"駅めぐり"を目指した80年代の鉄道旅行派マニアたち。

katamachi2007-05-31

 近年、鉄道マニアの間で、"駅を訪問する"ことが積極的に行われるようになった。鉄道の旅の途中で列車から途中下車して、一つ一つある駅を訪ねまわろうと試みる。"駅めぐり"とか"全駅下車"とか"降りつぶし"とかとも言われている。
 昨年、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線を訪ねたとき、そのような旅をしている若い人たちに何度か出会うこともあった。くりはら田園鉄道鹿島鉄道にも同じような人たちはいた。ここ数年で発売された牛山隆信 「秘境駅へ行こう! (小学館文庫)」や菊池直恵横見浩彦鉄子の旅全6集完結セット (IKKI COMIX)」の影響であるのは間違いない。

 ただ、そうした駅めぐりを目指した連中は、別に近年になって登場してきたわけではない。すでに80年代のローカル線ブームの時には入場券や駅スタンプを集めるために有人駅を中心に降りていた人たちは存在した。
 鉄道マニアの興味の対象といえば「車両」に偏っていて、当時はようやく「鉄道旅行」というものが注目されるようになっていた。でも、「駅」という存在はなかなか趣味対象になりづらかった。ところが、鉄道旅行派のマニアたちが旅の途中で途中下車を重ねていく上で、駅の面白さ(歴史性、デザイン、地理的な意味合い.....etc)に理解を示すようになったのだ。あの頃のマニアの実数を考えると、今よりもメンツの数は多かったと思う。この時期、国鉄→JR全線完乗を目指して全国を旅して回っていた私(当時、高校生)も、彼らに感化されて極力たくさんの駅を訪ねるように試みた。
 今日と明日は、そんな90年代以前の鉄道旅行派マニアたちの動向を回想してみよう。
 続きは"ポストのりつぶし"を模索した90年代の鉄道旅行派マニアたち。

"駅めぐり"の元祖は種村直樹の「乗ったで降りたで完乗列車」

 元々は、宮脇俊三の「時刻表2万キロ (河出文庫 み 4-1)」(1978年)と種村直樹鉄道旅行術―きしゃ・きっぷ・やど (交通公社のガイドシリーズ)」(初版は1977年)、「チャレンジ2万km」(1980〜1990)キャンペーンで国鉄乗りつぶしがブームになった80年代初頭に起源を発する。
 当時のマニアたちは、乗車距離数を増やすことに懸命になると共に、入場券や駅スタンプのコレクションにも手を出していく。ただ単純に路線を乗りつぶしていくだけでは自然と飽きが来るからで、あわせて駅を訪ねることで変化をつけようとしたのだ。種村直樹の『鉄道旅行術』でコレクターの存在が紹介されたことなども影響されたのであろう。本書で特急の乗車回数を競うこと、そして入場券やスタンプを旅行しながらコレクションすることを学習した連中が少なくなかった。
 そのうち、コレクションのついでに全国各地の駅を訪れる連中の間で、下車駅数を増やして競争しようとするムーブメントが起きてくる。
 きっかけは、神戸大学あるいは京都大学鉄道研究会だとも言われているが、真相は定かでない。ただ、そうした駅めぐりという志向性は各地の鉄道研究会に飛び火し(私の母校の大学鉄研にも80年代初頭には伝わっていた)、さらに独自で動いていたマニアたちにも伝染し、次々と下車駅増殖の輪が広がっていく。もちろん、それまでも下車駅数を数えて独りで楽しんでいたマニアはいたわけで、事実、知人の父親なんかも70年代半ばには出張で地方に行く傍ら、硬券入場券集めのため駅訪問にいそしんでいたという。だが、それが趣味としてシステマチックになるのは80年代だったといえよう。
 これを全国に広めるきっかけとなったのが、種村の『乗ったで降りたで完乗列車』という本である。レイルウェイライターとして彼の著作活動がピークになりつつあった83年に発刊された。

乗ったで降りたで完乗列車 (1983年)

乗ったで降りたで完乗列車 (1983年)

