繁華街から隠された成人映画館とピンク街

katamachi2007-08-24

また村が一つ死んだ。行こう、ここも、じき再開発に沈む。
昭和天皇崩御されてから19年。ポストモダンアスファルトにおおわれた荒れた大地に、地域振興…再開発(さいかはつ)と呼ばれる無慈悲な解体によるスラムクリアランスがひろがり、衰退したノスタル爺の生存をおびやかしていた。

(久石譲例の曲なんかを思い出しながら読んでみてください。写真は大阪梅田の曾根崎お初天神通り商店街の脇にあったピンク街の解体現場、2006年1月)

 今晩、また一つノスタルジックな映画館が潰れます。
 知人とお盆前の8月12日に富山を旅行していた時のこと。
 東横インJr.富山駅*1に荷物を置いて知人と夜の街を歩きだしたのは22時頃。昼からまともなものを食っていないし腹も減ったし……とラーメン屋に入ったのですが、語るほどのところではありませんでした。やっぱこの時間だと総曲輪に行かんとまともな飯は食べられないのかな。
 そのままホテルに戻ろうとすると、「シネマ飲食街」という看板がありました。なんか怪しいと路地に入ってみると、飲食店が10軒ほどひしめき合っていました。朽ち果てたトタンのような屋根、やたらと狭い路地、飲み屋街の定番のお稲荷さん。いやあ、いいですね。この情緒。もう分かりやすい「昭和」の香りがプンプン漂っています。「噂の真相」の編集長が好きそうな街並みです。最近はレトロ風味の街並みをウリにした食堂店街というのがあちこちで出現していますが、ここはモロそのまんまです。これを東京や大阪にそのまま移築するとかなり人気が出そう。
 こちらの方のブログを見ると、うまそうな寿司ネタがずらーり。うーん、事前にきちんと調べていくべきでした。

昭和34年、JR富山駅を出ると南側に‘映画館と食堂街’という新しい一角が誕生しました。映画は文化の香り高い短編映画と各社のニュース映画という当時としてはユニークな富山シネマ劇場。その建物の1階に各種飲食店居酒屋、すし、天ぷら、ギョーザ、焼肉、ラーメン、そば、富山湾の魚、スナックなどを集めた飲食街が生まれました。当時は朝から客の絶える間なく深夜まで賑わいました。映画は成人向きに変わりましたが、店は二十数店が頑張ってやっています。若い店主、美人ママ、少しレトロ風のお母さんお父さんの店など多彩 、多様です。値段も安心して飲める店ばかり、それが富山駅前シネマ食堂街です。
シネマ食堂街

 そのまま帰ろうとすると、小さな飲み屋の側に「8月25日で閉館いたします」という立て看板を見つけました。振り返ると「富山駅前シネマ」の文字が……、あっ、シネマ飲食街なんだから映画館もあるはずだよな。
 もう一度路地を戻ってみると、予想通りレトロな映画館が待ち受けていました。おお、これってまるでトミーの街並みコレクションの世界じゃないの……いやそれよりもボ○い。
 ラインナップはもちろん成人映画。上映していたのは「厚顔無恥な恥母」(2007)、「一人寝の未亡人」(2000)、「三十路喪服妻わき毛の匂い」(2005)の三作。一つ一つの言葉自体はエロチシズムと無縁なはずなのですが、それを複数並べていくと、ごく一部の人たちの欲情を掻き立ててしまう。日本語って凄いなあと改めて思いました。まあ、看板には恥も外聞もないイラストと写真がデカデカと掲げられていましたが。
 おい、最後だぞ、最後だぞ、どうする……と同行者に尋ねてみました。廃線オタク&路上観察好きの一人として何か血が騒いだのですが、入場料に1800円も払うのはもったいないとあえなく却下。今から思うと無念です。

