カルトな鉄道マニアが愛した別府の遊園地ラクテンチケーブルカーを訪ねて。

 別府市の老舗遊園地「別府ワンダーラクテンチ」が十一月末でいったん休園となることが五日、分かった。
ラクテンチ今月末で休園へ大分合同新聞、2008年11月05日

 山陽新幹線0系が08年11月、そして東京発九州行きブルトレが09年3月に廃止......と報じられている中、この秋、チャンスがあれば九州へ行ってみたいと思っていた。
 そんな中に飛び込んできたのが上のニュース。大分は別府温泉にある「別府ワンダーラクテンチhttp://www.wonder-rakutenchi.jp/という遊園地も今月末で休止になるという。
 このラクテンチ。戦前から続く由緒ある遊園地である。地方の小都市にしては珍しい。絶叫マシーンが導入されることもなく、昭和期っぽいレトロさと、遊園地が子供向けだった頃の色遣いと、「探偵ナイトスクープ」の"パラダイス"的なニュアンス。それらが色濃く残っている所である。
 そんな前時代的な遊園地は大都市部からほぼ一掃されているので、興味深いと言えば興味深い。ただ、それだけなら鉄道マニアが飛びつくはずもない。
 ここが屹立しているのは、温泉旅館が密集している平野部と、山の中腹にある遊園地とを結ぶ坂道に、園直営のケーブルカーが運転されている点。しかも、これ。戦前の1929年、鉄道省から地方鉄道法の免許を受けて開業した本物の鉄道会社の施設だった。延長キロは300mにも満たないミニ鉄道ではあるのだけど。

ラクテンチケーブルは、鉄道マニアが「日本の全鉄道完乗タイトル」を目指すための最大の関門だった

 今でも岡本製作所という遊具製造メーカーが国土交通省の監督下で鉄道事業法の許可を得て運営している鉄道であり、その意味ではJR東海西武鉄道銚子電気鉄道などと同格の存在でもある。

 鉄道乗りつぶしなんて趣味がマニアの間で一般化された80年代から、旅行派の鉄道マニアの間では常々、話題になってきた。「おい、あんた、ラクテンチのは乗ったのか?」と。日本の鉄道を全て踏破したいと考えているマニアは少なくない。なら、鋼索鉄道として運営されているラクテンチケーブルも、とりあえずは押さえておかねばならない。
 ラクテンチのケーブルは、遊園地と一体化された施設の一つになっている。すなわち入園料を払わないとお目当てのケーブルカーに乗車することができないのだ。その点、東京ディズニーランドのモノレール(これも旧運輸省の免許線)とは異なる。
 値段は700円(当時)とか決して高くはない。その出費に文句を言う人はいないだろう。ただ、独身男の鉄道マニアが、遊園地を1人で訪ねるのには様々な葛藤が必要だ。知り合いのいない地方都市とはいえ、正直、気恥ずかしい。そして、そんな世間体への未練に打ち勝った物だけが、来るべき「日本の全鉄道完乗タイトル」という栄光に向かって走ることができる。
 僕はラクテンチ初体験を大学一年生だった1991年に済ませている。いろんな意味で勇気が必要だったが、乗車してしまえば、他の鉄道マニアに"自慢"できる。一部の乗り鉄を除けば、こんなケーブルカーなんてマニアでも誰も注目していないからだ。
 それが今年11月で休園。ここから復活できる芽はあるのか。なかなか難しい。
 ならば、もう一度、行っておかねば......と思い、みどりの窓口で17日夜京都発(18日0:36)の特急「富士」のB寝台下段の切符をゲット。一路、大分へ向かった。平日夜ゆえにベッドはほとんど空いている。B開放式寝台の乗車率は25%を割っている。これでは廃止も致し方ないのか。
 日豊本線はダイヤが乱れていて、杵築などで運転停車、徐行が連続する。
 大分着11:31。定刻より14分遅れの到着だった。
 他の鉄道マニア同様、老いさらばえたブルトレの姿を撮影した後、別府へ向かう普通を待つのだが、なかなかやってこない。日出行きに乗って別府に着いたのは予定より25分遅れの12時20分になっていた。

