一年間で何度かはセンチメンタルな気分になることもある。

地震にも 負けない 強い心をもって 亡くなった方々のぶんも
毎日を 大切に 生きていこう
傷ついた神戸を 元の姿にもどそう 支え合う心と 明日への 希望を胸に
「しあわせ運べるように」神戸市長田区Web Site「人・街・ながた震災資料室」→視聴可能

 二十代半ばを過ぎたあたりでやたらと醒めた人間になってしまったとの自覚はある。ドライなふりをすることでカッコをつけているのかもしれない。あるいは感情を表に出さないようにして自身を傷つけないよう守ろうとしているのかもしれない。
 だけど、それでも一年間に何度かはセンチメンタルな気分に浸りたいときもある。たぶん今日もそんな日の一つなんだろう。
 毎年、1月17日になると早起きをして、関西ローカルのテレビのチャンネルを付けて慰霊のつどいの中継を見ることにしている。上で引用した「しあわせ運べるように」は神戸市の小学校教諭が神戸の街の復興を願って作った曲で、今でも小学生たちの間で歌い続けられているという。詞とメロディーが印象的なこともあり、テレビニュースなどで合唱シーンがしばしば取り上げられている。こどもたちの歌声を聞くたびに、なにか切ない気分にさせられる。
 別に神戸に住んでいた訳でもないし、自分や近しい知人が深刻な被害を受けたというわけでもない。かといってボランティアをする気には全くならなかったし、ましてや倒壊した街並みや鉄道施設の写真を撮りたいという気分にもなれなかった。正直、できるだけ被災地とは距離を置こうとしていた。ヨソ者で才能も技術もない自分ができることはなにもないと分かっていたからだ。
 でも、やっぱり気になるのである。
 そこらの感情をうまく説明することはできない。あえて無理矢理語ろうとするならば、自分は震災に対して傍観者的な態度を取ることしかできなかった。すぐ近くの街で未曾有の事態が起きているにもかかわらず、そこで起きたあらゆるものをブラウン管の奥に押し込めていて、"観客"としてテレビを観賞していたに過ぎない。そんな特権的な立場で安住していることに対する後ろめたさがあったのかもしれない。
 気がつけばもう1月18日になっている。新年になってから関西ローカルのテレビや新聞ではたびたび震災特集が組まれてきたが、それもここ数日で終わってしまうのだろう。来週になればもうみんな忘れ去っているのかもしれない。いや、全国ニュースを見ている限り、関西以外ではほとんど忘れ去られた過去の出来事になっている印象もある。
 でも、1年になんどか、あの時を思い起こすことも悪くはない。激しい揺れで失われた命や風景に思いをはせながら、いろんなことを考えてみる作業も必要なんだろうと個人的には思う。数年前に、年若い知人を喪ったときも、自分の無力さ、無責任さを思い知らされた。私にとって、1月17日は、そんな自分の心の揺れを再確認する日になっている。
 今の小学生たちはすでに震災を知らない世代なんだろうが、音楽の時間で「しあわせ運べるように」を唱っていく中で、どんなことをイメージしているんだろうか。ちょっと聞いてみたいな……とも思うのですが、それはまた別の話。