さよならフィーバーを避けながら0系「こだま」に乗ってみる

katamachi2008-11-26

 0系「こだま」の定期運転最後の日である11月30日が迫ってきた。
 60年代の日本の鉄道における"高度成長"を象徴する新幹線0系。当時の車両はもう残っていないとはいえ、1964年から20年間も造り続けられ、21世紀まで生き残ってきたプロトタイプが消え行こうとする。
 今の30歳代、40歳代、50歳代、それぞれが小さな時に眺めていた図鑑や絵本の表紙を飾っていたのは超特急0系。あまりにも当たり前すぎる電車であったため、正直、80年代頃は鉄道マニアにとって新幹線車両というのはあまり趣味対象とはなっていなかった。その象徴が役目を終えようとしている。気にならないわけはない。
 この夏、「ポニョ」の舞台を訪ねて広島県三原に行ったとき(宮崎駿が鞆の浦を「崖の上のポニョ」の舞台と言いたがらない理由。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月)も新大阪駅から0系新幹線に乗車している。18きっぷシーズン前とは言え、指定席1両は体験乗車の団体客で残席ゼロ。残る自由席5両も乗車率にすると3割程度ではあったが、マニアさんはそれなりにいらつしゃった。
 秋になるとその数も増している。週末になると、朝日の「初代新幹線0系フィーバー ラストランへ異例の警備」、産経の「ファン殺到!「0系新幹線」引退控えJR西が“厳戒態勢”」の記事のような状態になっているとか。
 てなわけで、

  • 最終日とか、12月の「ひかり」としての運転とか、0系にとって非日常的な状態はあまり興味がないので避ける
  • マニア以上に、ライトなファンや通りすがりの観光客が集まりやすい土休日は避ける
  • 新大阪を朝に出る下り2本には特に人が集まりやすいので避ける。
  • 夜間帯の列車はあまり景色も見れないのでこれも避ける

というような観点から、選んだのは博多発岡山行の「こだま638号」。
 17日夜(18日未明)の寝台特急「富士」で大分へ行き、「カルトな鉄道マニアが愛した別府の遊園地ラクテンチケーブルカーを訪ねて。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いたラクテンチケーブルに乗った後、博多駅前の東横インで宿泊。19日朝、博多駅へ向かった。

博多駅発「こだま」は博多南駅からそのまま直通

 「こだま638号」の博多駅発は9:19。
 ただ、7時前に早起きできたんで、まずは博多南駅へ行っておきたい。
 ご存知の方も多いと思うが、博多南線は、未完である九州新幹線(博多〜新八代)の路盤を使って運用されている通勤路線で、0系も含めた新幹線車両が、博多駅車両基地の側にある博多南駅との間を行き来している。九州内にあるけど、運営は山陽新幹線と同じJR西日本である*1
 われらが「こだま」の0系も、前運用として、博多南線博多南駅7:14発、8:17発、および9:07発の上り3本の運用に入る。どうせなら、博多からではなく、博多南から乗り込みたい。
 博多駅8:12発の博多南行き列車は100系4連だった。3年後には九州新幹線も行き交う路盤を進みつつ、博多南駅8:17発の0系6連とすれ違う。これは博多駅到着後、折り返し回送となって博多南駅に戻ってくる。
 その次の上り0系は9:07発なので、それまで博多南駅の周辺をぶらつく。
 8:26発の100系4連、そして8:40発の700系(レールスター)8連がそれなりの通勤客を乗せて出て行くと、通勤のピークを終えた1面1線のホームには静寂が訪れる。車両基地内の新幹線の多くは出払っているようだが、遠くに500系の頭が見える。12月から0系に代わって運用に入る8両「こだま」用の編成なのか。

 そして、われらが0系。
 新幹線の路盤から分岐するレールの向こうから、あの真ん丸の顔が見えてくる。新幹線の本線から外れているんでポイントのカーブもきついんだろう。キイキイ音を立ててくる。カメラを構えているのは私ともう一人だけ。後の通勤客にとっては見慣れたら風景なのだろう。0系が近づいてきても誰一人目を向けようとしない。

 8:53に到着。その後、車内整備と進行方向エンドの交換を行い、5分後に扉が開く。

 博多南線638Aは博多南駅を9:07に発車する。僕の乗り込んだ先頭の6号車、自由席には15人ほど。シートは2列×2列の大型サイズなんでゆつたりとまどろみながら、前夜の睡眠不足を補うことにする。
 博多駅には定刻9:17着。僕以外の乗客はみんな降りていく。代わりに同数ぐらいの乗車がある。
 ここから列車番号は638Aのまま「こだま638号」と名乗ることになる。着席した人たちはビジネス客が多いが、0系を目的に乗ってきた感じの人たちも3、4人ほど。でも、あまりマニアっぽい感じの人じゃない。でも、やっぱり九州のマスコミでも報道されているんだろう。携帯の写メで0系を撮る人たちがそれなりに群がってくる。見ていると、テレビ局のクルーが車内でロケを始める。片手に新幹線をモデルにした人形。九州ローカルの番組なんだろうか。見知らぬタレントが座席で窓辺に佇むシーンを収めると、そそくさと隣の五号車へと行った。
停車時間はわずか2分。外に撮影に行こうかと思うがそんな時間はなさそう。発車間際になってグループ客が7人ほどいっせいに乗ってくる。朝っぱらなのに、みんな赤ら顔。しかも大量に未開封のビールを持ち込んでいる。静かだった車内が一気に喧噪に覆われる。ふう。
 「こだま」は定刻9:19に発車。

