【6】「ダルマ駅へ行こう!」

katamachi2007-05-22

 この5月、駅の訪問をテーマとする本が3冊刊行された。貨車など鉄道車両保存運動で名をはせた笹田昌宏 「ダルマ駅へ行こう! (小学館文庫)」に、 鉄道ジャーナル誌OBのきしゃ旅ライター松尾定行ローカル線各駅下車の旅 (ちくま文庫)」(ちくま文庫)、そして高校で講師をやっている旅行作家の野田隆「新書374駅を楽しむ! テツ道の旅 (平凡社新書)」(平凡社新書)。このうち、松尾と野田の2冊は、先行するビギナー向け鉄道入門書の域を脱していないためコメントは割愛。ここでは、笹田の作品を取り上げてみよう。

ダルマ駅へ行こう! (小学館文庫)

ダルマ駅へ行こう! (小学館文庫)

 タイトルである"ダルマ駅"とは、かつて貨物列車に繋がれて線路の上を走っていた車掌車などの貨車を改造してつくられた駅舎のことを指す。貨車マニアである笹田が全国に残っているダルマ駅を訪問した、その記録をまとめたのが本書になる。文庫用の書き下ろしで、ラストには敦賀市に造ったという貨車改造の別荘の建設までの経緯を示した文書も掲載されている。
 このダルマ駅という言葉は旧国鉄で使われていた業界用語ではないし、鉄道趣味誌などでも見かけたことはない。ネット社会での隠語なのか笹田の造語なのか。そこらは不明である*1
 著者の名前がマニアの間で知られるようになったのは、「加悦鉄道保存会」での精力的な保存運動が世に認められてからで、その後、1999年に設立されたふるさと鉄道保存協会の理事長を務め(現在は退任)、鉄道車両の保存団体として精力的に活動を続けてきている。
 また、以前から廃線ネタや保存車ネタなどで断続的に鉄道趣味誌への投稿を続けており、商業本では「全国トロッコ列車 JTBキャンブックス」という岸由一郎との共著がある。初の単著となる「「ボロ貨車」博物館 出発進行! マイロネBOOKS」は、彼が鉄道車両の保存運動を展開していく中での見聞を集めた体験記で、ルポとして楽しく読めるものになっている。また、読売新聞大阪本社が制定した「第10回 旅のノンフィクション大賞」で大賞を獲得。受賞後の初作品が「ダルマ駅へ行こう!」になる。

ダルマ駅はそもそも旅行派マニアに歓迎されていなかった

 もっとも、この貨車を改造して造られたダルマ駅。本書では指摘されていないが、鉄道旅行派のマニアの間ではあまり評判は良くない。
 これらの駅舎が建設されたのは国鉄末期からJR初期にかけての80年代である。その背景には、緊縮財政で駅舎の建て替え費用を確保できなかったこと、そしてCTC導入による合理化で駅の無人化を進めたことがあった。乗降客は減っているし、今までの立派な建屋は必要なくなったのだ。そこで、築何十年も経った今までの駅舎を潰し、その代わりに車掌室を改造した"小屋"を設けた。ヤード系貨物の廃止で何千両ものの貨車の廃車が出ていたし、工費は何百万円程度に抑えることができる。一石二鳥だった。
 でも、鉄道マニア、特に旅行系の人間にとっては歓迎できる代物ではなかった。初めてダルマ駅を見たときはその安っぽさと手抜きぶりにいろんな意味で感慨を覚えたものだが、そのうちに彼らと出会うと憂鬱になった。


 上は宗谷本線雄信内駅(おのっぷない)。下は同じ宗谷本線の安牛駅。さて、この両者。どっちが見ていて楽しいか。著者には申し訳ないが、どー見ても雄信内の駅舎の方が旅人には魅力的だ。ホームを行き交う利用者を何十年も見守ってきたいう歴史性もさることながら、レトロ感、機能美という点でも旧来型の駅舎はたくさんの情緒を兼ね備えている。
 北海道に行くと、以前はこうした趣のある木造駅舎をたくさん見かけることができたのだが、JR北海道が誕生した後の1990年前後、宗谷本線や石北本線根室本線などから次々と消えていった。代わりに設けられたのが車掌室改造のダルマ駅である。"新築"されたとは言え、建物は小さいし居住性は悪い。あきらかなサービスダウンである。見知らぬ駅との出会いを求めて列車からホームに降り立っても、往年の駅舎は撤去されていて、ただただ貨車改造のダルマ駅が一つ置かれているだけ。旅情もへったくれもない。ローカル線の小駅に対する、JRのやる気のなさが滲み出ている。そうした施策が、旅人にとっても、そして地元利用者にとっても愉快なはずがない。かつての鉄道マニアは、SLブームの時、蒸気機関車を駆逐した犯人としてDD51などのディーゼル車を忌み嫌ったものだったが、それと同じような構図がここにはある。
 まあ、このように鉄道旅行マニアはダルマ駅に対して微妙な感情があったりするわけだが、それはまた別の話。本書の評価とは別次元のことである。

