さよなら箱根対星館のケーブルカー(ただし鉄道にあらず)

katamachi2009-05-13

 箱根町の老舗温泉旅館にある、全国でも珍しい自家用ケーブルカーが今月末に引退する。八十年もの間、宿泊客や食料を渓谷沿いの宿まで運び降ろしてきたが、老朽化のため、七月半ばにモノレール型の乗り物へと生まれ変わることになった。
温泉宿支えた自家用ケーブルカー引退へ/箱根神奈川新聞、2009/05/05

 箱根の温泉旅館「対星館 花かじか」http://www.taiseikan.co.jp/index.htmlのケーブルカーが消えることになったようだ。
 この対星館のケーブルカー、その歴史は古い。1930年の旅館創業にあわせて営業を始めた。宿泊施設と温泉は早川渓谷の谷底に位置している。箱根の山々に抱かれた閑静な場所にあるのだが、箱根登山鉄道や国道一号の走る宮ノ下地区からは登山道を降りて行かねば辿り着くことができない。そこで、宿泊客の便を図って、自家用のケーブルカーの運営を行ってきたのだ。同記事には「もともとは同所にあった遊園地の乗り物だったらしいが、同旅館が一九三〇年に創業し、宿泊客用になったといわれている」とある。ケーブルカーの建設はそれ以前と言うことか。
 このケーブルカーが鉄道趣味的に貴重なのは、地方鉄道法鉄道事業法とは別枠で運営されてきたから。
 箱根登山鉄道宮ノ下駅から徒歩5分のところの国道1号沿いに旅館の駐車場があり、そこから崖の下の川沿いにある旅館との間をケーブルカーが結ぶ。延長320m、最大傾斜は約30度。所要時間は6分。車両こそかなり安っぽい造りなんだけど、レールが敷かれているし、索道を牽引する巻上機や装置もそれなりに本格的な造りになっている。
 5月31日で運行休止→6月は旅週末のみ旅館を営業(ケーブルカー以外)・新線の工事→7月17日に再オープンということになるらしい。
 HPには「渓谷電車」、記事には「モノレール型の乗り物」とあるんで、「三好市(旧西祖谷山村・東祖谷山村・池田町)にある鉄道モドキの「遊覧鉄道」めぐり - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で紹介したような特殊鉄道に切り替えられるんだろう。嘉穂製作所か安全索道か、どこが担当するのかも気になる。

 実際に5月30日に泊まりに行きました。以下、参照。
本日で最後となる対星館@箱根堂ヶ島温泉の自家用ケーブルカーに乗りに行く - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

対星館のケーブルカーは地方鉄道法で言うところの「鉄道」なのかどうか

 近年、鉄道モドキの遊具施設は、遊園地などの遊具や保存鉄道施設に限らず、「奥祖谷観光周遊モノレール。その65分の苦闘の時。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」のように各地で出現しているが、ここは戦前の1930年から継続してきた。
 戦後、関西ではこの種の施設に行政指導があったようで、有馬温泉兵衛向陽閣や、新宮・和歌山観光、丹後宮津・玄妙庵なかや旅館、勝浦温泉・ホテル浦島、京都・鞍馬寺地方鉄道法による鋼索鉄道(ケーブルカー)としての運行が実施されている(拙稿「近畿の観光旅館ケーブルカー」『鉄道廃線跡を歩く〈8〉 JTBキャンブックス』参照)。だが、ここ対星館は、免許取得をすることもなく、ケーブルカーの運営を継続する。
 なぜなのかよく分からない。
 この対星館のケーブルカー。宿泊客のみ無料で運ぶと主張しても、国道沿いから旅館までの320m、人間を「輸送」するのは確か。鉄道か否かはグレーゾーンなはず。でも、地方鉄道法の適用外とされてきた。関東運輸局と近畿運輸局地方鉄道法の運用について解釈が異なったからだろう。行政指導というのが担当官のさじ加減で変わってくると言うのがよく分かる事例だ*1。説明は長くなるので、以前「遊覧鉄道に乗ってみたい!」という同人誌で書いたコラムを後半に記載する。興味がある人はそちらを参照。
「鉄道」だと、ダイヤを組まないと行けないし、専用のスタッフも配置しないといけない。いろいろややこしくなる。でも、対象外であったとしてもいろいろ苦労はありそう。

