大阪市民の力を結集して2008年大阪オリンピックを成功させよう!

katamachi2007-05-18

 大阪オリンピックが開催される2008年8月8日まで、あと448日となりました。先日はJR大阪駅前の阪急阪神百貨店阪急梅田本店に巨大なスクリーンが設置され、そこで映しだされている数々のスポーツニュースは否応にも道行く人々の気持ちを高めてくれます。
 オリンピックにあわせた鉄道新線の建設も進んでいますね。

 今年2007年8月1日には、ついに大阪都営地下鉄中央線の新線区間(コスモスクエアオリンピア舞洲〜新桜島野田阪神間)が開通し、大阪都心と五輪のメイン会場となる"大阪はーとふる舞洲オリンピックアリーナ"の建設地、そして選手村が建ち並ぶ"大阪ゆめニュータウン"が鉄道で一直線に結ばれることになります。ユニバーサルスタジオ第2期工事地域へのアクセスも便利になります。
 続けて、10月には"北梅田ティー"の街開きにあわせて、大阪都民の悲願だった、なにわ筋線(新大阪〜北梅田〜新難波間)が開通します。もと湊町駅の地下に設けられた新難波には、すでにJR関西本線南海本線の電車が乗り入れていますが、それが新大阪まで延長運転を行います。そして、関空特急の「はるか」も新たに新線から新大阪、京都へと直通運転を始め、「ラピート」も北梅田乗り入れを始めることになります。南海が戦前より悲願としていた梅田乗り入れ(スタートは1950年代の西長堀線の免許申請に遡る)がついに実現するんですね。世界有数のハブ空港となった関空へのアクセスも飛躍的に向上する。
 この玉江橋駅に京阪中之島線(天満橋大江橋玉江橋間)が乗り入れを始めるのは12月から。京都市内や北河内地区から快速急行と準急が直通してくるとダイヤの発表がありました。もう一つ、期待の大きかった阪神西大阪線の難波延長線(西九条〜難波間)の開業は、用地買収の遅れもあってオリンピックには間に合わないようです。2009年春の開業となる見込みと新聞報道がありました。
 でも、こうした新たな鉄道新線の開業によって、都心の大阪31区各地に分散されているオリンピック施設の相互連絡はかなり改善されるのは確かです。道路交通の慢性的な渋滞に対してオリンピック委員会から再三のクレームがあったと聞き及んでいますが、それもある程度は解消されそうです。まだ都営大阪モノレール線と地下鉄線の連絡設備の改善とか、大阪31区内に乗り入れる私鉄線やJR線との運賃通算化交渉など問題は山積ですが、とりあえず世界各地からのお客様を迎え入れる準備が整ったわけです。

大阪都営地下鉄なんて夢物語が実現する前提としては......

 なんて言う妄想を、現在作成中の同人誌「鉄道未成線を歩く4 大阪市交通局編」(仮題 発行未定)用に「大阪都営地下鉄路線図(2008年版)」というのをシコシコ作成しながら考えてみました。こういうのは小学4年生だった25年前から考えるのが得意でした。実現する可能性がないというのは当然承知していますが*1、夢見る世界を描き出してみるという作業も楽しいもんです。
 その前提となる条件は、

  • 戦前から1950年代にかけての六大市の財源・権限移譲を巡る議論の中で、大阪市大阪府が合併して「大阪都」が誕生する。都内の区は旧大阪市や旧堺市域の31区。(現実には1956年に政令指定都市となる。大阪市大阪府の関係が悪いのは、ご承知の通り。府庁が国の出先機関であった、そして大阪市が国内最強の自治体だった大正時代から延々と続いている。)*2
  • 1958年に出された都市交通審議会答申第3号をもとに、運輸省が1959年に免許した地下鉄線が全て開業する。(実際は郊外部分など実現していないのが多い)
  • なぜか、大阪都は60年代から90年代にかけて異様な経済発展を遂げ、しかも公共交通機関優先主義施策を取ったため、1963年や1971年、1989年に都市交通審議会や運輸政策審議会が答申した新線計画が実現してしまった。(現実には、以下略)
  • 2001年7月のIOCモスクワ総会で、2008年夏季オリンピックの開催地に大阪が選ばれる。(現実に大阪市が得たのはわずか6票。候補都市での中で最下位)

