【5】「鉄子の旅 6」(後編)

katamachi2007-03-14

鉄子の旅全6集完結セット (IKKI COMIX)

鉄子の旅全6集完結セット (IKKI COMIX)

 一昨日の【5】「鉄子の旅 6」(前編)、そして鉄道マニアが求める"世界観"。そして物語の不在のリベンジ。今日こそマジメに語ります。
 中身は「菊池直恵の絵の巧さ」、そして「キャラ立ちした登場人物」です。

星里もちる高橋しん菊池直恵

 菊池の略歴を見ると、

 その後、断続的に読み切り作品、短期連載を描いて、2001年から「鉄子の旅」を「IKKI」でスタート......という流れになる。過去の作品についてはここのサイトが詳しい。
 師匠となる星里もちるの代表作は「りびんぐゲーム」。90年代初頭、まだ元気だった頃の「スピリッツ」を支える看板作品の一つだった。近作の「ルナハイツ」は安田美沙子主演で映画化されて、現在は第2弾が公開されている。あと、個人的な思い出だが、私が初めて同人誌の作成に参加したのは、知人の星里ファンサークルだった。星里は、後にMacで作画するようになってから画風を変えてしまったが、以前は、日本アニメーション世界名作劇場シリーズを彷彿させるような愛らしいペン運びが彼の作品の魅力だった。
 菊池の絵柄は、その頃の星里を彷彿させる優しい描線を兼ね備えている。また、ペンの入りと抜けにもクセがないから、特定のマンガ読みでなくても親しみやすい。その一方で、シンプルであるがゆえに、対象やキャラに決してのめりこまない。どこか醒めた第三者的な視線をも保持してくれている。そうした要素はエッセイマンガには不可欠だと思う。それゆえに、作中のキャラクターがエキセントリックな行動をしようが、毒舌や皮肉を吐こうが、その言動はあまり深刻には見えてこなくなる。個々のセリフはネームの段階だとかなりキツく見えるのだろうが、画になっていくことでそうしたイヤミが中和されていく。
 また、同じ「スピリッツ」などで活躍した高橋しんの影響もあるかもしれない。受賞作である「ポチ」を読んだとき、「いいひと。」に似たような作風だなあと思った記憶があるのだが、実際、高橋しん事務所のHPのここここを見ると、彼の元でも出向(ヘルプ)のアシスタントをしていたらしい。いま、確認すると、「最終兵器彼女 (7) (ビッグコミックス)」ラストのスタッフ紹介で「作画」及び「仕上げ」として菊池の名前がある。
 キャラ描写が師匠の星里と似通っているのに対し、鉄道関係の電車や駅のペンタッチは高橋の影響下にあると思う。画材がなんなのかは分からないが、シンプルで細い線は明らかに星里のタッチとは別物である。「最終兵器彼女」の北海道の風景を思い出す。そして、絵がうまい。きちんとパースペクティブという概念を捉えていて、消点があって、そしてデッサンが崩れていない。電車や駅はシンプルなのに、その周りの風景の書き込みは精密である。「鉄子の旅 6 (IKKI COMIX)」だとp.102の奥大井湖上駅、それと「鉄子の旅 (1) (IKKI COMIX)」p.152で2ページぶち抜きの押角駅。大ゴマの1枚絵でここまで見せつけてくれるとは……その画力だけでなく演出力も抜きんでている。
 過去にたくさんマンガやアニメで鉄道描写を見てきたけど、なんか我流でデザインを変えている作品ばかりで違和感を覚えることが多々あった。でも、菊池は、江ノ電や大井川や気動車や、そうした車両の特徴をきちんと押さえてくれている。鉄道マニアなら、ああこれはこの車両ね、と一目瞭然なように。他の読者にとってはどうでもいいことなのだろうが、そうした基本的欲求を満たしてくれたからこそ、この作品は成立したと思う。

