生まれて初めての(で、最後にしたい)体験でしたが、やっぱ痴漢はダメですよ。そこらのことも書きたかったのですが、それはまた別の話。

*1:キューティーハニー」や「パッチギ!」、「硫黄島からの手紙」にも端役で出ていたんですね。