ていうところです。
 いやあ、でも「大阪オリンピック」が実現するなんて、誰が本気で考えていたんだろう。
 ここらの誘致運動が大阪市主導で展開されていた時期、私は大阪市が経営する大学にいて、大阪市の関係者から漏れ聞く逸話や愚痴を聞く機会がたびたびありました。出身大学で別学部の教授をしていた人が大阪市長になったんで、そこらの裏話もたくさん集まりました。いやあ、なんとももはや。表向きはともあれ、大阪市役所も市議会議員も地元経済団体もマスコミも誰もかれも、大阪にオリンピックがやってくるなんて誰も信じていない。じゃあ、なぜ誘致運動をやっていたのかと言うと、(中略)。
 いつだったか、大学の学部の集中講義に市長さんご本人が現れたんですね。とりあえず見物に行きました。で、彼は大阪オリンピックの意義なんてのをとうとうと語るのですが、全く中身がない。この人、ほんの10年前まで、うちの大学で教壇に立って日本の物価構造論とか市場経済について語っていたらしいんだけど、ホンマかいな?? チャイムの5分前に講義を終えて(ここらは往年の大学教授っぽい)、市役所や大学の取り巻きと談笑している姿に溜息をつきつつ、教室を後にしました。8年ぐらい前の思い出です。
 で、そんな「大阪オリンピック」構想の遺物とも言える。大阪トランスポートシステムの北港テクノポート線。今でも、オリンピックが開催される予定だった2008年度を目標として粛々と工事が進められているらしいです。もう五輪は来ないのに、完成しても誰が乗るんかいな......って、ウソの様なホントの話。

大阪都営地下鉄、全10路線の設定資料(by自治体官僚と私の妄想)

 さて、もう一度、妄想ネタに戻ります。
 細かに路線の設定を説明することはできませんが、概念は以下の通り(答申とか免許とかの話については、「鉄道未成線を歩く」を読んでください)。駅名とかは私のオリジナルですが、もともとは大阪市大阪府などが主張し、各審議会が答申した鉄道計画に基づいたルートをベースにしています。どちらかというと、官僚さんたちの妄想をシミュレートした形になります。

 大阪万博にあわせて建設された北大阪急行区間についても、もちろん都営地下鉄が運営。あと、箕面市萱野への新線構想(89年10号答申)も完成しておきました。

 守口・大日から寝屋川市高槻市方面、八尾南から藤井寺方面への新線構想は71年の13号答申、89年の10号答申なんかでもありました。あと、都心部分では、現在、中崎町駅から東梅田駅を経由するルートを辿っていますが、もともとは中津駅から梅田駅に入る予定になっていました。1990年に御堂筋線梅田駅の改良工事に転用された「幻の谷町線梅田駅」ってやつですね。

 西梅田北梅田〜十三間の延伸工事の準備は60年代にされていることにしました(ゆえに阪神線やJR線との交差問題も解決済み)。で、阪急から新大阪線部分の免許を継承していて、淡路までの延長線も完成済。南部分では、住之江公園堺駅までの未成線区間(59年に免許)が完成した上に、堺市が70年代から検討していた「堺市営地下鉄」(現在のLRT「東西鉄軌道計画」の原型)も新金岡まで完成したことにしておきます。

  • 中央線

 59年の免許時点の予定通り、深江橋から放出に乗り入れていることとしておきます。あと、荒本経由で瓢箪山へ入るというのは63年の7号答申であったプランです(近鉄東大阪線けいはんな線の原型)。荒本〜瓢箪山間は近鉄が建設する手はずになっていたのですが、そこらも大阪都営地下鉄に任せておきます。代わりに、近鉄には登美ヶ丘への建設を担当してもらいます。大阪港から海側に関しては、大阪トランスポートシステムの北港テクノポート線コスモスクエア〜新桜島(桜島駅の1kmほど北側。USJ絡みでJR桜島線が延伸する構想が90年代半ばにあった)間が予定通り完成した上で、北港通沿いに野田阪神まで完成したと言うことにしておきます。

 これも59年の免許時点の構想通り、野田阪神神崎川南巽〜平野(本来はJR平野駅が終点だったが、63年7号答申では千日前線が平野から平野区内に乗り入れるルートも答申されていた)は完成してもらいます。弥刀とか奈良県内とか伊丹空港とかに乗り入れる構想はさすがに無謀なので割愛。

 63年7号答申では、あべの筋経由で杉本町から中百舌鳥に乗り入れるプランもあった。諸事情により中止になったが、これを踏まえた上で、天下茶屋乗り入れではなく、杉本町に延伸させている。北側は、阪急千里線区間である天神橋筋六丁目〜淡路間も堺筋線に組み込まれた......と言うことにしておく。

  • 長堀線

 長堀鶴見緑地線というのは長すぎるので改称。89年の10号答申で示唆された大正〜鶴町間は完成したことにしておき、また門真南から交野市方面の延伸構想についても、第二京阪道路の地下部分を活用して門真市巣本までは実現したという設定に。なお、京橋〜心斎橋間は、現在、森ノ宮・玉造経由となっているが、90年代前半、大阪府大阪府庁経由にするよう要請していた。天満橋谷町線と連絡できれば便利だし、大阪府、いや大阪都案を採用することにする。

 とりあえず今里から湯里六丁目までは完成させておきました。東住吉区生野区の皆さん、安心してください。あと、北側は、89年の10号答申の予定通り上新庄まで延伸したことにしておき、そこから井高野へ伸ばすことにした。東淀川区の方たちもそっちの方が使いやすいでしょう。 