 今や旅館の名物だが、その世話には手を焼いてきた。例えば、車両を支えるケーブルは夏の暑さで数十センチも伸びるので、その都度切り詰めなければならない。積雪や倒木もある。「停電で動かなくなり、山道を歩いて荷物を運んだこともありますよ」と稲葉さんは苦笑する。

 ここらはフツーの鉄道と同じだなあ。

対星館のケーブルカーに乗った話。

 先述のように、基本、このケーブルカーは旅館の宿泊客しか利用できない。高級旅館としての風格を守るためには仕方なかったのだろうが、ケーブルカーに乗るため一泊17000円……さすがにマニアでも手の届かない値段である。
 だが、2005年春から2007年末頃?まで、それ以外の人間にも開放されていたことがある。
 僕が、大学鉄研の連中と現地を訪れたのは2005年8月。この月に廃止された伊豆箱根鉄道駒ヶ岳ケーブルを訪問するついでに立ち寄ったのだ。
 お盆の渋滞で国道1号は渋滞していて、小田原駅から宮ノ下まで2時間半かかった。小田原から旅館最寄りの駅まで鉄道だと36分なのに……
 さて、旅館の入口となる事務所は国道沿いにあった。駐車場にクルマを停め、「ケーブルカー乗り場」と看板を掲げた事務所へ向かう。

 この夏は、ケーブルの試乗を目的したマニアの訪問が多かったらしい。僕らと同様、廃線の決定した駒ヶ岳ケーブルの行きがけに立ち寄ったのであろう。
 ケーブルカーに乗るためには「足湯・庭園散策御利用券」を購入しなければならない。1人1000円。足湯のみ500円というコースもあるのだが、これだと旅館側の駅がある庭園内に入ることはできない。
 足湯&庭園散策で1000円か……凄い値段だ。
 源泉掛け流しの弱食塩泉に入浴できればもちろん納得できるが、足湯と庭園だけで1000円かあ。近年、温泉場で足湯を見かけることが多くなったが、基本的に無料である。立ち寄り湯でたくさん日帰り客がやってくるとイメージが良くないとの判断もあるのだろうが、この強気の値段設定には驚かされる。
 これで、せめてキップのデザインが凝ってあればマニア的には納得できるのだが、白黒コピー機で複写されたた普通の再生紙だった。
 「えっ、1000円も払うのですか」と同行の後輩。事前に説明するのを忘れていた。まあ、いいから、と強引に買わせて、事務所の裏にあるホームへ行く。
 ボディーは2m×1m×3mとかなり小さめ。

 席は4人分しかなく、6人も乗れば満員になる。車内には照明設備すらない。設備は簡素で無骨。プレハブ住宅のような実用本位の造りになっている。以前見た写真では緑系統の塗色だったが、赤色に変更されている。ホテル名と共に「A」との文字がある。これが車番のようだ。
 さっそく乗り込むと、ホームから係員の方が扉を閉める。そしてボタンを押すと出発だ。緑に覆われた木立のなかを真っ赤なケーブルカーがゴトゴトと下っていく。
 レールに沿って右へ曲がっていくと、B車と書いた対向列車が登ってくる。
 A車は左側に入線して互いに行き違う。車体はシンプルでも、レールや鋼索は本格的な造りになっている。

 おいおい、ドアが全開だよ……。これがホンモノの鉄道で、役人さんなんかに見られてたりしたら、かなりの大目玉を食らうのだろうけど、まあそれはそれ。これに突っ込むのはヤボだ。
 そのまま降りていくと、終着駅である。

