立山砂防軌道に乗ってきた

katamachi2008-02-12

 この週末、雪晴れの富山県立山へ行ってきました。行ったときの話は、2008-02-15「立山砂防軌道に乗ってきた’08年冬 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」を参照。
 目的は立山カルデラ砂防博物館でやっていた冬のトロッコ体験乗車ツアー。千寿ヶ原雪まつりの一環として、2/9〜11、及び16・17日限定で「博物館を見学して トロッコにのろうよ!」というイベントを実施しており、日頃、乗車することができない立山砂防軌道のトロッコ線に乗車させてくれるのです。僕は立山駅9:58着の電車で博物館に行きましたが、意外にもすんなりと11時からの便に乗ることができました。体験乗車は一日4回×40人と限定されていますが、状況に応じて臨時便を出したりしていました。これはまた非常に楽しい体験をできたのですが、それはまた別の話。次の週末、まだやっていますし、機会があればぜひ行ってみてください。
 今日は、一昨年末に出した「遊覧鉄道に乗ってみたい!」で掲載した立山砂防軌道のルポを再録します。
 11日に乗ったのは津之浦下流砂防ダムまでの800mの支線(今は軌道線運転者用の試運転路線として使用)でスイッチバックは2箇所のみ。でも、1999年に博物館の「学習会」で乗ったのは18.2kmの長さと42段のスイッチバックを抱える本線の方でした。安全上、様々な問題があるので一般客を立ち入らせることはできないのですが、砂防事業の目的を国民に理解してもらうため……という名目で、年に十数回、「野外体験学習会」という名目で、僕ら一般人も体験乗車することができるのです。今は以前よりは倍率も下がっています。ホームページからも申し込めるようにもなりました。ただ、秋の紅葉シーズンは5倍を超えるとか、抽選に当たるのはなかなかの難関です。
 いやあ、ここのトロッコから見える景色は日本最強です。こちらも機会があれば、というか鉄道好きなら死ぬまでに一度は乗らねば後悔すると思います。
 と言うことで、以下はそのレポート。

立山砂防軌道


1998年から突然始まった立山カルデラ砂防博物館の野外体験学習会

 昔からクジ運が悪かった。
 4歳の時、カルピスの懸賞で名作劇場の主題歌レコードに当たったことがある。だが、それ以来、クジというクジでハズレをばかり引き続けた。そのため博打とかパチンコとか一か八かの勝負に手を出さないよう心に決めている。
 そんな地味な人生を歩んできたのだが、1998年のある日、興味深い記事を朝日新聞で見つけた。記者が立山砂防軌道に体験乗車したというレポートである。注目すべきなのは、記事の最後。今年から抽選で一般の人も乗車できるようになったという。えっ、立山の砂防軌道が乗れるの! 鉄道マニアにとっては驚きの情報である。
 砂防軌道の魅力は筆舌を尽くしがたい。
 起点の千寿ヶ原は富山地方鉄道立山駅の地区にあり、そこから水谷出張所までナローゲージ線が続いている。下界から上流部にある砂防ダムまで工事資材や人員を運搬することがその主な使命である。
 永年、富山平野を流れる常願寺川では土石流や洪水の被害が相次いでいた。それを食い止める砂防ダムを築くのための工事用鉄道として建設され、1929年に千寿ヶ原〜樺平間が開通。最難関区間であった樺平〜水谷間はインクラインで結ばれていたが、1965年軌道線が開通している。
 そんな軌道線が今でも生き残っている。それだけでも十分に神秘的なのだが、趣味的に気になるのは、18.2kmの路線に42ヶ所のスイッチバックが設けられているという点だ。樺平〜水谷間には18段連続のスイッチバック区間もあるという。この間、トロッコ列車は行きつ戻りつしながら急峻な山あいを乗り越えていく。勾配を緩和するためのやむを得ない処置だったのであろうが、それゆえに世界でも類をみない複雑怪奇な山岳鉄道が立山連峰に出現したのだ。
 マニアなら一度は乗ってみたいと誰でも思うものだが、関係者以外の便乗は認められなかった。今でも崖崩れが続く危険地帯であるし、線路の規格は一般の鉄道と比べると低い。安全性を考慮すると、むやみに現場へ一般人を連れて行くの危険だ。趣味の人間や物見遊山の観光客を砂防の現場へ連れて行くことには批判もあるだろう。
 稀に「取材」で乗車する人もいる。先の新聞記者もそうだし、紀行作家の宮脇俊三も「旅」誌の取材で現地へ入っている(「夢の山岳鉄道」所載)。ただ、それは砂防という地味な仕事を広く一般に知らしめるためであり、マニアには縁のないことだった。
 ところが、記事によると、立山カルデラ砂防博物館に行けば、そこが主催する砂防ダムの見学会への抽選に参加できるという。水谷出張所までの片道はバスでの移動になるが、行きか帰りかどちらかは砂防軌道に乗ることになるらしい。嬉しい知らせだ。