おとぎの城とケーブルカーが中年男一人旅の僕を待ち受けてくれた

 ラクテンチ方面行きの亀の井バスは、駅の海側のバスターミナルから出る。1時間に2本運転で、次は12:45発だ。ケーブルカー乗り場は駅から2kmほど離れている。
 別府の山手にある住宅地を抜けていくと、道路の向こうに白とピンクと黄色で彩られた建物が見えてくる。絵本で子供が喜びそうな「ケーキで造られたお城」というイメージか。昔はもっと地味な作りだったので、現経営者の岡本製作所が四年前にリニューアルしたときにデザインし直したんでしょう。

 ここに三十路半ばの中年男が1人で入るのか......
 初めて訪ねた19歳の時はかなり羞恥心はあった。でも、今は、ケーブルーのため、パラダイスな遊園地を見るためと割り切りが付いている。それがオトナになった証なんだろうな。
 窓口に行って、切符を一枚購入。ホームページに割引券を出したら100円おまけで、900円也。最近は鉄道マニアの個人客も多いんでしょう。窓口の女の子も事務的に対応してくれる。
 次は13:00発。写真を撮っていたら、「もう出ますよ」と急かされ、乗り場へ直行する。

 下の駅は正式には雲泉寺駅(ラクテンチ下駅)。ここから山の中腹にある乙原駅(ラクテンチ上駅)まで253.5m。時間で言うと2、3分の距離だ。
 私の乗車を確認すると、女性の添乗者(車掌に相当)が出発を確認。ゴトゴトと音を立てて扉が閉まる。客は1人のみ。
 そして13:03出発。僕を待っていたので定刻より3分ほど遅れているが、そこらの融通はミニ鉄道なんでなんとでもなる。
 このケーブルカー。名前は、2号車「ライト」号。派手派手な塗装とは一転、車内はかなり地味なんだけど、きちんと掃除はされていて、小綺麗にはなっている。スタッフからは愛されているんだろうな(大阪のアルナ工機の1973年製 阪急系のアルナ車両、台車は1954年製と国内で現役最古参)。
 鋼索(ロープ)に引っ張られてスルスルとレールを登っていくと、ラクテンチ上駅舎の真上に観覧車のミニ版みたいなのがくるくると回転している。昭和テイスト満載の遊具が、ただ1人の乗客である僕を迎えてくれる。

 やがて中間部の交差地点に差し掛かる。
 対向してくるのは1号車「スター」号。真っ赤に塗られた車体はインパクトはあるが、これも50年以上前の車両だ。

 ひと息に行き違いをして、後部に視点を移すと.......眼下に別府の街と湯けむり、そして海岸線が一望できる。遠くには大分のコンビナート。別府に来るのは4年ぶりなんだけど、この街、ヨソ者が思っているより意外に大きいんだよね。

 とか、考えていると、もう終着駅が近づく。
 13:07、ラクテンチ下駅に到着。わずか235mの旅は終わった。

 待ち客がいないからか、黄色のライト号はすぐ出発。さっきの女性添乗員と共に下っていく。今度は代わりに赤色のスター号が上ってくるのだが、こちらは無人。平日の昼間、しかも長期休園の直前。客がいないとはいえ、いいのかなあ。
 さて、

という案内に従って、外へ出てみる。
 駅舎はこんな感じ。遊具とピンクのペンキに埋もれているけど、一応、木造の趣きのある建物でした。


「この後、ケーブルカーってどうなるんです?」という質問はできなかった

 列車に乗ること5分。鉄道マニアとしての用件は済んだ。
 この後、日本で唯一(たぶん)と思われる遊園地内のホンモノの温泉に入り、なぜか園具よりも熱心に管理されている「動物園」を訪ね、小一時間ほどこの温泉町の外れにある園内を散策した。来客が私を含めてわずか3名。途中で2人ほど加わったが、それでも5人。園内には十数カ所の有料施設が存在するのだが、そのほとんどにスタッフすら配置されていない。晩秋の平日とは言え、これでは遊園地を維持していくのは、いろんな意味でキツいのかなあと思わざるを得なかった。
 小倉へ行く特急電車の時間もあるので、14時過ぎにはラクテンチ上駅へ戻った。


 ※運転間隔は20分毎だが、来園客の動向により随時臨時便を運行している。朝9時の開園前から従業員輸送も兼ねて運行を行っている
 駅舎の乗り場では、ちょうど昔の写真の展示がなされていた。開業まもない頃のケーブルカー、団体さんで賑わっていた高度成長期。このケーブルカー、そして遊園地がまだまだ輝いていた当時の面影を感じ取られた。あくまでも別府温泉へ来る観光客じゃなくて、地元・大分の人たちの施設だったんだろう。

