ポスト"鉄道ブーム"を模索し続けた90年代以降の鉄道マニアたち

 このエントリーをアップしたのは12月22日の13時頃ですが、とりあえず前回「不発に終わりそうな「第三次鉄道趣味ブーム」とその課題」と同じ日付で書き込んでおきます。

2つの鉄道趣味ブームとその過渡期である90年代

 さて、そこで気になるのが、なぜ「第三次鉄道趣味ブーム」という気分が醸成にされていったのだろうか……ということ。もちろん様々な外的要因や社会の変化も考えられるが、そこらを語り始めるとややこしくなるので、鉄道趣味の生産者と消費者に限って話を展開していこうと思う。
 第一次鉄道趣味ブームは、国鉄100年と蒸気機関車全廃を境にしてほぼ完全に収束していく。70年代当時は、まだ社会に出てまで趣味活動を続けにくい状況にあったわけで、団塊の世代とその前後が社会に出て"卒業"していったことも大きかった*1。残った鉄道マニア、そして鉄道雑誌は「ポストSL」の素材がなんなのかを模索し続けることになる。
 一方、こども向け図鑑&宮脇・種村の著作で火がついた第二次鉄道趣味ブームも、日本国有鉄道が解体された1987年には息切れ状態にあった。車両や路線の合理化が相次ぎ前近代的なものがあらかた整理されていった上に、そのご本尊とも言える国鉄が分割民営化によって解体されたことも大きかった。ブルトレや夜行急行、旧客は1985年改正までにあらかた整理され、宮脇俊三と旅行派鉄道マニアが愛した青函・宇高連絡船は1988年、そして廃止対象リストに上がった特定地方交通線88路線は1990年、ついに全滅してしまった。ここらで鉄道に見切りをつけて、鉄道というものの関心を薄めていった層が多かった。
 その後、90年代の鉄道マニアにとって、ゆるやかな衰退基調に移行している中で、どのように鉄道趣味活動を続けていくのか、どこに楽しみを見つけていくのか。自分たちの新たな活動の場を確立することが課題となっていく。
 活動の主軸となったのは、第二次鉄道趣味ブームを支えた60・70年代生まれの世代の残党だった。淘汰されてゆく"国鉄型車両"という存在を認識して自分たちの趣味活動の核に据え置くことになる。それと同時代の私鉄車両、払い下げを受けたローカル私鉄の車両群にも注目が集まる。一方、激減してしまった鉄道旅行系の人間は、魅力あるローカル線が淘汰されことをボヤきつつも、廃線跡巡りや"駅めぐり"(降りつぶし)、入場券収拾、郵便局、廃止フィーバー便乗など鉄道旅行の付加価値的なものにその目的を見出そうと模索していく。
 また、車両や歴史など鉄道調査の方法論が確立し、それが友の会人脈以外にも広く知られるようになったことで、鉄道研究のレベルが飛躍的に向上する。その影響もあって90年代半ば頃から鉄道マニアを対象とした研究本や資料本が再び一部書店の棚に多数並ぶようになる。川島令三の著作を皮切りとして"都市鉄道を語ること"への関心を高めていった層も増えた。そうしたマニア間のコミュニケーションツールとしてパソコン通信も活用されるようになる。

鉄道趣味ブームの変遷とその特徴

時期区分 年代 ブームの中核 中核世代
第一次鉄道趣味ブーム 1967〜1972年 蒸気機関車 40・50年代生まれ
第二次鉄道趣味ブーム 1978〜1982年 ブルトレ・特急、コロタンNゲージ 小中高生
  1978〜1988年 ローカル線・旧国、宮脇・種村・RJ 60年代生まれ
中間期 90年代 ジャンルの分散、国鉄型、川島・RM 70年代生まれ
第三次鉄道趣味ブーム 2003〜?年 メディアとの複合、ネット 80年代生まれ