 本人が私鉄全線完乗を達成した旅行記が中心であるのだが、そのラストの方で、「『OTITADEごっこ』気まぐれ列車」として紹介されている。
 同年7月、種村が北海道旅行で室蘭駅を訪れた際に、Aさん(種村本では実名)という京都大学鉄道研究会の方にお会いしたそうだ。母校である京大学生、しかも女性旅行者から声をかけられたということで、有頂天になった御大。そのうち、彼女から「ORITADEごっこ」(下車駅増殖)という趣味を伝えられ、何となくそれに乗り込んでいくようになる。

「正式には『下車駅増殖』と称するそうで、鉄研のボックス(部室のこと)に台帳があり、めいめいが降りた駅を台帳に書き込んで数を競うのだ。『下車した』が京都弁だと『降りたで』となり、なぜか、それをローマ字で書いて『ORITADEごっこ』だ。」 (種村直樹『乗ったで降りたで完乗列車』,207頁)

 これが、一部の旅行派鉄道マニアを刺激したらしく、乗りつぶしから一歩先に「逝った」活動として趣味業界に認知されていく*1
 やはり種村。彼は後に様々な批判に見舞われることになるが、彼の業界に残した最大の功績は、鉄道旅行好きの"ナウなヤング"から旅先での遊び方を伝授してもらい、それを著作で披露することにあった。そうしたマニアの方向性や行動規範を確立していったのは他ならぬ彼だった。ちなみに本人はこの遊びにすぐ飽きてしまったらしく、以降の著作ではほとんど紹介されていない。同時期に始めた"旅行貯金"(郵便局訪問)の方に興味が移ってしまったためである。

誰が初めて"全駅訪問"を達成したのか。

 ともあれ、本書で「単にホームに降りるだけでなく、いったん改札口を出ること」……という下車駅増殖の最低のルールが確立したこともあって、マニアたちも活動をやりやすくなった。
 同じ1983年に「青春18のびのびきっぷ」(現「青春18きっぷ」)が発売。それまで、ワイド周遊券の周遊区間外では、マジ買い(普通に乗車券を購入して乗車)をしなければ乗り降りしにくかったが、18きっぷの登場で普通列車を自由自在に乗りこなすことが可能となった。下車駅を増やすための出費を抑えることにもつながる。
 中学生になって1984年からようやく一人旅を始めた私も下車駅増殖に興味を示した。列車を乗り換えるとき、あるいは単線区間の対向列車行き違いで長時間停車するとき、下車駅の数を一個でも増やすために懸命に走り回った。
 同じようなマニアは何人もいた。次々と意味もなく改札口を出て、駅舎を眺め、窓口で硬券入場券を買うために行列をつくり、発車時間が迫ったので急いで跨線橋を渡ってホームに戻って……と同じ行動を各駅で繰り返す。客観的に考えればバカらしい行動だが、それもまた一興。趣味活動というのはそういうものだろう。
 ただ、当時5300駅ほどあった国鉄全駅を全て降りるのは難しい。国鉄全線完乗を達成した人でも、600〜800駅程度がせいの山。私も、JR完乗を果たした高校卒業時の1990年でも872駅に留まった。1000駅を越えるのはなかなか容易ではない。
 そこで問題。はたして国鉄全駅下車を達成した人間はいたのか。これは同業者の間で永遠の謎とされている。気合いを入れれば2年もあれば達成できる。だが、そこまでのヒマと持続力とカネを持っている人間はそんなにいない。
 1986年8月、根室本線池田駅で当時の国鉄全駅5322駅を全て回った人物がいる。福本進さんという会社員である。あちこちで宣伝し回ったらしく、テレビや新聞でも紹介され、当時中学生だった私も新聞でその報を聞いた。
 ただ、「旅」1988年3月号に本人が寄稿した文章を読むと、この人、鉄道で駅に降りたのではなく、クルマで訪問したらしい。「1日1列車しかないような線もあり、ロスが大きすぎる。マイカーで回る方がずっと効率的だと考えた」とコメントしている。まあ、「鉄道の駅を訪問するのにクルマで回るのは......」と思わなくもなかったが、駅めぐりにルールはないし、そうした方法論も"あり"だろう。しょせん"個人的な趣味"に起因することなのだから。
(続く。"ポストのりつぶし"を模索した90年代の鉄道旅行派マニアたち。)

*1:ただ、彼らに感化されて下車駅増殖を始めた一人として、十数年前、同会の部室でこの台帳を見たときは、正直、感慨深いものがあった。