パキスタンのモスクへの治安部隊突入にフンザの村と「カミカゼ」を思う。

katamachi2007-07-10

 今から7年前の2000年4月、僕はアジア横断の旅に出ていた。
 インド・ムンバイ(ボンベイ)を起点とし、デリーやバラナシなどを再訪した後、シーク教徒の聖地アムリトサル経由でパキスタンへ向かった。乗車したのはインドとパキスタンを結ぶ国際列車。確か5年ぶりに旅客列車の運転を再開したばかりと聞いた。
 ちょうど1998年の核実験による印パの対立が雪解けムードになりつつあつた時期だったと思う。アフガニスタンタリバン勢力によってほぼ制圧されつつあった。女性や外国人に対する規制は厳しかったが、治安は今に比べるとずっとマシであった。タリバン側と北部同盟側がそれぞれ大使館を構えていて、両方のビザを取得しておけばとりあえず旅行することも不可能ではなかった。
 僕は国内最大の都市ラーワルピンディーに数日滞在してイスラマバードウズベキスタン大使館でビザ取りに通っていた。

アジア横断の旅の途中、パキスタンの辺境のフンザ藩王国に向かった

 その後、長距離バスに乗ってフンザ地域に向かった(Wikipedia「フンザ」)。この地域は、パキスタン北西部、中国との国境にほど近いカラコルム・ハイウェイの途中にある。ラーワルピンディーから夜行で15時間ほどかかる。オンボロのインド製バスで乗り心地は悪かった。隣に座ったのは、ロンドン在住のパキスタン系イギリス人。確か医者をしているといっていた。生まれて初めて父祖の地に帰る、その旅の途中らしい。
 ギルギットという小さな町で、日本のハイエースの中古車を使ったミニバスに乗り換える。日本だと定員10人のクルマに20人以上詰め込まれている。この国では「スズキ」(由来はインドのスズキ資本の会社「マルチ・スズキ」)と呼ばれている。未舗装で崖崩れが多発している山あいの道を辿りながら、さらに2時間ぐらいかかった。
 昔、王様の城があったカリマバードという集落で下車し、外人バックパッカー向けの宿に荷物を降ろす。ここを拠点にトレッキングしながらしばらく滞在しようと思う。フンザという地域は、つい30年ほど前まで藩王国として王様が支配していた地域で、パキスタン政府の支配が及びきっていない、いわゆる部族支配地域(トライバル・エリア)と近い権力構造になっている。
 だからなのだろうか。フンザには穏やかな空気が流れていた。
 時は四月。ちょうどアンズの花が咲きほこり、山々の木々がピンクに染まっていた。なんとなく吉野の桜なんかを思い出す。

 そして何より、住民たちの表情がいい。ここもイスラム教徒の町ではあるのだが、バリバリの原理主義者は少ない。シーア派の分派となるイスマイール派が多いためで、パキスタンの他地域と比べると風習や服装はかなり異なる。
 こどもたちは、海外から来た珍客に気軽に声をかけてくる。小中学生ぐらいの女の子たちもその輪に加わってくる。それはイスラムの国ではかなり珍しいというかあり得ないことだ。片言の英語の子もいれば、日本人なんて相手にならないぐらい流ちょうに喋ってくる子もいる。ここみたいに観光客が多いところだと商売のネタにしようという小ずるい子供も少なくないのだが、フンザの各集落ではそんなのは誰もいなかった。
 宿からミニバス「スズキ」で2時間ほどのパスーという町に行ってみた。ちょうど学校からの帰宅時間で、たくさんのこどもたちが山あいののどかな小道を歩いていた。みんなで合唱しながら歩いているのだ。桃色に覆われたアンズの木の下で寝ころびながらそれを見ていると、突然、中学生ぐらいの女の子たちの集団に囲まれた。異国からの異教徒の姿が珍しかったらしい。歌を合唱している姿を眺めているのが楽しいんだ……と伝えると、突然、彼女たちはまた歌い出した。どうも僕を歓迎するためらしい。2、3曲披露してくれた後、中学音楽で5段階評価で3だった僕の美声で日本の歌を披露してみる。素直に喜んでくれる。なんだか嬉しい。
 もちろんオトナの人たちも、暖かく迎え入れてくれた。ぶらぶら集落を散歩をしていると、土を盛って造られた家から英語を喋れる若い連中が出てきて声をかけてくる。紅茶をすすめてくれるのだ。そういう場合、他のI国やK国やT国だと、土産物を強制購入させられたり、睡眠薬が入っていたり、金品を取られたりするらしいのだが、ここはもちろん違う。旅人を迎え入れて、異国の話を聞きたい。ただそれだけなのだ。

「ところで、なぜ日本軍は第二次世界大戦カミカゼアタックをしたんだ」

 ある日、宿から2kmほど離れたところでお祭りがあるというので行ってみた。そこはパキスタンでもフンザでも珍しいシーア派の人たちが中心の集落だ。
 20歳代ぐらいの男たちが100人ぐらい集まって、村一番の広場を行進する。服はいつものと同じ。あまりお祭りっぽくない。
 でも、みんな手にトゲトゲの付いた鎖や刃物を持っている。そして祭りが始まったとたん、みんな上の服を脱ぎ出す。そして、いっせいにチェーンをふりかざし、自分の背中に打ち付ける。いっせいに血吹雪が出て皮膚が次第に赤く染まっていく。そうした、イスラムと無縁な人間には皆目理解できない集団自傷行為が1時間ほど続く。みんな背中の皮がめくれている。
 これはムハラム月のアシュラー祝祭(ASHURA-E-MUHARRAM)。シーア派にとっては大切な日だったらしく、自らに傷を刻印することで殉教者フサインの死を悼んでいるらしい。なんか「モスク公認の自傷行為」に見えるんだけど、なかには笑って手をこちらに振る人も何人かいた。
(解説はここ。写真はここ。外務省の危険情報はここ。)

