オタクと大塚英志と宮崎勤と秋葉原通り魔殺人事件と彼らの世代

katamachi2008-06-19

 昨日(08年6月18日)、評論家の大塚英志朝日新聞の文化面で書いていた「この20年で失われたもの 宮崎勤死刑囚の刑執行に寄せて」が興味深かった。
 いまのナウなヤングは皮膚感覚として理解していないかもしれないけど、大塚って、オタク論壇というものが初めて出現した1989年から数年は斯界の主要プレイヤーであり続けた。
 そもそも「オタク論壇」が生まれたきっかけが、宮崎勤による東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件だったというのは言うまでもない。その数年前から、大塚は『システムと儀式 (ちくま文庫)』(単行本は1988年)と『定本 物語消費論 (角川文庫)』(同1989年)に連なる一連の論考で、アニメマニアのみならず、業界関連者からもかなり注目されていた。押井守も、彼の著作をかなり読み込んでいたと後のインタビューに答えている。これまでの「大きな物語」が終焉すると共に、消費者がその物語を自己流に解釈して消費していく時代が到来することを予見し、実際、角川書店が彼をキーパーソンとして使っていたのは周知のことである。
 と、共に、大塚は、自分たちの隣から出現した宮崎勤についても積極的に発言していく。

オタク論壇の先駆けだった大塚英志に集まった注目

 宮崎の出現を言語化できなかった当時のマスコミは、ただ恐れおののき六千本のビデオテープとエロ雑誌が散らかる彼の部屋を映しだたして、彼と僕らのコミュニケーション不足を嘆いてみせ、その性的嗜好?への批判を繰り返し、気味悪さを「オタク族」なるものとして揶揄してみせた。
 でも、大塚は、「彼の側に立ってこの事件について考えていくことを決め」(上述、朝日記事)、数々のインタビューに応え、記事を書き、同年末に論敵だったと中森明夫と共に「Mの世代―ぼくらとミヤザキ君」を上梓。オタク(大塚的には「おたく」)の側から彼とこの趣味を語っていくという流れを作り出す。
 大塚は、朝日記事で当時のことを、

 被害者側の立場に立つ、というスタンスがメデイアや人々の一般的なスタンスとなった今、あの時のぼくたちの取った態度はひどくわかりにくいかもしれない。しかし、そのことがこの20年に起きたことの本質のように思う。あの時、メディアはこれは(まだそう言う名は一般的ではなかったが)「おたく」文化が原因だといい、ぼくたちがしかし、事件について考えることを引き受けたのは、そういう順番が自分たちに巡ってきたのだと受け止めたのだ。

と回想する。60年代や70年代の永山則夫連合赤軍事件のとき、当時の若者たちは加害者と自分たちとを重ね合わせ、「自分たちの問題としてそれを引き受ける」ことをしてきた、と。宮崎事件については、自分たちの問題として考える機会が来たと感じたそうだ。
 1989年は印象的な年だった。昭和天皇手塚治虫が死に、テレビアニメがどん底の低迷期にあり、宮崎駿が「魔女の宅急便」で初めて商業的に成功し、コミックマーケットが質量とも急速に拡大し、そして宮崎事件も起きて「オタク」という人種が初めて対外的に、そして自分たちに承認された年でもあったのだ。
 確かに、宮崎事件の後、オタクたちでナイーブな層の連中は、「自分たちはここ(=オタク文化)にいてもいいんだろうか?」といろいろ考え始めた。今まではただ好きだからここにいただけなんだけど、それはどういう意味なのか。自問自答しないとやりづらいが到来した。
 そして、宮崎事件以後、宮台真司香山リカ岡田斗司夫などサブカルオタク文化を背景とした論者たちがこの世界に登場した。「エヴァ」ブームの後、この世界は一つのジャンルとして成立することになる。90年代後半になると、大塚は別なステージへと移動していく*1

