廃棄された国鉄時代の歴史資料と小樽市総合博物館

今日は先月開館したばかりの小樽市総合博物館に行きました。ここは旧手宮駅跡にあって、一昨年までは小樽交通記念館だったところ。このたび小樽市の博物館として貴重な車両群とともにリニューアルオープンしました。さて面白かったのが博物館の蒸気機関車庫の転車台でみたこの機械。
2007.08.12 大友式 - SUGIZAKI @ FLAG STATION
 ※旅行系のライターとカメラマンをされている杉崎行恭氏のブログ

 あの北海道鉄道記念館(1963-1992)→小樽交通記念館(1996-2006)が「小樽市総合博物館」として2007年7月にオープンしたということ。ここ20年、国鉄やJR、小樽市の財政難で迷走し続けてきましたが今度こそ長続きするといいなあ。
 さて、一番気になったのは、ここ↓のところ。

新しくなった小樽市総合博物館にはキュレイターがいるレファレンスコーナーが新設され、訪ねるとこのような一級資料がごろごろ旧交通記念館時代から引き継がれた貴重な資料が保存されています。この本は国鉄営林区に勤務していた人の伝記。きわめて珍しい鉄道林の現場資料です。ここには、北海道の鉄道史にあった多数のドラマが埋もれています。「乗り鉄」「撮り鉄」ならぬ「書き鉄」を目指すなら、きっと宝の山の小樽市総合博物館です。

 うわあ、図書室に専門の研究員、学芸員がいるのかあ……凄いなあ。
 鉄道史好きが過去の出来事を調べようとすると、意外に戦後の日本国有鉄道時代の資料って残っていないんですよね。「日本国有鉄道百年史」がマクロの記述ばかりで終始して、鉄道車両とか鉄道路線の変遷とかミクロのエピソードを割愛してしまったためです。
 たとえば2007年の私が国鉄●▲線の50〜80年代の歴史を拾い上げようにも基礎資料や基礎データが何も残っていない。鉄道趣味誌や鉄道本はありますがあれは趣味人の興味の対象となったSLとか電車とかそうした偏った話しか残されていない。たとえば駅のホームが増設されたのは何年なのか。利用者数の経緯はどうなのか。駅長さんの名前は何なのか。えっ、なんでそんなことも分からないの……というデータが現在ではほとんど入手できないんです。私鉄の方がデータが比較的残っている印象があります。
 後世の人間が調べるとき、特に困るのが、東京近郊と大阪近郊の国電区間です。東京鉄道管理局も大阪鉄道管理局も自分の所の局史を出していないんですよね。工事関係の記録をまとめた本がたくさん出ているだけ。路線別の歩みとか営業の経緯とか歴史物を書くための情報は皆無です。他の局でも出しているところはありますが写真集だったり薄っぺらかったりして使い物にならないのがほとんど。昔、未成線の商業本を書くのに交通科学博物館交通博物館、そして全国の図書館を回って国鉄系の資料をしらみつぶしに探しましたが獲物が残っておらず難渋した記憶があります。
 それでも国鉄時代の資料がきちんとJRに引き継がれていたらよかったのですが、その膨大な山を整理できなかったんです。そのほとんどが廃棄処分になっしまったらしい。神田にあった交通博物館も、戦後の国鉄関係資料の品揃えは予想以上に脆弱でした。
 分割民営化直後の1987年の5月、高校鉄研の連中と大阪市桜島線桜島駅に遊びに行くと、駅構内の片隅で膨大な紙の束が焼却処分されていました。まだ燃えていない紙を拾い上げると年間の貨物取扱量とかそうした駅勢要覧の基礎データでした。他駅の分もたくさん含まれていました。「ああ、国鉄百数十年の歴史が消えていく……」と実感させられたものです。
 JR西日本は後に梅田の本社を移転したときも大量に資料を廃棄していたようでして、弁天町の博物館の担当者の方が「めぼしいのをもらいに行ったんだけどね……」とボヤいてられたのが印象的でした。それゆえに市史編纂室の方とか郷土史マニアとか鉄道史マニアが来てくれても対応できず申し訳ない……ということでした。
 でも、北海道の各鉄道管理局の場合、貴重そうな資料は国鉄清算事業団の札幌支社に集められて山のように保管されていたようです。2001年10・11月に取材で訪れたとき(当時は日本鉄道建設公団清算事業本部)に尋ねてみると、「ゴメンね。今度、国鉄関係の資料はみんな小樽の博物館に回すことになっているんでほとんど段ボールに入れてしまったんだよ」なんておっしゃっていたのを記憶しています。それはなかなか開架されていなかったようですが、この夏、ついに一般も閲覧できるようになったのでしょうか。
 とにかく博物館好きとしては早く見てみたいなあと言うのが本心です。どうしよう。9月の北海道行き実現させようかな。特急「まりも」も気になるし……と思ったりもしたのですがそれはまた別の話。