 それが、観光重要の変化、遊園地離れ、少子化、施設の陳腐化……そうしたものを背景として、利用者が激減していく。私が前に来たのは1991年。まだバブル経済の香りが残っていた時代だったが、その時でも明らかに施設は老朽化し、時代遅れになっていた。遊園地経営にとって厳しい時代が到来していた。それから17年間、よくスタッフたちによって維持されてきたんだ……と考えるしかないのかもしれない。
 次は20分発か...と駅舎の待合室で1人、たたずんでいると、いきなり強風が吹きすさむ。その拍子で木製の扉が開いた。その向こうはケーブルカーの心臓部である機械室。戦後、復活したときから50数年間、この異形の"鉄道"を守ってきた機械たちがそこにはいるのだろう。ぷーんと油の匂いがした。
 さすがに勝手に入るのははばかられたので、ちらっと部屋を覗き見する程度にする。入口の脇には、九州運輸局の張り紙、そしてケーブルカーの緊急時の連絡網が掲示されていた。ここが、戦前の鉄道省から運輸省、そして国土交通省鉄道局の免許行政の元で80年近く維持されてきた
 そろそろ出発か。時計を見ていると、年配のスタッフが姿を現した。声をかけられたんで、関西から来たんです、と応えると、最近、遠くからのお客さんが増えてきてねえ。なんて話をしてくれた。
 たぶん彼がここの責任者なのであろう。そんな超ベテランならいろいろ逸話も持っているのだろう。そして、この遊園地。11月末で休園となるけど、その後、どうなるのか。いろいろ聞いてみたいこともたくさんある。
 でも、聞けなかった。
 今度、休園しても、来年春、シーズンが始まってから再開する見通しがあるのか。正直、この遊園地に可能性があるとは思いにくい。他の用途で使うにしても、コストがかかるし、施設のリニューアルも必要であるケーブルカーを維持するということは、ちょっと考えにくい。大量輸送するほどお客さんは恒常的に来てくれるわけもないし、すでに施設の裏側へは舗装道路が繋がっている。それを知っていて「どうなるの?」とヨソ者が訪ねるのは失礼であろう。
 ちょっと話に詰まったんで、代わりに聞いたのが遊園地側の地元の方の話。施設の裏側に駅名の由来ともなった「乙原」という集落があり、公民館を中心にそれなりに人家がある。以前から、ここの人たちも、運賃を払って園内のケーブルカーを利用して下界の集落との間を行き来していた。基本的には、来園客へは以前から入園券とのセットで販売している(クルマで裏側の駐車場から入園した人は、300円/枚の園内共通の乗物券を出せばケーブルカーにも乗れるらしい)。じゃあ、地元の方向けには個別で切符を販売しているんだろうか。かねてから疑問だった。
 お話しによると、地元の自治会と会社側との話し合いで、運賃のやりとりはしていないらしい。で、たまに地元の方の利用もあるけど、通勤や通学で使う人はいないんだとか。

大きな地図で見る
 となると、昔はどうだったんだろう。運輸省陸運局はそういう扱いを認めてくれるのか。
 いろいろもっと聞きたい。この謎の鉄道について、もっと知りたい。
 そんな思いもあったのだけど、14:20。発車の時間がやってきた。おじさんももう少し話したそうな雰囲気だったけど、さっきすれ違ったカップルも乗り場に来ているので待たせるわけにはいかない。
 行きと同じ女性スタッフに促されてホームのケーブルカーに乗り込む。車両はさっきと同じ黄色のライト号だった。

 乗車3分。14:23に下駅に到着。
 別府駅からの特急まで時間の余裕がなかったので、窓口でタクシーを呼んでもらった。2kmほどの距離だから余裕を持って到着できた。
 駅でちょっと遅めの昼食を買い、高架上にあるホームに上がった。ふと山手を見ると、山の中腹に先ほどまでいたラクテンチ遊園地が見えている。ロケット型の温泉施設の脇に、「ラ」「ク」「テ」「ン」「チ」と大きくデザインされた文字板が見える。