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

Mの世代―ぼくらとミヤザキ君

Mの世代―ぼくらとミヤザキ君

秋葉原無差別殺傷事件と彼らの世代

 さて、この朝日の記事。もちろん、宮崎勤の死刑が執行されたのを受けての記事であるのだが、彼の視野の先には先日の「秋葉原通り魔殺人事件」と加藤智大容疑者を巡る言説があるのは当然のことであろう。
 正直、大塚ら「オタク第1世代」(1960年前後生まれの世代)、僕も含めた「オタク第2世代」(1970年前後生まれの世代)は、1989年に東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件というものを経験してきている。多かれ少なかれオタクってなんなんだろうという疑問にはぶち当たっていた。もちろん「彼は別物だから」と自分たちと切り捨てて見ないふりをしている人たちも多かったけど、それでも自分たちの問題として事件を考えざるを得なかった。
 ゆえに、宮台の「某全国紙に掲載されるはずだった秋葉原通り魔事件のコメント」や東浩紀の「絶望映す身勝手な「テロ」 秋葉原事件で東浩紀氏寄稿」などのコメントは納得して読むことができる。大塚の毎日新聞へのコメント「秋葉原殺傷事件 問われる「社会の責任」は比喩的かつ断片的で理解しづらいが、朝日の記事とあわせ読むとその主旨は分かりやすい。
 大塚は朝日の記事でこう続ける。

 自分たちの問題として、というのはしかし、ただ自分たちの世代に限定的な問題としてではない。少し前、秋葉原の事件の報道において一部のニュースのコメントなどでぼくは久しぶりに「社会の責任」としてこの事件を受け止めるべきだという声を聞いた気がする。この20年間で失われたものがあつたとすれば不幸な出来事を自分たちの問題として受け止めていく「社会」という責任主体のあり方だ。

 大塚の指摘する「社会の責任」とは、もちろん「社会が悪い」という定型句での批判ではないのだろう。そんな言説は意味がない。むしろ、「不幸な出来事を自分たちの問題として受け止めていく」覚悟が必要だということなんだろう。
 幸か不幸か、加藤容疑者と同世代の「オタク第三世代」(1980年前後生まれ)とその下の層は、20年前の宮崎事件を肌で知る経験はなかった。彼らには、昔の「新人類」に通ずる、ある種の浮遊感が漂っているような気がしてならない。オタクの世界で戯れることにどこか無邪気でいられる、「ある意味で羨ましく、ある意味で気の毒な人たちだなあ」と僕は感じてきた。
 正直、ここ数日、ネットで広がる言葉には、この事件をどう捉えればいいんだろうかという焦りのようなものを感じる。彼ら若い世代には未知の領域なのかもしれないが、どこか極端な言説が飛び交っている。1989年の時とは違い、誰もが簡単に意見を述べることができるようになったからこそ、玉石混淆の「石」の部分ばかりが目立っている。
 今回の事件は加藤容疑者の特異な犯罪であり、それをもって何かのグループを批判するのは難しい。と、共に、派遣労働やアキバ系格差社会や家庭環境や非モテやなんやらにのみ原因を求めるというのも単純化し過ぎである。マスコミ報道に過剰反応するのも妙だし、オタクやアキバ系であることに偽悪的な言説を繰り返すのにも違和感がある。彼は特別ですから……と自分たちと切り離してしまうのもどうかと思うし、かといって、必要以上に感情移入してしまうのも変だ。
 大塚は、

 この喧噪が過ぎ去るのはほんの幾日か後だろう。

としている。実際、大手マスコミの扱いはかなり小さくなっている。
 そして、あとしばらくすれば、彼と同世代の人たちから、「自分たちの問題としてそれを引き受け」て語り始める人たちが出てくるのだろう。少なくとも、僕はそれを期待しているのですが、それはまた別の話。

*1:今日でも『物語消費論』とその続編とも言える作品群はそれなりに注目はされているが、やはり彼は「『物語消費論』の人」という位置づけ以上のものではない