大糸線のキハ52を観光資源として活かしたい。

 久しぶりの自宅です。
 東北旅行の後、「日本海」で大阪駅へ向かい、5月1日は実家で泊。2日は高校鉄研の連中と三重県で郵便局巡り。続く3日は新幹線で東京へ向かい、4日は、今回でファイナルとなる東京のりもの学会(@浜松町 鉄道同人誌即売会)に知人のサークルで参加。続けて上野駅から急行「能登」に乗り、北陸に向かいました。
 で、5月5日の早朝、糸魚川駅に到着。今日の目的は大糸線の降りつぶしでした。
 切り欠きホームの4番線では2両のキハ52が待ち受けていました。

 先頭は朱色5号のキハ52-156。これが6:13発の平岩・南小谷行きの418Dとなります。そのすぐ後ろには、朱色5号+クリーム色4号のキハ52-115もアイドリングをかけて準備をしていました。これは6:33発の平岩行き422Dとなります。また、レンガ造りの機関庫の中には青色3号+黄かっ色2号(?)のキハ52-125が休んでいます。この3両を中心に大糸線の未電化区間の運用は回されているわけです。
 早朝でしかも逆ラッシュなのに、20分後に続行運転をする......というのは変な話です。422Dは平岩駅折り返し7:13発421Dのスジを設定させるための回送運転的な扱いなんでしょう。ならば418Dに連結して平岩駅まで回送してしまえばいいような気もしますが、ワンマン運転している上に、平岩駅は無人になっているため、連結器を解放するための人が誰もいない。そのため別々の列車として仕立てているのでしょう。

懐かしき朱色5号のキハ52-126の乗客は25名。

 今日の目的は大糸線で未乗降の駅を訪ねることにあります。信濃大町南小谷糸魚川間の山越え区間を最後に訪れたのは、国鉄分割民営化直後の1988年のこと。それから20年近くご無沙汰してきました。関西からは比較的近い場所にあるのですが、なかなか縁がなかったのです。
 さて、489系「北陸」が4:34、24系「能登」が4:40、583系きたぐに」が5:28、489系団臨が6:00(客扱いはしていませんでした)....と次々に夜行列車がやってくるたびに旅人たちが車内に集まってきます。その数、ざっと24人。その顔ぶれを見ていると、登山客6人、マニア6人、スキー客2人、釣り客1人、観光客(ちょい鉄)が7〜8人と行ったところでしょうか。てことは、地元の方らしい人は2〜3人てところでしょうか。
 発車ギリギリにキハ52-156の車内へ入るとボックス席もロングシートもすでに埋まっていました。席はまだ余裕があるような感じなのですが、それぞれかなり荷物が多いのでスペースがないんですよね。しかも、みんな夜行明けだから靴を脱いで仮眠モードに入っている。う〜ん、ここから立ちっぱなしか......と困り果てていると、数少ない地元の方が自分のシートの側に招き入れてくれました。
 列車は定刻6:13に発車。
 糸魚川の町から抜け出し、トンネルを抜けて姫川駅に着いたあたりから水田の中をコトコト走っていきます。田植えの時期を迎えてはいますが、まだ農作業には早すぎます。でも、その合間に三脚を構えて気動車を待ち受けているマニアさんたちが2組、3組......意外に多いです。GWだから集まってきたのでしょうが、5月なんでこの時間でも光量は十分なんですよね。
 やがて姫川沿いに南下しつつ、山あいへと分け入っていきます。根知駅あたりからは車窓の眺めも次第に険しくなってきます。う〜ん、いい風景だ。

 平岩には6:47着。ここでの13分間の小休止の間に、列車はそのままで番号が418Dから南小谷行き420Dに変わります。昔の時刻表を調べていませんが、かつてここで付属編成を切り離していたダイヤの名残なんでしょうか。次の北小谷駅からは長野県小谷村となります。大糸線で最後に完成した区間(開業は1957年)であり、1995年の水害で2年以上の運休を強いられた所でもあります。その爪痕が今でもあちこちに残っているというのが痛々しい。
 私は中土駅で下車。7:57発の423D(さっきのキハ52-156の折り返し)で北小谷駅に戻り、ここで1時間後の9:03発424Dを待つことにしました。その間、徒歩8分ほどの所にある来馬温泉(風吹荘)で立ち寄り入浴をしようとしたのですが、ちょうど清掃時間中であったため入れませんでした。別途、"道の駅おたり"にも温泉施設があったのですがこれも早すぎたようです。きちんと下調べしていけば良かった......