 次に来たとき。ここはどんな風になっているのだろう。ケーブルカーはまた動いているんだろうか。
 小倉経由博多行きの「ソニック38号」は定刻14:49に到着。自由席に座り、ゆっくりと動き出す電車の窓から再び文字板を見ながら、そんなことを思っていた。
 この後、九州のもう一つのケーブルカーである帆柱ケーブルを再訪し、昨年末にできたというスロープカーに乗って、「日本三大夜景」(自称)である皿倉山で、ナウなヤングのカップル2組と夕暮れから夜の帳が落ちるまで一緒に眺めていたりしたんだけど、それはまた別の話。
(園内での話は、また後ほどに書きます)

追記 その後のワンダーラクテンチの様子

 7月に「ラクテンチ(@別府)ケーブルカーが8月末で廃止か? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いたように、数年前からラクテンチケーブルの存廃はあちこちで話題となった。それからの経緯は以下の通り。

 一九六二年、ラクテンチ西側の立石山に通じる延長六百五十四メートルのリフトが完成。八四年には、約四キロ離れた別府市東山の遊園地「しだかユートピア」まで結ぶロープウエーとリフトもできて、別府湾と市街地、奥別府の山々を一望する「空中散歩」が楽しめた。台風による被害などで九八年に廃止された。
【別府新聞】ラクテンチ今昔

  • 2002年 別府鋼索鉄道→別府国際観光が遊園地の一部としてケーブルカーを運行していたが施設の陳腐化や入場減で閉鎖を検討
  • 大阪の遊園地メーカー岡本製作所が引き受けを表明
  • 2003年11月 岡本製作所が譲受、施設やケーブルカーを休止して全面リニューアル
  • 2004年3月 運行・営業再開
  • 2008年7月 岡本製作所が「8月末で経営を打ち切る方針」。閉園になるのかと地元で話題に。公式サイトにも「閉園のおしらせ」が掲示。同月、入園者は前年同月比で6割増
  • 8月中旬 大分の不動産会社九州観光ホームが譲渡の契約をしたと記者会見(岡本側は他に数社と交渉しているとのみ)。施設名は昔の「ケーブルラクテンチ」に戻すという案も
  • 8月下旬 契約する予定だったが、譲渡交渉が難航。9月1日からの営業譲渡は不可能。岡本が営業を暫定的に3ヶ月延ばす方針。存続を見越して秋の行楽シーズンの団体客の予約があったため(毎日)

 経営不振から八月末での閉園も検討していた別府市の老舗遊園地「別府ワンダーラクテンチ」が九月以降、従業員らの申し出により暫定的に営業を続ける方針を固めたことが二十六日、分かった。経営する遊戯機器メーカー「岡本製作所」(大阪市)は今夏での経営撤退を表明。大分県内の企業一社と詰めの交渉を進めていたが条件が折り合わず、交渉持ち越しが決定的になったのが要因とみられる。
 同製作所は七月、入場者減少により経営からの撤退を表明。当初、八月いっぱいで譲渡先を見つけるか、決まらなければ閉園するとしていた。
 現在、県内の一社を中心に交渉を続けているが、幾つかの条件が折り合わずに難航。譲渡交渉は九月以降に持ち越すことになった。
 同遊園地は交渉が成立するとの見込みから、幼稚園などの遠足の予約を取っていた。「閉園すると来園者に迷惑が掛かる」として、同製作所に営業延長を要望した。延長期間は十一月がめどという。
 今後も数社と交渉を進め、まとまらなければ新たな譲渡先も検討し、泉都の代表的観光施設の存続を図っていくという。
ラクテンチが暫定的に営業継続大分合同新聞、2008年08月27日

 継続期間は最長で3カ月を想定。大分市の不動産販売会社「九州観光ホーム」と譲渡に向けた詰めの交渉を続けているが、今月中の譲渡が難しくなったためだという。
 岡本製作所によると、ラクテンチの譲渡をめぐって数社と交渉を続け、九州観光ホームが「最も先行した状態」だった。園のシンボル的存在の「ケーブルカー」は、鉄道事業法に基づき譲渡先の新会社が九州運輸局から営業認可を受ける必要があり、今月中に認可を受けるのは時間的に難しいという。
別府ワンダーラクテンチ:当面営業を継続 運営会社、譲渡先と引き続き交渉」毎日新聞2008/08/28(リンク切れ)

  • 9月9日 九州観光ホームと岡本製作所九州運輸局へ行って説明を受ける予定(実際、どうなったのかは不詳。ここで九州運輸局へ申請して、認可を受けたら正式に契約することになっていたとも報じられた)
  • 11月 4日に一部新聞が九州観光ホームとの交渉が白紙にと報道。5日以降、大分の各紙、テレビが報道