最後の0系車内見学。様変わりしたところと昔と変わらないところ

 次の小倉ではビジネス客とテレビクルーが降りていき、代わりに山陽方面へ向かう人たちが乗り込んでくる。マニアっぽいのも数人、そういや昨日の「富士」で見かけた人も3人ほどいる。
 関門トンネルを潜る間に車内見学。
 まずは3号車の公衆電話。

 テレホンカードと電話機か……。むかし、ここから外部に電話をかけることだけでも「凄い」と思える時代があったんだよなあ。ほんの10年ほど前までそんな時代が続いた。外部から車内にかかってくると「○○様、3号車の電話まで……」と車内放送があったんだよなあ。それを宣伝目的で使う企業まで出現した。プッシュホンになって、トンネルでも使えるようになり、そしてテレカ対応になって、そして……。携帯電話が日常になった今ではそれも遠い昔の話。
 車販準備室。ここが空きスペースになってどれぐらい経つんだろうか。ステンレスとかはきれいに保たれているだけあって、なんだか遠い昔のような気もする。

 3年前の正月に乗ったときは、まだビュフェ付きの0系も走っていたんだよなあ。20年前、1998年3月号の時刻表の編成案内のページ。日本食堂や帝国ホテル、都ホテルという食堂車の定番会社の中で、にいきなり「Mr」とか記号が出てきたときは驚いた。ビュフェでレンジでチンしたビーフカレーを出していた丸玉給食。意外に旨かったんだけど、あの会社はいずこへ……*2

 そして最後尾である1号車の乗務員室。あの向こうで座ってみたいと何度、夢見たことか。

 いや、実は、一度、営業運転中の新幹線の乗務員室にお邪魔したことがあるんです。それも20年前、高校の修学旅行で新大阪から小倉へ向かう貸切列車でした。鉄研メンバーでデッキのあたりをウロウロしていたら、車掌さんが後ろ側の運転台に招き入れてくれた。団体なんで仕事がなくてヒマしていたんでしょう。鉄道マニア的にはサイコーの角度から広島駅にちょうど駅構内に入ってきたオリエント急行と遭遇*3。小一時間ほど数人でお話しさせてもらった上で、「あさかぜ」の個室寝台の使用済みカードキーをちょうだいした。その時の新幹線はもちろん0系。

博多〜岡山間で計8本の「ひかり」・「のぞみ」に追い抜かれていく

 新下関駅は9:49着。
 ここでは5分停車。その間に後続の「のぞみ16号」に抜かれていく。先頭車へ行くと、同業者が5人ほど。平日の上りゆえにマニアは少ない。これはラッキー
 で、N700系が時速300km/h(?)で通過。うーんブレてしまった。まあ、いいか。

 続く厚狭駅には10:06着。ここも5分停車。待避線と通過線の間にはコンクリートの柵がある。新幹線ホームが設置されたのは2001年と開業から四半世紀してから。以前の面影がそのまま残っている。
 少し待っていると「ひかり454号」が通過。レールスター仕様の700系。こっち方が見栄えはするなあ。

 新山口駅は30秒停車。徳山駅は10:39着。5分停車で「のぞみ18号」N700系の通過待ち。空が青くなってきたからか今度はシャツタースピードも露出もイイ感じだけど、押すのが早すぎた。
 次は新岩国駅11:02着。「ひかり476号」と「のぞみ176号」の通過待ちなんで、ここでは10分間の停車になる(ただしこの日は「のぞみ」の運転なし)。時刻表を見ていたら時間があるのは分かっていたんで、下りホームへ。僕の動きを見てか、数人のマニアも後を追う。
 発車後、車内販売が6号車へやってくる。