街中から隠蔽されたものがあった時代

 30歳代以上の人間には、そうした「成人映画館+朽ち果てた飲食店街」という原風景をお持ちの方が多いと思います。
 親に連れられて繁華街に出かけてなにかのショッピングへ行く。興味もないのに付き合わされることにブツブツ文句を言いながら、ふと表通りの脇から伸びる路地を歩いてみると、なんだか古くさく思える木造飲食店が続く。完全に異世界なんですよね。その中核に必ずあったのが、50年代にはモダンだったと思われる映画館、そしてボインな姉ちゃんをモロ描きした看板なんですね。
 いなかのおばあちゃん家へ夏休みに遊びに行くと、いつも映画館のタダ券をもらって弟と「カリ城」とか「ドラえもん」とかジャニーズ映画とかを見に行きました。でも、そこの市内に3つある映画館のうち、もらえるのは2箇所だけ。もう一つはどんな映画をやっているんだろうと不思議に思っていましたが、祖母の家から近くにあるのに正確な場所が分からない。
 ある年の春休み、ガンプラブームもあって大人気だった「機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙」を見たかったのですが、それはどこでも上映していないという。えっ、映画館ってもう一ヶ所あるじゃん、電話で聞いてみてよ……と祖母にお願いしても何か言葉を濁すだけ。
 じゃあ自分で確かめようと、犬の散歩&探検がてら商店街を抜けて徒歩5分ほどの住宅街にある、その第三の映画館へ行ってみると、ああなるほど……と全てを理解しました。ガンダムはやっていないし、なんか見てはイケナイものが看板に描かれている。子供心にも、ここには一人で行ってはいけないと理解してしまいました。1982年の春、私は10歳でした。そうした場面が僕のヰタ・セクスアリスの原風景になっていると思います。
 2007-08-22繁華街とピンク街を書いた後、この件に関するはてなブックマークとそのリンク先を見てみたのですが、近年、市街地にピンク街が広がっていることに関して許容している方が多いのに驚きました。
 富山とかもう少し小さいレベルの地方拠点都市へ行くとピンク系の店ってまだ隠蔽される対象なんですね。目をこらすと看板があるんでヨソ者もその場所に気付くのですが、飲み屋さんの中に溶け込むようにして店を構えている。出る杭は打たれることを知っているから。
 でも、大都市とその周縁部の郊外都市では、平成になってからかなり派手に展開しています。新宿、池袋、梅田、難波などでは摘発が相次ぎ派遣型などの業態転換で潜在化しているのですが、北関東を中心にやたらと店舗数が増えてしまった都市もある。
 太田市でも、たぶん20年ほど前までは、飲み屋街の中に数軒が営業していただけだと思うんですよ。でも、東南アジアや中国から働きに来ている人たちが増えた90年代になって需要も供給も増えてしまった。飲み屋の看板の中に迷彩塗装のように隠蔽されていたのに、数が増えすぎたので市井の人々の目にも触れるようになる。特に増えたのがエステ店なのにスペシャルサービスがウリなタイプの店舗で、あまり日本人には見えない店員さんが道ばたに何人も立って、露骨に「おに〜い〜さん、安いよ〜」と絶妙のイントネーションで客を勧誘している。あれ、なんで店から外に出ているの。そういうのはヤラないという自主規制が昔はあったはず。それ以前に、堅気には目立たないように営業するという仁義もあったはず。最近、大都市圏と郊外都市では、そういう裏のルールが緩んできているんでしょうね。90年代初頭に宮沢りえが例の写真集を出して、一般週刊誌が女の子の写真をウリにし、成年マンガが過激化し、街中にその手のセルビデオ屋が氾濫してからですね。
 ビジネスとしてそこらのジャンルは淘汰しきれないとは思いますが、表通りに出てくるのはマズい。パンピーの目には触れてはイケナイものが拡散しすぎている。それは何とかして欲しい……と、色街を歩くことが趣味である僕でも思います。ただ、「もっとチラリズムを」、「隠す美学を」と言っても、ナウなヤングからは「シャカイ派の80年代ノスタルジィ中年」*2と言われるんだろうと思ったりもするのですが、それはまた別の話。

*1:ここだけ「Jr.」と付いているのは他ホテルを改装したため他の系列店とは規格が違うから……と言う理由なんだそうです

*2:先月話題?になったサイゾー 2007年 08月号 [雑誌]の「”ノスタルジィ中年”が跋扈!老害化が進むオタク論壇の憂鬱」より