 その内容は、

  • 岡本製作所は5日、経営譲渡先として基本合意していた不動産業・九州観光ホームとの交渉が白紙に戻った
  • 「先方の経営状態などを勘案して契約を断念した。早いうちに譲渡先を見つけて開園させたい」
  • (九州観光ホーム?と)譲渡交渉を重ねたが、条件が折り合わず、「遊具を残したまま、高級料亭や温泉施設を誘致する」という構想は消えた
  • 10月から別の1社と交渉を始めた
  • 岡本製作所は「相手の経営状態を勘案して断念した」と説明
  • 九州観光ホームは「寝耳に水。断念する意思はない」
  • ただ、国土交通省の許可で運営しているケーブルカーについて許認可の申請については不透明。
  • 「一番の要因は長引く景気の低迷。大阪のジェットコースター事故や少子化などによる入園者の減少もある」
  • 「ケーブルカーの運行には国土交通大臣の許可が必要で、安定的な運行のため、譲渡先には財務力も求められる」
  • 別府市のある職員は「ケーブルカーの認可申請をしたという話を聞かなかったので、こうなるかもしれないと思っていた」
  • 別府市内の観光関係者の一人は「ゾウなど人気の動物がいなくなった。大幅にリニューアルしなければ、ラクテンチが周辺の施設に勝つのは難しいだろう」

 以上、
別府のラクテンチ月末閉園、経営譲渡交渉が白紙に戻る読売新聞2008年11月6日
どうなる“泉都の宝” 休園するラクテンチ大分合同新聞、2008年11月06日


 永年、ラクテンチの目玉であり続けた運輸省国土交通省のお墨付きを得た「ケーブルカー」。これが本格的な物であったがゆえに、他者へ譲渡する際、その許認可の引き継ぎや手続きが面倒になってしまう。維持費なんかも相当かかるのだろう。運輸局もケーブルのリニューアルを求めていたのかもしれない。
 引き継ぎに名乗り上げていた九州観光ホームは、検索エンジンで調べている限り、大分でかなりの規模を持った不動産屋……という訳でもないようだ。九州内で湯布院などの美術館をくいつか、そしてなぜか長野県で「マルク・シャガール安曇野穂高美術館」をやっている。
 同社は高級料亭や温泉施設を誘致するとしていたようだが、それだけの体力があるのか。現・経営陣の岡本製作所はもともと遊具メーカー。大阪のエキスポランドの事故もあって遊園地を取り巻く視線が厳しくなっている中で、安直にケーブルカーや遊具を次の経営者へと委ねるのには躊躇していたのだろう。実際、8月末以降も、九州観光ホーム側が一方的に引き受け手として名乗り上げただけで、岡本側はそこらについて言葉を濁し続けた。
 この後、ケーブルカーがどうなるのか。よく分からない。ただ、「遊園地+ケーブルカー」という80年近い間続けてきた仕組みを維持するのはかなり難しそう。少なくとも、ケーブルカーはスロープカー(嘉穂モノレール社http://www.kaho-monorail.com/)など鉄道モドキの施設にリニューアルされてしまうんじゃないだろうか。
 ホームページには「ワンダーラクテンチは12月1日(月)より休園します」との掲示が出てしまっている。年内最終の11月30日には「ワンダーラクテンチ・フォーエバー!!」と題してプロレスの興業も予定されている。
 この冬、どこかいい引取先が見つかればいいのだけど。う〜ん


<関連>
別府ワンダーラクテンチhttp://www.wonder-rakutenchi.jp/
 ※休園と明示。
ラクテンチ(@別府)ケーブルカーが8月末で廃止か? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」<オススメサイト>
http://www2.ttcn.ne.jp/~kittup/rakutenchi.htm

 別府ワンダーラクテンチは29(昭和4)年に別府遊園として開業。戦後はケーブルカーで登って入園する珍しさもあり、ピークの60年代には年80万人が訪れた。03年からは大阪市の遊戯機メーカー「岡本製作所」が経営を引き継ぎ、現在の名称に改称した。
 休園の最大の要因は入場者数の低迷だ。施設の老朽化や各地にテーマパークができた影響で、04年度に15万人いた入場者は07年度には7万人と半減した。
http://www.asahi.com/national/update/1130/SEB200811300001.html