「阪神西大阪線の工事認可取り消し訴訟」と大阪高裁判決。

katamachi2007-10-26

 大阪市阪神西九条駅此花区)と近鉄難波駅中央区)を結ぶ阪神西大阪線延伸事業(約3・4キロ)をめぐり、沿線住民ら76人が電車の騒音で生活環境が悪化するとして、国土交通相に施工認可の取り消しを求めた行政訴訟控訴審判決が25日、大阪高裁であった。若林諒裁判長は「防音壁が完成すれば、重大な騒音被害が起きる可能性は低い」と判断。訴えを退けた昨年3月の一審・大阪地裁判決を支持し、住民の控訴を棄却した。
 高裁判決は、大阪市が実施した環境影響評価に照らし、開通後に沿線の一部の地点で国の騒音基準を上回る恐れがあると認定。一方で、府と市、阪神電鉄などが出資する第三セクターで事業者の「西大阪高速鉄道」が防音壁(高さ約6メートル)を沿線に設置すれば、騒音は軽減されると判断した。
阪神西大阪線の工事認可取り消し訴訟、住民ら二審も敗訴朝日新聞、2007年10月25日

 すっかり忘れていたけど、阪神西大阪線改め阪神なんば線に関する差し止め訴訟ってまだ続いていたんですね。当事者と思われる方のホームページはこちら。

 この関係者(と思しき方)のホームページを見ている限り、運営主の方が、阪神西大阪線が高架線から地下線へ降りていく箇所の設計に"不満"を持っていること、そして新線の構築物が市街地の道路を遮断することに"腹を立てている"こと......その気持ちは十二分に理解できます。「わずか250mの分断なのです。でも私たちにとっては大変な問題なのです。」という悲痛な叫びは自分の立場で置き換えてみたら実感できます。
 実際、鉄道線が高架線から地下線へと移っていく箇所って、都市計画上、あまり歓迎されないんですよね。数百mにわたって市街地を遮断してしまうから、線路の周囲に住む住民の移動がさまたげられる。

 大阪市内でも、御堂筋線中津、中央線阿波座・荒本、阪神野田、京阪天満橋関西本線今宮……など鉄道路線によって地域が分断されている箇所が随所に見かけられます。今から50年前、南海が"横堀線"(梅田〜西横堀川今宮戎間の地下新線)の建設を都市交通審議会で訴えかけたとき、同線の設計が難波地区のど真ん中で地下から高架へと上っていく箇所が建設省から問題視されたことがあります。
 ただ、個人的不満をネットで吐露するだけでは支援の輪は広がっていかない。原告たちが阪神西大阪線の建設に反対する"根拠"がなんなのか。九条地区と無関係な第三者に訴求できるポイントは何か。このホームページの主張は個人的意見なのか関係者の総意なのか。そもそも運営主は国土交通省を訴えている裁判の当時者なのかどうか。肝心なところがよく分かりませんでした。
 今回、改めて検索エンジンをかけてみると、訴訟を担当された弁護士の発言が見つかりました。

 なるほど。弁護士も裁判官も、公害環境問題、すなわち西大阪線開業後の「騒音」&「振動」問題を争点にしていたんだ。で、地裁では「原告らに騒音等の重大な環境被害が生じることが予測されるものとはいえず」とされ敗訴。たぶん高裁でも同じ判断がされたのでしょう。ようやく状況を把握することができました。
 興味深いのは「鉄道公害訴訟の実例報告」における「道路公害裁判の現状と鉄道の対比」という箇所です。鉄道がもたらす騒音、振動を規制する環境基準って、新幹線を対象としているだけで在来線についての取り決めはないのか……言われてみるとそうでした。

 私の個人的な感想は以下の通り。

  • 西大阪線による現実的な被害がまだ出ていないし、国交省が認可した過程で法的に問題となるような箇所はどこにもない。ただでさえ公害裁判って因果関係の立証が難しいのに、これでは原告側が勝つのは難しい。
  • 訴訟の原告たちって、九条地区の住民たちにどれぐらい支持されているのか。2年前、西大阪線反対派の動向を九条地区で聞き回ったことがあったが、「一部の人が反対しているらしいけど......」と醒めた反応ばかり。"政治力"を持つ大阪市議や商店街関係者などの協力を受けていた形跡もない。反対運動の輪が広がっておらず、住民パワーを結集できていない。30年前の名古屋新幹線公害訴訟のような広範囲な関心を内外に呼び起こすにまでに至らなかった。
  • そんな状況下で関係者たちが「九条地区に鉄道高架線を敷設するな」と主張するから、「それって住民エゴじゃないの……」という冷ややかな反応に晒されてしまう。公害反対運動や住民運動の視点からこの訴訟を見た場合、戦略面でも戦術面でも失敗していたのではないか。
  • 国交省相手に騒音や振動を争点として差し止め訴訟をするより、大阪市第三セクターに出資している点を問題にして裁判した方が、地区外の住民やマスコミにも共感をもって受け止められたような気がする。
  • ただ、西大阪線の設計に問題があるのは否定できない。やっぱり高架橋が市街地・商業地のど真ん中を遮断してしまうのは人迷惑。線路敷地が狭いから、近隣の住宅との間に余裕がない。60年代に用地買収を始めた段階でもう少しなんとかならなかったのか……と考えてみたけど、あまりいいアイデアが浮かばない。

 そもそも西大阪線千鳥橋〜西九条〜九条〜難波間の特許が申請された1948年段階で、大阪市阪神の難波延長線を強硬に反対していました。「都市計画事業の遂行に支障がある」というのがその理由の一つ。戦災復興を目指して新たな都市計画をプランニングしていたのですが、阪神がそれを無視してルート設定してしまったからです。大阪府庁が大阪市役所を罵倒する意見書を中央省庁に提出したり、対応をしかねた運輸省の担当部局が特許下付を10年近く先延ばししたり、都市交通審議会大阪部会で有識者の議論が紛糾したり……といろいろ逸話は残っています(拙著「鉄道未成線を歩く4 大阪市交通局篇」参照)。あのとき、千鳥橋〜西九条間の六軒屋川付近で地下に潜る設計にしておけば良かったのに……とも思いますが、いまさら過去の設計の問題を指摘しても仕方ない*1
 でも、当時、計画に猛反対していた大阪市が、今では第三セクター西大阪高速鉄道の出資者として阪神なんば線の建設に参加している。歴史とは不可思議なモノだなあ……と改めて感じたりもしたのですが、それはまた別の話。

*1:1964年の西九条開業当時、地下線の建設費は高架線の建設費よりかなり高かった。シールド工法はまだ一般的ではなかったし、安治川の地下を抜けるトンネルを敷設するのは技術的にも経済的にも難しかったと思う。九条の住民の方が感じる不満が千鳥橋周辺の住民に移るだけであり、本質的な問題解決には至らない