夢の山岳鉄道 単行本

夢の山岳鉄道 単行本

カルデラ博物館で倍率4倍の抽選を勝ち取る方法

 翌1999年の6月23日朝、阪急バスの夜行便で富山駅前に到着。ここで東京から特急「北陸」でやってくるN氏と落ち合うことになっている。高校鉄研時代の同期で、卒業後も鉄道旅行や郵便局巡りを通じて全国行脚している仲間の一人だ。列車は定刻より10分ほど遅れて到着。
 この日は、駅前で車を借りて上市町立山町などの郵便局22ヶ所を回り、立山千寿ケ原簡易郵便局旅行貯金を打ち止めとする。その後、立山カルデラ砂防博物館に立ち寄る。入館料は400円だった。
 窓口で立山砂防軌道の乗り方、じゃなくて見学会への申込の仕方を聞いてみる。
 まず、入場券の半券を所定の応募用紙に張り、希望の日時など必要事項を記入する。それを博物館に送り、抽選の結果を待つ。今年の受付枠は、昨年の倍の400人ほど。すでに申込を締め切った7〜8月は倍率が4〜6倍とかなり高かったが、秋だと比較的取りやすいかもと説明を受ける。
 この当選率だと半券2枚で1人行けるかどうか微妙なところである。予想していたとはいえ、かなり厳しい状況だ。
 ふとひらめいた。申込用紙に半券を貼り付ければいいのなら、入場券をあと数枚余計に買えばいい。カネはかかるが、そちらの方が確率は上がる。いい案だ。
 ただ、懸賞目的で何枚も買い求めたら怪しまれないか。しばし躊躇した後、受付の女の子に聞いてみると、「そういう方、ときどきいらっしゃいます」と微笑む。マニアなら誰でも同じことを考えるのか。
 小人用でもOKということなんで、200円の入場券を10枚購入。これで12人分の応募券を集めることができた。
 その2ヶ月後の8月末、博物館からハガキが3枚やってきた。申し込んだ12名のうち4人分が当選した。余った二枚はN氏の知人に連絡して引き取ってもらった。

朝イチの立山芦峅寺に響くトロッコ軌道の響き

 参加予定日は1998年9月29日。雨天だと中止になるらしいので、天気が崩れないことだけを祈りながら再び阪急バスに乗り込む。
 富山駅でN氏とその知人たちと合流し、富山地方鉄道立山行き普通列車に乗り込む。10030形2両編成は昔京阪特急に使われていた車両である。乗客はまばらであった。寝不足気味の体を休めるにはちょうどいい。
 立山駅着は8時。博物館へ行くが、集合時間まで1時間ほどあるので砂防軌道の車庫を見物しに行く。
 朝早くにもかかわらず、2台のディーゼル機関車がアイドリングし、見学列車を牽引する準備をしている。それだけでない。ヤードでは貨車の入換をしている機関車もあるし、その先にある三角線の脇では水谷駅からやってきた客車列車が到着。砂防事務所職員が十人ぐらい降りてくる。思っていたより本格的かつ大規模な路線のようだ。
 資料を見ると、この線には北陸重機製の機関車が8両、保線などに使われるモーターカーが2両、9人乗り客車が12両、そして貨物が100両以上あるという。
 操車の作業を見ていると、運転手がモーターカーに乗り込み、本線に移動していく。水谷方面へ行くのだろう。慌ててカメラを取り出し、その姿を追いかけていく。