 ついに新大阪〜新難波間が完成しちゃいました。新大阪では東海道本線にもちろん乗り入れ。あと、新難波ってのは今のJR難波駅ということにしておき、その南側で新今宮方面へ向かうJR線、そして汐見橋線方面へ向かう南海線に分岐すると言うことにしておきます。

 89年の答申10号で、住之江公園〜湯里六丁目間の「敷津長吉線」というのが登場しています。長居公園通の地下を走るリニアタイプの小型地下鉄構想です。でも、もともと大阪市は70年代初頭に新交通システムをこの区間に敷設する構想を持っていました。ならば、南港へ行っているニュートラムと一緒くたにしてしまえという感じです。

 大阪市内交通一元化の中で、南海軌道線や阪神軌道線、新阪堺線大阪市電に吸収されています。で、旧南海平野線は谷町線、旧南海上町線は堺筋線建設の際に廃止されています。旧阪堺線は90年代に近代的路面電車への再生を果たし、近年は低床のLRV車を導入するなど、LRTに準じた新時代の交通機関へと変貌を果たしています。......ここらは史実?に基づいた設定なので、阪堺好きのAくん。すみません。

 現在は大阪府と在阪大手五社・金融機関が出資する第3セクター鉄道ですが、もちろん「大阪都営」ということにしておきます。門真〜堺市内間の構想は71年の13号答申(89年の10号答申)で登場しています。昔の「近鉄堺線」(古市〜堺間。1990年に免許失効)、「南海八尾線」構想を引き継いだ物ですが実現する気配すらない。とりあえず、新金岡で"堺市営地下鉄"じゃなくて、四つ橋線と連絡させておくことにしておきます。

と、膨大な設定を考えているのだけど……

 もともと、これらのネタ話は、先に述べた「鉄道未成線を歩く4 大阪市交通局編」(仮題 発行未定)の巻末用に準備したんです。でも、昔、「2000年完成予定」とか書いたんだけど、本を編集する時間と気力がなかったりしてもう7年も先延ばしになっています。いつになったら続編が完成するのかと問い合わせもあったりするんですが、全く目処は立っていません。未成線をネタにした本なのに、本の刊行自体が"未成状態"になっているんです。もう、このシリーズの存在を忘れてしまった人も多いんだろうな。
 そろそろ大阪五輪の開催年も近づいてきたし、完成させないとマズイぞと思ったりもしているのですが、それはまた別の話。
関係日記
=2007-08-29なにわ筋線について語ってみるぞ。
2007-07-17大阪港トランスポートシステム・北港テクノポート線を歩く その1
2007-06-28大阪圏における新線鉄道構想50年の歩み 1大阪公営系
2007-05-18大阪市民の力を結集して2008年大阪オリンピックを成功させよう!
2007-02-26梅田北ヤード開発計画にまつわる梅田貨物線と阪急新大阪線のプロジェクト5題
2007-02-22堺市東西鉄軌道事業ってホントに推進するの?
2006-12-09今里筋線建設までのウンチク。

*1:と、予防線を張っておかないと、某氏みたいに無い物ねだりを言っているんだろと勘違いする人たちが、少ないながらもいらっしゃるんですね(^_^;)

*2:もっとも、大阪市は、政令市以上の権限を持ちうる自治体"特別市"になることを戦前から夢見ていたわけです。1970年頃までは、「大阪市>>>>>大阪府」って感じだったのも事実。万博以後はもう少し府と市の格差は縮まった。ただ、大阪市が完全に自立してしまうと干上がってしまう府庁、そして国が強硬に反対して実現しなかった。で、"大阪都"ってのは、大阪市に対抗するため大阪府の方が主張しだした言葉。二重行政を解消するため、大阪市大阪府を一体化すべきというのがその論旨だけど、主導権はあくまでも府庁の方にある。だから、市営地下鉄のネタでやるにはちょっと微妙な表現になる。もちろん実現すると、「大阪市」なんてのは消えてしまうわけで、「大阪市民の力を〜」というタイトルも変なのだけど、まあそれはそれ。大阪市の在り方を巡る、1920年代と1950年代の大阪市VS大阪府・国のパワーゲームはいろんな意味で興味深い。例の大阪市営交通一元主義、あるいは吹田や守口、布施、八尾なんかの自治体を合併して"大・大阪市"になろうとしたのもその名残。その理論的構築をしたのが、今の一橋大から大阪市長に転身した関一。今の市長のおじいさんです。取り巻く環境が激変したにもかかわらず、そんな華やかな時期のプライドだけが肥大して変になってしまったのが80年代以降の大阪市。市も府も身分不相応なプロジェクトを矢継ぎ早に打ち出して自滅していくのですが、それはまた別の話。