国鉄型車両というノスタルジーを一般層に訴求して行くには......

 そこらの計算ミスはあったとはしても、大糸線の未電化区間。本当に魅力的でした。ここ20年ものの間、ずーっと再訪してこなかった不明を詫びたくなりました。
 個人的には、別に国鉄型車両に関心があるというわけではありません。90年代になって増設されたバス用クーラーを付けているぐらいなら、新車の方がよっほどマシだ.....というぐらいの感覚です。
 でも、糸魚川駅から姫川沿いに窓を開けながら、DMH17によるオイルの匂いを嗅いでいると、何とも言えぬ旅情を感じます。ここ20年ほど、各地で奇抜な塗色がたくさんでてきましたが、やっぱ国鉄時代の塗色が一番、風景や線路にしっくり来ます。自分たちが旅先に求めているノスタルジーというのは、あくまでも子供の時の自分が見たかったものであるわけだし、国鉄型車両に思い入れをしてしまうのも、まあ当然といえば当然ですよね。
 まあ、JR西日本糸魚川地域鉄道部もそこらを見越した上で、キハ52-115とキハ52-125、キハ52-156を国鉄色に塗り直したのでしょう(キハ52-125の旧標準色には異論もあるようですが……)。運転計画についても、鉄道部のホームページでアップしてくれています。先週あたりから大糸線利用促進輸送強化期成同盟会が、オレンジカードと同サイズの"大糸線乗車記念証明書"の配布を始めるなどの運動を展開しているようです。
 でも、そうした小手先の動きだけでは、なかなか商売に繋げていくことは難しいと思います。鉄道マニアって意外に列車に乗らず撮影するだけって人が多いし、鉄道にも地元にもなかなかカネを落としてくれない。そもそも絶対数が小さい。でも、個人旅行を楽しむ一般層、あるいは団体旅行なんかの人たちもこの地に引っ張ってくれば、そして京阪神や首都圏地域の利用者が集まれば違った展開も可能だと思います。
 正直、近年のローカル線ブームの中心となっている五●線や木●線、肥●線よりは、大糸線の方がまだまだ"可能性"はありますよ。近くに白馬や立山といった大観光地を抱えるいるというのは大きな優位性です。そうした人たちを呼び込きちんと宣伝広報活動をやって、旅行会社と交渉していけば勝算はあります。わざわざリゾート列車やトロッコ列車の改造費用に巨額の資金を投じる必要もない。今ある"キハ52"という貴重な資源をそのまま活かしていくという選択肢は悪くない判断ですよ。南小谷を境として2つの会社に分かれているというのが、大糸北線部分がイマイチ発展しない障壁となっているのは事実ですが、中央東線大糸線への波及効果が期待できるJR東日本にとっても魅力的な話になると思うのですが。
 では、あと、どのような施策を展開すればあまく集客に繋げていけるのだろうか。まだまだ魅力的な施設はたくさん転がっています。温泉とかサイクリングとかトレッキングとか付加価値的な施設を整備すれば、餘部鉄橋に続く、大きなムーブメントになる可能性があるかもしれませんあと、大糸線キハ52にまつわる魅力と"物語"をうまく宣伝展開する必要もあります。たとえば、、、、
 ......なんてことを、北小谷駅での列車待ち時間にいろいろ考えてみました。
 もっとも、マニアたちが密かに愛してきた鉄道ネタが一般層の間でも注目されてくると、なんだか自分たちの土壌を荒らされたようで、複雑な気分になるというのも否定しません。特にここ1年ほどの餘部鉄橋フィーバーなんかを見ていると特にそう思うようになっているのですが、でも、それはまた別の話。<参考>キハ58・キハ52訪問シリーズ。