90年代から現在に至る鉄道マニアたちの動向

 そんな過渡期における90年代から現在に至るコアな鉄道マニアたちの動向をまとめてみると、

  • 基本的には先のブームの内容をアレンジして趣味活動を進めてきただけである。"国鉄型"や"吊掛"と言ってもコアな鉄道マニア以外を巻き込むような魅力とパワーには欠けていた
  • 趣味趣向の多様化、少子化などでパワーのある若年層の参入が減ってきた。彼らにとって鉄道趣味はいくつかある興味対象の一つにすぎない。
  • 新規参入が減ったことによる高齢化も進んでいる。「ピクトリアル」の平均読者層が50歳代、「ジャーナル」でも30歳代というアンケート結果が出たのは10年以上前のことである。
  • 自分たちの趣味の細分化・深化・地域化が進行しすぎて、少し目を離していると議論についていけなくなる。提供される情報量が多くなりすぎて、かなりの鉄道知識を習得しなければ他ジャンルへのフォローができにくくなった。若年層は最初から関心の幅を広げようとしない(しにくくなっている)し、20歳代あるいはベテランでも同様
  • 鉄道知識を増やす→鉄道趣味活動の内容を深める……という"鉄道教養主義"への反発。70年代から続くマニア・オタクvs自称ライトファンの壁。特定分野での結びつきの強化。オレ流マニアの増加で、対象を好き嫌いと感性で選別
  • 「レールマガジン」がしばしば"煽り雑誌"と揶揄されたように、「廃止&廃車間際!」、「いま●▲が熱い!」といった要素に流される傾向が従前以上に強まった
  • 鉄道系書籍やグッズの販売点数が増えすぎて競合過多した上に、細分化されすぎてヒット作が出なくなる*2。かといってライトな本が売れるというわけでもない

といったことか。
 こうした課題というのは別に鉄道趣味人に限らない。「新たなネタがない」「大ヒット作品待望」「最近のナウなヤングは」なんてのはアニメとかSFとかミステリーとかオタク系の趣味ジャンルでさんざん言われていることとたいして差はない。サブカル系だけでなく、アカデミズムでもスポーツでも企業活動でも、同様のことは言葉を変えて語られている。あらゆるジャンルで飛躍的に研究・趣味活動は深化していったが、そのことで手垢のついていない未開拓地は失われた。みんな新鮮な素材を渇望していたのだ。

鉄道趣味に対するアプローチの変化

 その一方で、ネットの普及によって、鉄道趣味に対するアプローチの方法も変わってきた。

  • まず、鉄道会社がリリースする情報、現場のマニアの見たまま情報、時には関係者からの裏情報が、多くの人間の間で共有されたことになった。情報の伝達が紙媒体と口コミしかなかった80年代以前と比べると*3、これは革命的な出来事である。そして、マニアたちは、公式発表を瞬時に、そして微細なものを含めて大量に収拾できることに快感を覚え始めた。このブログの12月20日のエントリーが象徴的である。そしてこうしたリリースやニュースを聞くことで、廃止が決定したローカル線、廃車間際の老朽車両、1〜2日限定で運行されるイベント列車、発売数を抑制した限定品……の存在や日程を知りうることが可能となった。
  • また、自分の集めた、見た情報をもとにホームページなどで独自の研究や世界観を展開することも可能になった。わざわざ出版社や先輩から声を掛けられるのを待っている必要はなくなった。これまで鉄道趣味ジャンルでは、写真撮影と模型造りをのぞけば、なかなか自己表現をするのは難しかった。でも、ネットを通して自分の興味や考えを他者に知らしめることが容易になった。
  • と共に、●▲鉄道や■★線、▽□系など、自分が特に関心を持っているジャンルについて、ほかの連中とコミュニケーションする手段を手に入れることができた。かつての趣味団体や鉄研のように、波長や趣味対象のあわない連中と付き合う必要もなくなった。不快な思いをすればただ交流を絶てばいい。

 こうしたアプローチの変化は、

  • 鉄道マニアが消費したがる鉄的要素の量的拡大
  • それを見越したマニア市場の拡大(ただし人口が増えたわけではない)
  • マニア的観点で選別された場所・イベントへの過度な集中
  • 鉄道雑誌や鉄道本など鉄系紙媒体の売れ行き低下

といった現象をもたらした。
 それゆえに、同じ鉄道趣味人といえども、他ジャンル・他地域・他世代の人間とのコミュニケーションが難しくなってくる。お互いが共通に語り合える言語、すなわちコミュニケーションで最低限押さえておくべき知識と認識が失われてしまったのだ。鉄道趣味の世界が広くなりすぎた上に、たくさんの鉄系情報が氾濫しすぎた。若年層のみならず、ベテランマニアですらも、趣味活動をする上で、どれを選択し、どれを捨てるのか。その選別をしなければならなくなった。オタク第一世代(1960年前後生まれ)やオタク第二世代(1970年前後生まれ)、そしてオタク第三世代(1980年前後生まれ)以降なんかを巡る議論と共通の状況が鉄道マニアの間でも生まれている。

(つづく たぶん次回で最後)

*1:それは過激化していたはずの学生運動から転向者が相次いだのと似ている気がする

*2:紀伊国屋のデータだと、2002年の鉄道・運輸系書籍で私の本が全体の3位でした。1位はJR東社長の企業本、2位は川島の新書系本。「えっ、実売1万部を越える鉄道本ってほとんどないんや」と驚いたものです。少なくとも直球でピンボールを投げている僕の本が上位にきているようではダメでしょう

*3:たとえば国鉄志布志線廃止の情報は、廃止1ヶ月前に発売された87年3月号の時刻表にすら事実関係が記載されていない