「キャラ立ち」した登場人物の存在

 第1巻のp.27に、同作を読んだ友人とのやりとりを描いた4コマがある。

友人 おもしろかったよ! キクチ、才能あんじゃん!
菊池 そっかな−。
友人 とくに横見さん。あんなキャラよく作れたね。

 その後、「話を作ってるんだ。」と聞かれ、菊池は苦笑い...というオチになっている。
 このやりとりを見て、あの小池一夫の教えを思い出す。「子連れ狼」の原作者として一世を風靡した後、劇画村塾高橋留美子原哲夫など後進の育成にあたるのだが、その際、口を酸っぱくして言ったのが「キャラを立てろ」という言葉だ。ある種のマンガを描く際のカギとなる考え方として広く知られるようになった。
 小池本人がきちんとその意味を説明してくれてなかったので人によって受け取り方は違うが、近年、会話で使われる「キャラが被る」とかいう表現とは全く意味合いは異なる。マンガ家たちの間では「作品世界の中で(性格、絵柄、行動、セリフなどで)際立って見えるキャラクターを作れ」というニュアンスだと了解されているらしい。
 なるほど、本作で描かれる横見浩彦という人。マンガのキャラクターとして最強の部類にはいる。フツーの思考を持っている菊池や編集部員、ゲストたちとのギャップが際だっている。その現実離れをした言動を事細かに描き出し、ツッコミを入れるだけで、マンガになりうる。そして、一つのことに懸命に努力しているという人物とその行動は、その取り組み自体が良質のドラマになりうる(いや、本作の視点はちょっと違う側面にあるか)。
 ここで気になるのは、キャラクターの言動ははたして真実か否かということである。第1巻のp.27で菊池が「実話だよ。」と言いはなっているのでそういうものだと了解すべきなのであろう。ただ、駅に降り続けるとか、話題になっている鉄道に乗るとかいうことは、何千、何万という同業者もやっているが、他者が存在する前であそこまで演じてみせるのは......ちょっと考えにくい。作品を面白くするための演技であると思いたいが、「レールクイン」とか「鉄ヲタをブランド化」とかなんとか、もしかしたら素で言っているんじゃないのか。むかしオタキングこと岡田斗司夫も同じことをやっていたが、あれはポーズだったのに……。まあ、「とらのあな」の「NO COMIC NO LIFE」第45回:菊池直恵先生インタビュー の下の方に解答らしいのもあるが、それは読者がそれぞれで判断すればいいのだろう。現実と虚構が入れ混じっているところにも本作の魅力がある。
 とにかく、優れた画力と第三者的な視点を持つマンガ家が参加し、キャラ立ちした人物をメンバーとして手に入れたことで、読者が作品世界に取っつきやすくなったのは間違いない。それこそ、小池先生がジャンルよりキャラだと30年前から唱えていたことであった。鉄道とかエッセイとか新しい要素を組み入れてはいるものの、ある意味では、極めてオーソドックスなタイプのマンガとも言えよう。

最後に

 「鉄子の旅」のポイントをあと2つ付け加えよう。
 まず、連載していた小学館IKKI」編集部のアレンジの巧さである。最初に横見を"旅の案内人"として見つけたこと。続けて、あらゆる意味で対照的な菊池を旅に同行させて、「普通の思考回路を持った女性マンガ家が鉄オタを冷ややかに見守る」という構図を確立させたことである。第1話の取材から掲載まで4ヶ月もかかっているというのはなかなかネームが大変だったのであろうが、当初の「"旅の案内人"の手ほどきで鉄道旅行の楽しさを理解してもらう」という筋書きよりはこちらの方がよっぽど面白くなった。
 そして、宣材をたくさんマンガ専門店に並べたり、メディアへの露出の多いタレントをゲストに呼んだり、一生懸命、宣伝・営業活動に取り組んでいたのも好感が持てた。コミックス全6巻の累計は35万部発行となったらしい。編集長は江上英樹。むかし相原コージ竹熊健太郎の 「サルでも描けるまんが教室―青春コミックス (1) (Big spirits comics)」を読んだ人間なら、なぜこの企画が立ちあがったのかいろいろ推測はできる(特急「かいじ」の「JRまんが時刻表」ね)。
 それと、オタクと異性との距離感。たぶん、こっちの人間って、あっちの人間と、本作における横見と菊池のような関係性を結びたいんだねえ。相手は、一生懸命、趣味対象に取り組んでいる自分に対して、突き放したような冷たいような態度やセリフで嘆いている。でも、そんな自分を見捨てない優しさも兼ね備えている(と自分は信じている)。
 実例を挙げて説明することはもちろんできませんが、私の知っている範囲では、そーゆー人が多いです。とりあえず、菊池も、「思ってたよりは楽しかった」などの相手を認めるようなセリフを必ず各話の最後に付け加え、本音はともあれ、オタクを救済してくれています。この種の男女関係で一番有名なのは、あの庵野秀明安野モヨコ夫妻ですね。安野が庵野の日常を描いた「監督不行届 (Feelコミックス)」は、「鉄子の旅」の"その後"(あるいは実現しなかった夢)とも言える作品です。機会があったら、そちらもどうぞ。庵野Nゲージ500系好きで、山梨リニア実験線でのリニアーモーターカーの体験記もあります。
 ちなみに、第6巻のラストp.183。やっぱ那州雪絵ここはグリーン・ウッド」を思い出すのですが、それはまた別の話。