 その直後、ディーゼル機関車とトロッコ客車3両がホームに現れ、先行列車に続行して発車する。続いて、前と後ろに1両ずつ無蓋車を付けた機関車が現れ、先行列車を追っかけていく。貨車にはスコップや機具をかついだ職員が乗り込んでいる。先に出た客車に乗ったらいいのにとも思うが、寝そべっている方が楽なのも事実。トロッコならではの大らかさだ。
 8時30分頃に博物館へ戻ると、すでに参加者がたくさん集まっており、点呼を取り始めていた。
 今日の乗客、いや見学客は40人。20人ずつ2つのグループに分かれ、片方は先にトロッコで水谷駅へ行き、帰りはバスで下山。もう片方はバスで水谷駅へ行き、帰りにトロッコで下山という形になる。名簿を見ると、私たちは行きにトロッコに乗車する組に登録されていた。

とりあえずマイクロバスで立山最深部のトロッコ水谷駅へ

 ただ、行程表を見ていると、一つ困ったことが生じた。解散予定時刻が16時30分になっているのだ。
 この日の夜、滋賀県長浜で会合があるため、立山16時16分発の普通に乗り、富山18時5分発の特急「しらさぎ」に乗るつもりでいた。これにはギリギリ間に合わない。
 係員の方に相談すると、帰りにトロッコへ乗る組は解散予定時間が16時と少し早いという。登山鉄道に乗るならば、やはり下界から山へ登って行く方が楽しい。だが、致し方ない。ここでN氏たちと別れ、私だけ別行動を取ることになる。
 10分ほど砂防に関するビデオを鑑賞した後、マイクロバスに案内される。見学客20人と案内役が乗り込み、9時30分に博物館前をスタートする。
 有峰口から林道に入って山あいへと分け入っていく。思っていた以上に悪路が続いている。舗装区間もあるのだが、急カーブが連続していてスピードが出ない。最初、はしゃいでいた子供たちは車酔いしたのか静かになっている。
 途中、砂防ダムや展望台に差し掛かると、バスから降りて見学タイムになるが、それもだんだん疲れてきた。他の乗客も同様な気分のようだ。重苦しい雰囲気が車内に漂っている。砂防事業の意義深い目的は理解できたし、寄り道はいいから早くトロッコに乗せて欲しい。
 2時間ほど山道に揺られて立山砂防水谷出張所に到着したのは11時半になっていた。標高1100mの山中に位置するが、思っていたより心地よい気候だ。寒さ対策で持ってきたコートが邪魔になっている。
 水谷地区は上流部における砂防作業の拠点である。上流にはダム施設が建ち並び、トラックや重機が行き交って砂ぼこりが飛び散っている。立山黒部アルペンルートの高原バス(美女平〜室堂)の弥陀ヶ原バス停と4kmほどしか離れておらず、下界から隔絶された秘境であろうと想像していたのだが、実際は華やかさとは縁遠い場所だった。
 トロッコ線の駅へは、ここから1kmほど歩くことになる。その途中、石橋を渡るのだが、コンクリートで塗り固められた路面にはナローゲージのレールが埋め込まれている。かつて水谷駅から2?ほど東の白岩地区まで線路が延びていた名残である。続いてトンネル。300mぐらいはあっただろうか。意外と長い。
 水谷駅には山小屋風の事務所があり、ここでトロッコで上がってくる別グループを待つことになる。側線ではディーゼル機関車が2台並んで休んでいる。他のマニア達と見物しに行くと、作業員の人たちが丁寧に案内してくれた。
 1時間ほどしてからだろうか。ようやくディーゼル音が聞こえてきた。千寿ヶ原からの便がやってきたのだ。
 別グループの一団がトロッコから降りてくるが、マニアの連中は側線に入る機関車を追っかけている。すでに乗り終えて満足げなN氏たちもいた。「3列シートやから、景色見たいなら、進行方向左側の席がええよ」とのこと。トロッコ客車は小さいので、車内ではあまり自由に席を移動できないということらしい。
 係員の案内で今度は僕らのグループが水谷駅へ向かう。
 乗車する列車はすでに機回しを終えていた。客車は3列×3席の9人乗り。2両目の真ん中列左側の席を確保できた。