 ホームに到着したのは11時31分。上の駅から7分。想像以上に乗り応えのある路線だった。
 宿はイイ感じの趣深い建物で、ぜひ泊まってみたいなあとは感じたが、肝心の足湯と庭園の散策。1000円分の価値があったかどうか。コメントを差し控えたい。


 という感じでしばらくやっていて、僕の別の知り合いも2007年に足湯(というかケーブルカー)に立ち寄ったと報告をくれたりもしたのだけど、昨年2008年に対星館のホームページを見ると、「足湯・庭園散策御利用券」の設定がなくなっていた。1000円という値段では、明後日の方向を向いた鉄道マニア以外、わざわざ訪問してくれる人がいなかったのか。
 もう一度、乗ってみたいし、今度は宿泊するしかないのか……と思っていたら、この春の報道。ちょっと心残りのような気がする。
 ケーブルカーを乗車するために対星館に泊まるというのも……と数日迷っていたのですが、さっき、じゃらんを見ていたら1人泊もできる(18,900円)というので、つい予約してしまいました。320メートルの鉄道に対する対価としてはべらぼうに高すぎるけど、それをも厭わないのが鉄道マニア魂。と、あえて強がってみるのですが、それもまた別の話。

追記

 最初、5月31日に1人で泊まる予定にしていたのですが、同行者が現れたので30日に泊まってきました。きちんと宿泊者として泊まると、やっぱり良かったですよ。ここ。その報告は下記参照
本日で最後となる対星館@箱根堂ヶ島温泉の自家用ケーブルカーに乗りに行く - とれいん工房の汽車旅12ヵ月



おまけ 2点間輸送で移動が発生した場合、鉄道の免許は必要か否か

 鉄道モドキのケーブルカーについては、54年に新宮観光、57年に鞍馬寺、60年に兵衛旅館、なかや旅館、61年に浦島観光、65年に大阪観光、と関西の6事業者が鋼索鉄道としての免許を取得している。いずれも300mに満たない短距離かの簡易ケーブルカーである。
 このうち、なかや旅館は48年頃から「ロマンスカー」として自家用ケーブルの運転を始めていたのにもかかわらず、後で追認されるような形で地方鉄道法の免許を取得する。
 一方、箱根の対星館。30年に300mのケーブルカーの運行を始め、現在まで続けている。簡略化された施設を使っているが、モーターがケーブルで繋げた車両を巻き上げていく。その仕組みは紛れもなくケーブルカーに準拠している。なのに、法律の適用外になったままだった。運輸省内にもダブルスタンダードがあったのだ。
 モノレールも見てみよう。50年代に本格的なモノレール線が国内にも誕生するが、当初は公園内に路線を限定した遊戯施設的な色合いが濃かった。
 この時期、遊園地や公園内に設けられたモノレール線としては、上野動物園(57年〜現在)、奈良ドリームランド(61年〜03年)、名古屋市東山公園(64年〜74年)、川崎市よみうりランド(64年〜78年)、大阪万国博覧会(70年)の5路線がある。広大な園内で拠点地間の移動を考慮して建設されたのだが、その一方、新時代の乗物であるモノレールへの乗車をウリにしていた側面もあった。
 この中で、本格的モノレールとしては国内2番目、跨座式では国内初となった奈良ドリームランドだけが例外だった。
 まず、遊園地の遊具として敷設され、地方鉄道法の免許を取得した路線ではなかったこと。東芝がアルヴェーク式モノレールを参考にして独自開発した跨座式モノレールが導入されたのだが、このシステムはまだ実験的な要素が強かった。運輸省とは無関係の遊具として実績を積むことで今後の開発に繋げたかったのだろうか。
 もう一つ違うのは、駅が一つしかなかったこと。他の4路線には駅が2つ以上あり、A地点からB地点へと移動することが可能になる。ただ、奈良ドリームランドの場合、乗車したとしても、8の字の路線を周回して元の駅に戻ることしかできない。「2点間輸送」が発生してこないのだ。


