糾弾された作品を封印した人たちの振るまい

封印作品の謎」と「封印作品の謎 2」を読了。前作については、今月、文庫版が出ていたんだね......調べてから本屋へ行けば良かった。

封印作品の謎―ウルトラセブンからブラック・ジャックまで (だいわ文庫)

封印作品の謎―ウルトラセブンからブラック・ジャックまで (だいわ文庫)

 共に、現在、書店やテレビ、DVDなどでは見ることのできなくなった映像・マンガの「封印作品」を取り扱っている。メディアの表に出てこなくなった背景には、差別を取り巻く人権問題、あるいは関係者の著作権問題など過去に起きた様々なトラブルがある(らしい)。その謎の解明に取り組んだのが本作になる。

封印作品の裏側にある関係者たちの思惑とは

 「セブン」の12話にしても、他の作品にしても、その「封印」された理由については先行する様々なオタク系の本で紹介されてはいるし、マニアの間、あるいは同人誌、ネットなどでも「噂」としても語られてきた。
 安藤は、そうした断片的な情報をいくつも繋ぎ合わせた上で、封印した理由を報じる当時の新聞や雑誌を検証していく。外堀を埋めた上で、作り手である作家や制作会社に直接問い合わせ、取材を試みている。実相寺昭雄成田亨手塚プロ講談社のようにコメントする人たちもいれば、円谷プロや藤子プロ、あるいは多くのSF特撮系ライターのように言葉を濁す人たちもいる。まあ、そこらはいろんな立場があるんだし、仕方ないんだよね。でも、著者の地道な作業の積み重ねが、封印作品の背景にあった理由を浮き彫りにしていく。その過程が一つの優れたルポタージュになっている。
 面白いのは、かつて糾弾する側にいた人たちの発言。取材に対し、原爆関係団体や差別反対団体、精神科医など当時の関係者たちが誠実に解答しているのが意外だった。安藤も、そうした立場にいた人たちを一方的に批判するのではなく、彼らの当時の考えに対して理解を示した上で論考を書き進めている。そうしたバランス感覚があったからこそ、本作は成り立ち得たのだろう。一方、私なんかには記憶に新しい例の堺市の「黒人差別をなくす会」は、だんまりを決め込んでいる。昔はあれだけ暴れていて新聞とかでは誇らしげにその成果を語っていたのに、なんでだろう。ちょっと気になる。
 まあ、あまりにも正攻法で取材申込をしているんで、断られて不十分になっている取材もいくつかある。全容が解明されている訳でもなく、「謎解き」としては不満が残る。
 でも、本書の楽しみどころは、他にもあると思う。個人的には、「責任者がいないんで」とか「故人の意向が分からないんで」とか、「事前チェックさせてくれないとダメです」とか、そうした言い訳を繰り返す関係者たちの立ち振る舞いの方が見ていて面白かった。かつて様々な批判があって、封印せざるを得なくなった作品たち。あれからたくさんの月日が流れ、作品を取り巻く状況が変わったにもかかわらず、そうしたパンドラの箱を開けたくないと頑なに口を閉ざそうとする。その時代錯誤ぶりと滑稽さ、そして思考停止ぶりが見事に描かれていた。そして、そんな秘密主義は別にオタクな作品には限らない。自分たちの周りにもたくさんある。そんなことも改めて気付かさせてくれる。
 惜しいのは、神戸児童連続殺傷事件と「水夏」の予防ゲームに関するエピソード。これらが執筆の動機となったというのは分かるが、そこで感じた安藤の考えや気持ちがほかのルポタージュ作品群とうまく解け合っていない。少年Aの名前と写真をHPで晒していた当時と現在との心境の変化なんかがあれば、より深みの増す本になったと思う。
 その後も同様のルポを書き続けているようで、最近は「映画秘宝 2007年 07月号 [雑誌]洋泉社)に、日本テレビ版『ドラえもん』が封印された謎について寄稿しているという。続刊を楽しみにしたい。