夕暮れ時に電車の窓から見えるアカネ色の空が好きだ。

katamachi2008-05-15

 先日、ヨーロッパに行ったときのこと。
 ブカレスト行きの国際列車がブルガリアルーマニアの国境を越えるとき、窓からその境界を流れるドナウ川を眺めていると、遠く西の空が真っ赤に染まっていた。イスタンブールから20時間以上かけた旅の終着点が近づいていることを想い、その色の変化をしばし眺めていた。
 それからまもなくして、さて自分のコンパートメントに戻ろうかと思っていると、隣の窓で夕陽を眺めていた男と眼があった。「Welcome Romania!」と声をかけられた。彼は仕事先から1年ぶりの帰国。すぐ側で何を見て何を考えていたのかは分からない。ただ、「ああ、この夕陽はキレイだなあ」という気持ちだけは僕と変わらなかったはず。
 昔から、電車に乗って、夕暮れに赤く染まる西の空を窓から眺めているのが好きだった。大学からの帰りはいつも進行方向左側の扉側に陣取り、文化住宅やビルの隙間を覆うようにして広がる色の変化に魅了されていた。

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 月に一度くらい、やたらと天候とか雲の量とか光線とか色加減とかが絶妙になる日がある。その時は、車内の他の乗客も西側を見つめている。全員ではないにしろ、意外に多く人が見ているものだ。
 もちろん、女子高生も、サラリーマンも、おばあちゃんも、それぞれが今抱えている問題は別々である。見知らぬ乗客同士で会話が成立するはずもない。次の駅に着いたら何人かは降りるのだろう。でも、その一瞬、一瞬は、自分の現在やるべきことを忘れ、ただ夕暮れ時の美しさを見守っている。
 旅に出ていると、そのことをさらに実感する。北海道の湿地帯を行く気動車からも、東京の満員電車からも、瀬戸大橋を渡る特急からも、もちろん大阪の僕の使っていた路線からも、夕暮れ時となると赤い太陽を見ることができる。どこにいてもそれは同じ。
 海外にいてもそう。モロッコの海岸に落ちる太陽を見たとき、ああ、これは日本から中国、インド、中東、東欧を経て8時間遅れでやってきたんだな。そんなことをシミジミ考えていた。
 通勤電車でも旅先でも日本でも海外でも、僕たちは同じ夕陽を見ることができる。ああ今日も終わりだ。そろそろうちに帰って、メシの時間かな。夜はなんかいい番組ってあったかな。窓に顔を当てて西空を見ていると、小さな時の気分に帰れるような気がする。
 と共に、いま乗っている電車が二本のレールによって実家のある街へと繋がっている。住んでいる街も、遠く離れた日本のどこからも、世界の辺境でも、夕陽の鮮やかさは一つの気持ちに繋がっていく。そんな錯覚を僕はいつも心の中で楽しんでいた。

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 最近見たちょっと良かった夕陽の画像をいくつか。


 アフリカ・マダガスカル島西部のムルンダバ(ムルンダヴァ)という街。たまにトラックと牛車が走り抜けるだけの街道の両側には自生の巨大バオバブが建ち並んでいる。僕が行った日は凄く光線の具合が良くて、刻一刻と空の色が変化していった。キツネザルのいる森林公園から帰ってくるサファリーツアーの休憩点にもなっいて、何十人ものの欧米人旅行者たちが僕の隣で空を眺めていた。みんなそれぞれの故郷の姿を思い出しつつ、今日、ここで大勢の人間と夕陽を共有できたことの満足さを噛みしめているに違いない。

 JR北海道石北線生野駅にやってきたステンレスの気動車を赤く染める。一日3本しかこない、ホームの長さ15mほどという無人駅もその時間帯だけは停車するときのブレーキ音が鳴り響く。それが終われば、再び広大な畑作地帯に包まれた静寂が戻ってくる。

 名古屋の東部丘陵線リニモ)の万博八草駅。愛知博が始まる数ヶ月前で、会期に先駆けてのスタッフによる大規模的な練習がなされていた。そのときの風景。なんだか、こことこの鉄道が次の世紀へと繋がっていく未来都市みたいな感じがした。

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 こんな都合のいい色彩でなくても、ちょっとした夕焼け空は人の心を一方向に向けさせてくれる。赤の他人でもその一瞬だけは同じことを考える。気持ちのどこかで隣の人と、そして遠くで見ている人たちと気持ちを共有することが可能となる。
 でも、いつもそんな都合良く物事は進まない。
 前の週末、夕方は京都と大阪を結ぶ電車の中にいたのだが、夕焼け空を見ることはなかった。天気が悪くて色の変化が目立たなかった。気分がそれどころでなかったというのもある。今日、仕事場から久しぶりに西空を眺めてみたが、建ち並ぶビルやアパートの向こうはさほど色が際だってはいなかった。雲の量が多くて、陰影がつきにくかったのか。
 残念ながら、天候や気持ちの上で他者と夕陽を共有できない。そんな日もある。いつも僕の期待した通りにはならない。となると、また次の日、太陽が東から昇って、西へと沈むときの状況に期待するしかない。次に、きれいな夕陽が見れたら、なにかいいことがあるかもしれない。そうなることを信じたいと思うのだけど、それはまた別の話。

追記

 いろいろ思うところがあって、21時頃に文末を修正しました。今日の午後は、仕事場でこれを思い出しただけでも赤面していました。昨晩書いたこの日記を全部消そうかと思ったのだけど、自らの反省の意もこめて残すことにします。
【本日の教訓】

  • 深夜におセンチなことを書いてはいけない
  • どうしても載せたくなって書いてしまっても、とりあえず12時間は待たねばならない
  • 柄にあわないことを書いても、読者は誰も興味を示さない
  • 自意識過剰なことを書く前に、まず鏡を見ろ