ひたすらスイッチバックを繰り返すトロッコに揺られて

 乗り込んだ後も20分ほど待たされたが、13時50分、ようやく準備が整い、軽い笛と共に動き出す。18kmの旅の始まりだ。
 水谷駅の貨物ヤードを抜けると、小さな橋を渡る。比較的広いスペースはここまで。後は右に絶壁、左に崖という凄まじいシチュエーションをカタコトと進んでいく。聞きしに勝る登山鉄道だ。脱線して転覆すればひとたまりもない。
 意外にも乗り心地は悪くなかった。もともと砂防が必要なぐらいだから地盤は軟弱で、崖崩れの被害も頻発していると聞く。そんなこともあってか路盤のバラストは十分なぐらい固められている。
 ただ、急カーブは連続している。右へ左へ、線路が向きを変えるたびにミシミシミシと連結器のきしむ音が聞こえる。
 トンネルが見える。線内最長の水谷トンネルだ。手や顔を出さないでと注意が飛ぶ。
 2分ほどしてようやく明るくなると、左手に眺望が開ける。窓からちょいと顔を出して下の方を見ると、緑に覆われた森の中に一つ、二つと白い帯のようなラインが浮かび上がってくる。これがあの噂の18段スイッチバックなのである。
 機関車はやがてスピードを緩め、下からやってくる線路と合流するポイントを通過。そのまま車止めに近づいていく。
 あっ、停車するのか、とカメラを構えた瞬間、いきなりバックを始める。何かバネの反動を利用したような戻り方である。ポイントのランプが右から左に代わり、客車を先頭にして推進運転を始める。

 続いて2段目、3段目。思っていたよりもスムーズに線路の切り替えが行われているが、電動化されている風にも見えない。添乗する係員に尋ねると、運転手が車内でリモコンを操作すると、自動でポイントの向きが切り替わる仕組になっているらしい。
 眼下に谷底、そしてトロッコが支えてきた砂防ダムを眺めつつ、行きつ戻りつを繰り返す。半径7mという考えられないようなカーブ、それに鉄道模型のような小さなガータ橋も乗り越えていく。

 18回目のスイッチバックを終えると、樺平駅である。駅構内を通過すると、保線工事の係員がこちらを見て手を振ってくれる。
 その後も前進、後進とこまめに切り替えながら常願寺川の深く削られた谷沿いを走っていく。
 素堀のトンネル、線路を覆うようにして張り出ている岩石、滝が打ち付けるトンネル。これまで国内のみならず世界中の鉄道を乗ってきたが、ダージリン・ヒマラヤ鉄道に匹敵する、いや眺めだけならあの鉄道すらも超越する風景が連続して現れる。

 途中には信号所が3ヶ所あった。そのいずれにも詰所があり、列車の行き違いに備えてホームで係員が待機している。作業員たちの休憩所もあり、ちょっとした村のような感じになっている。でも、残念なことに、対向列車が先に入線しており、見学列車は通過するだけ。せめて一ヶ所ぐらい停車して欲しかったというのが本音の所だ。
 発車から80分。立山開発鉄道立山ケーブルカーの路盤と並行すると、まもなく終点の千寿ヶ原である。15時15分、最初聞いていた時刻より45分も早い到着だった。
 42回もスイッチバックを体験したが、まだまだ乗っていたい。だが、役目を終えた機関車は、客を降ろすとすぐに車庫へ引き上げていった。余韻に浸る時間もないほどあっけない旅の終わりだった。