 さて、中休みにはいると、異国からの珍客を招き寄せる人が来た。この集落の代表、すなわち村長さんに会わせたいというのだ。村の一番高台にある家に招待される。絨毯がしきつめられた応接間にあぐらをかいて、主の方に挨拶をして、いつものように紅茶をよばれる。年配の方だが、英語は流ちょうに喋られる。そして話しているとかなりの知識人だと言うことも分かる。大都市から何百キロも離れたところにある山あいの辺境中の辺境の集落なのだが、町に出る若い者に英書を買わせて、知識を仕入れているらしい。
 しばらくして突然聞かれた。
「ところで、なぜ日本は第二次世界大戦カミカゼアタックをしたんだ」
 意外な質問だった。どう応えればいいのか分からない。言葉に詰まっていると、
「われわれとは違う宗教だろうが、当時のあなたの国の兵隊の行為は尊敬に値する」とおっしゃる。
 もし日本でそんな話が出たらどうだろう。神風特攻隊や人間魚雷回天などの「特別攻撃隊」という存在に対して批判的、あるいは冷ややかな意見がほとんどであろう。一方、そうした特攻隊員たちの行為を評価する立場、あるいは浪漫を感じる人たちもいる。そういう考えも否定するつもりはない。
 ただ、日本人の議論の前提となるのは、「でも、今の日本でオレ達はカミカゼ攻撃なんてするわけないよな」という気持ちを老若男女あらゆる人間が共有していることである。少なくとも大方の日本人はそれを了解しているだろう。
 でも、イスラムの国は違う。彼らは唯一絶対神である"アッラ"のために殉教することを惜しまない。
 そして毎年世界で何万人という人がそうやって命を落としている。
 現実に、お隣の僕のいるアフガニスタンではそうやって亡くなっている人たちがたくさんいる。国境までは、このフンザの集落から7000m級のパミール高原を越えれば300kmほどしか離れていない。そしてこのパキスタンも、スンニ派とシーアー派の対立、アフガン情勢絡み、カシミール問題……いろんな事情を抱えている。
 そんな、カミカゼを現実のものと考えている人たちに、日本人である自分は何を伝えることができたのか。あれから7年経った今でも、自爆テロや宗教衝突のテレビニュースを見るたびに思い出す。
 確かあのときは、「カミカゼ攻撃はアメリカ軍に恐怖を与えたかもしれないが、実際は戦争を遂行する上で効果的ではなかった」、「今の日本では批判的な意見が多い。彼らの戦闘を評価する声もあるが……」、「イスラムの殉教者とカミカゼをした兵隊とは根本から考えが違う」と言う類のことを説明したと思う。
 語彙力・表現力その他の問題もあって意志が伝わったかどうかは分からない。ただ、村長さんは僕の話に口を挟まずじっと聞いてはくれていた。

 パキスタンの首都イスラマバードのモスク(イスラム教礼拝所)「ラルマスジッド・モスク」ろう城事件で、陸軍の治安特殊部隊は10日午前4時(日本時間同日午前8時)過ぎ、武装勢力排除作戦に着手し、モスク敷地内のイスラム神学校(マドラサ)に強行突入した。AFP通信によると、少なくとも治安部隊側で3人が死亡、武装した神学生ら20人が死亡した。モスク内には学生ら数百人以上が立てこもっているとみられる。現場からは激しい銃声や爆発音が響き渡っており、さらに多数の死傷者が出る模様だ。双方の銃撃戦開始から8日目。「人間の盾」となっている女性や子供たちの安否が気遣われる中、ムシャラフ大統領が突入を決断した。
<パキスタンろう城>治安部隊突入、少なくとも23人死亡
7月10日11時23分配信 毎日新聞

 今回も最悪の結末になってしまったようだ。胸が痛い。
 日本の報道だと「こどもを案じる親が……」とか「宗教対立は困ったものです」とか「背景には米軍のアフガン攻撃に対する……」とか日本人的には分かりやすい話が組み立てられている。ネットだと「またか」とか「イスラムってのは……」とかいう感想が多いんだろうか。
 なにかポイントがズレているとは思う。でも、自分の言葉ではうまく説明できない。オチを付けることができなくて申し訳ない。
 そんなわけで、昔、確か旧ユーゴに行った直後に日本で見た映画のセリフで締め括ろうと思う。実家に帰ったらまたLDでも見てみよう……

「正義の戦争と不正義の平和の差はそう明瞭なものじゃない。平和という言葉が嘘吐き達の正義になってから、俺達は俺達の平和を信じることができずにいるんだ。戦争が平和を生むように、平和もまた戦争を生む。単に戦争でないというだけの消極的で空疎な平和は、いずれ実体としての戦争によって埋め合わされる。そう思ったことはないか。その成果だけはしっかりと受け取っておきながらモニターの向こうに戦争を押し込め、ここが戦線の単なる後方に過ぎないことを忘れる。そんな欺瞞を続けていれば、いずれは大きな罰が下されると。」

「罰? 誰が下すんだ。神様か。」

「この街では誰もが神様みたいなもんさ。いながらにしてその目で見、その手で触れることのできぬあらゆる現実を知る。何一つしない神様だ。神がやらなきゃ人がやる。」

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