 今回のさよなら0系キャンペーンにあわせて、主要駅で0系をデザインした駅弁というのが販売されているらしい。車販にも持ち込んでいるというので期待していたのだけど、置いてあったのは幕の内弁当が一つのみ。う〜ん、ちょっとなあ。でも、朝が早かったので腹は空いている。とりあえず0系の車販でモノを買うのもこれが最後だし……とベタな理由で買ってみた。期待していなかった分、中身がバラエティーに富んでいて意外に良かった。新山口駅持ち込みの「幕の内(きらら)」は950円だけどオススメ。
 広島駅は短時間で発着し、次の東広島駅は11:42着。ここの5分待ちでN700系「のぞみ20号」。「もう博多『のぞみ』はN700系だなあ」と感心していたら、シヤッターチャンスを逃す。もう通過シーンを撮るのも厭きてきた。
 新幹線と言えば16両が常識だった時代に成長したマニアの1人として、22年前の国鉄最後のダイヤ改正で6両編成の0系を見たとき、なんとも言えぬ寂しさを感じたモノだけど、今となっては、時代の先端に行っていた当時とはまた別な愛嬌というのも湧いてきた。これはこれでいいんだろう。たぶん

三原駅の8分停車の間に0系見物にやってきた幼稚園児たち

 三原駅は11:59着。ここも8分待ちで「のぞみ」と「ひかり」に追い抜かれる。光の加減からすると、下りホームから撮れば順光になるかな......というので再び反対の下りホームへ移動する。

 すると、階段の上では小さな子供たちの団体さんが30人ほど待ち受けていた。近所の保育所か幼稚園からやってきたんだろう。
 ちょうどホームに下りの100系「こだま」がやってきたのだが、先生に従い、ホームの黄色い線の内側にきちんと整列しながら、みんなで新幹線を見物している。

 園長先生っぽい男性の
「今日は500系以外の新幹線はみんな見れたね*4。どの新幹線が一番好きかな?」
との問いかけに、
「あの丸いの!」
「おだんごさん!」
「ボロ!」
とチビちゃんたちは応えている。もちろん、今日のヒーローは、上りホームに停車している0系なんだろう。
 時代は流れども、新幹線のエースであり続けた。いろんな海外で鉄道マンたちと話す機会に恵まれてきたが、プロである彼らが知っている、そして尊敬してくれる日本の鉄道というのは、もちろん新幹線。それは300系でも700系でもましてやMAXでみなく、われらが0系である。
 そして僕自身。鉄道マニアとして永年やってきたその中で、一番古い記憶というのが、新幹線博多開業翌年の1976年の夏。京都から博多まで乗車した「ひかり」で、当然、0系。それから32年の歳月が流れたのか。
 今日、三原駅で出会った園児たち。10年後、20年後、そして30年後まで、丸っこい顔をした新幹線がご近所を走っていたと言うことを。そして0系という名前と姿を覚えてくれてるといいな。

淡々と岡山駅に到着した0系「こだま638号」

 新尾道駅福山駅と停車し、新倉敷駅ではまた5分停車。700系「のぞみ」に抜かれていく。偶然、乗り合わしたらしいちょっと美形の女の子も携帯のカメラで0系をぱちり。
 そして次は終点の岡山駅
 あの懐かしいメロディーが流れて、車内放送で岡山駅での乗り換え案内。ここは「のぞみ」だけでなく、四国方面や山陰への特急、山陽線津山線赤穂線吉備線伯備線......と乗り換え列車の説明が長いんだよなあ。
 定刻12:53に到着。

 博多や広島から乗ってきた人たち、そして次の「のぞみ」を待つ人たちも含めてみんなで0系を取り囲む。博多南駅から4時間ほど、運用廃止前にもかかわらず、穏やかな雰囲気で、マニアだけでなく普通の人やチビちゃんたちに取り囲まれながら、0系を見送ることができた。いいタイミングでお名残乗車ができたような気がする。
 扉を閉めて10分ほどホームに留まった後、13:05に再び動き出した。折り返し線にいったん留置され、次は岡山14:51発「こだま659号」として博多駅へ向かうことになる。11日後の11月30日、この博多行き列車が0系最後の定期運用となる。
 もうたぶん0系が走っているシーンを見ることはないと思う。最後の姿が気にならないと言ったらウソになるけど、最終日とかイベント用さよなら列車を見送るのは止めておこうと思う。非日常的な喧噪の中で0系を見てもつまらないと思うから。そこらは自身のポリシーとも繋がる話なんだけど、それはまた別の話。<参考>
2006-11-21海外では、0系新幹線が今でも人気です。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
2007-12-19おお、ついに0系廃止の日が報道されてしまった…… - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
<オススメ>
http://rail.hobidas.com/blog/natori/archives/2008/11/post_906.html

*1:ただ、開業前の取り決めにより旅行センターはJR九州の「ジョイロード」。JR九州の社員も駅に従事

*2:貼付の写真は05年1月。丸玉食品の現在はこちら→http://www.marutama-net.co.jp/company/enkaku.html。1987年に新大阪駅構内で営業を始めたご縁で新幹線のビュフェを担当したのかな。「ウエストひかり」として0系食堂車が機能したのは1988〜2000年

*3:フジテレビのイベントでヨーロッパから日本に来てたんですよ

*4:これもなかなか濃い質問だが、僕も500系「のぞみ」を見たかった