ダルマ駅に対する愛おしさを文章で表現して欲しかった

 さて、著者がダルマ駅という一つの鉄道に対する楽しみ方を提示したことで、鉄道趣味の世界にまた一つ新たなジャンルができた。鉄道好きの人々の関心の幅が広がることはいいことだ。そもそもポストモダンにおける文化理解というのは、大きな物語から外れた微細なズレを把握することにあったのだし、オジギビトとかレトロ看板とかマンホールの蓋とかそうしたキッチュな異物を楽しむ本でサブカルの書棚はいっぱいだ。
 ただ、世間で誰にも知られていないダルマ駅という存在を文章で紹介する場合、「なぜダルマ駅舎というのは素晴らしいか」という理由をきちんと説明しなければならない。あるいは突き抜けたセンスと文体で読者を無理矢理に虜としていくか。でも、著者は「ダルマ駅は愛らしい」ということを自明のこととして駅の訪問記を書き連ねていく。「なぜ」の部分に対する説明がない。鉄道マニアならその間に自分なりの体験や物語を付加させて読み取ることもできようが(ゆえに私はダルマ駅と木造駅舎の関係を上に記した)、一般の読者には取っつきにくく、やや不親切なのではないか。
 同じ小学館文庫には、牛山隆信「秘境駅へ行こう! (小学館文庫)」と「もっと秘境駅へ行こう! (小学館文庫)」という鉄系の作品がある。1日に停車する列車は2〜3本、人家からも道路からも隔絶された僻地に存在する鉄道駅を訪ね歩くルポ作品で、今日の"駅訪問ブーム"の火付け役となった。「ダルマ駅へ行こう!」もその延長線上で企画されたというのは題名から推察できる。「秘境駅へ行こう!」の優れたところは、

  • "秘境駅"という分かりやすく魅力的な言葉
  • 誰も行ったことのない駅を目指すというシンプルな旅の目的

という2点を兼ね備えていたことだろう。ある種、未知の場所への冒険譚的な要素をはらんでいるから、読者も自然と作品世界へと入っていける。「なんでも見てやろう」と秘境駅で野宿までしてしまう牛山の好奇心と観察力も優れていたと思う。
 「ダルマ駅に行こう!」が物足りないのは、著者が、"駅めぐり"の大原則である「列車から降りて駅舎と周辺の街並みを見物する」という行為を所々で割愛したためであろう。30秒なりの停車時間に列車から眺めるだけでは、まともな観察はできないし、エピソードの広がりも期待できない。それと、構成上の欠点であると思うのだが、旅と文章のメリハリに乏しい点も気になった。一方で、駅舎の設置時期や改廃状況についての基本データも掲載されておらず、マニア向けの資料としても不完全である。
 マニアックな行為の体験記というのは、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」のように一つの優れた作品となる可能性を秘めていると思う。それには、対象物への偏愛とも言える感情(時には自己相対化)と共に、突き抜けた文才や視点が必要になってくる。笹田は、先に述べたように鉄道車両の保存運動、あるいは貨車やトロッコ列車の調査研究などでいろんな実績を積んできたし、「「ボロ貨車」博物館 出発進行! マイロネBOOKS」では彼の非凡な才能と経験をうまく昇華させていた。ただ、本書にはそうした情念が欠けていた。時間がなかったのかもしれないが、もう少し練り込まれた中身と文章を読みたかった。次回作に期待したい。それが正直な感想である。

*1:ちなみに、"ダルマ"とはもちろん達磨大師に由来する伝統的玩具であるのだが、"ダルマ"+名詞という表現には、"ダルマストーブ"のように形状が丸っこいものを指す場合、そして"ダルマ女"のように四肢を省いた事物に対する隠語を指す場合と2パターンがある。貨車から車輪など下部にある備品を外した様を"ダルマ"と比喩したと考えると、後者に由来するのだろう。そう考えると、この表現には侮蔑の意が少なからずあるということになるような......