 遊具と鉄道。この境界は微妙である。
 関係者の間では、「A地点からB地点へ動く」という移動が発生する施設は「鉄道」とみなし、「乗車地点から再び乗車地点に戻る」という施設については「遊具」とする考えがあったようだ。2点間輸送の有無が鉄道か否かの基準であるという。法律や規則、通達で定められた訳ではないが、不文律として了解されていたようだ。
 遊具扱いにするため途中駅を設けなかった事例を紹介しよう。
 まず、大井川鉄道千頭川根両国間で運転していた「いずも号」(70年〜89年)。井川線と並行した側線で機関車を走らせていたのだが、千頭駅構内の側線での遊戯列車として扱われていた。本線の営業運転とは見なされず、機関車にも車籍はなかった。そのこともあって千頭から乗り込んでも川根両国駅では途中下車できず、そのまま折り返さざるを得なかった。
 また87年に長野県赤沢自然休養林でトロッコが走り出した時にも問題になったようだ。
 この路線には記念館駅と丸山渡駅の2つの駅があるのだが、私が92年に訪れたときは丸山渡駅で降ろしてくれなかった。ところが、同施設のHPを見ると、

赤沢森林鉄道は、保存鉄道として1駅のみの周遊運行認可を受けています。丸山渡停車駅は折り返し点となっており、片道運行の設定はございませんのでご了承下さい。
http://www.avis.ne.jp/~hinoki/page3_1_3_1.html

と赤書きして明示している。事実上、今は自由に下車できる状態になっているようだが、何か言い淀んだ表現だ。そこまで気を遣ってるというのは、お役所からの指導を過去に受けたからであろうか。
 81年に神戸市で地方博覧会(ポートピア'81)が開催されたときにも問題が生じている。
 会場では、台湾製のSL(ミニSL アドベンチャー号)が雪印乳業の提供で運行されることになった(羅須知人鉄道協会の所有)。汽車の乗り場はポートライナー南公園駅の近くにあったが、線路を往復運転するだけではもったいない。もう一つ駅を設けようとしたのだが、それだと鉄道となってしまうのでは……と当局が難色を示したという。そんな風に朝日新聞が報じていたと記憶している。
 ただ、例外もある。明治村では67年より京都市電、続いて蒸気機関車を園内で走らせているが、これは明らかに2点間の輸送を行っている。浜寺公園の「もず号」も同様。そうした施設はたくさんあったと思われる。
 80年代になると、この項で述べてきた「2点間輸送」の不文律は有名無実化する。各地の公園や地方博覧会、遊園地で様々な遊覧鉄道が登場してくるが、事業者は移動が発生しようが周回運転をしていようがわざわざ免許を取るようなことをしなかった。青函トンネル記念館が、工事用ケーブルカーを旅客輸送に転用した88年、免許を取ったのが目立つぐらいだ。


 結局、鉄道なのか遊具なのか。その選別は、担当官や責任者の裁量次第で決められていたのだろう。厳しい人もいれば、適当な人もいる。そんな狭間に遊覧鉄道は生まれてきた。定義づけや法解釈に厳密を求めても仕方ない。索道ではこのルールが厳密に適用されているという指摘をいただいたこともあるが、その実情は調べ切れていない。
 ところで、なぜ鉄道モドキを運営している事業者は「鉄道」であることを望まないのか。
 確かに鉄道の免許を取って法律で認められると対外的には箔が付くかもしれない。ただ、鉄道事業者運輸省の許認可行政の監督下におかれる。施設や車両は高いレベルの基準をクリアーしないとダメだし、お客がゼロでも、時間が来れば列車を走らせなければならない。簡単に運休できないから予備の車両はいるし、技術者も用意しなければならない。となると、巨額の資金が必要になってくる。そうした規制を重荷と感じていたからこそ、遊具であることを望んだのであろう。
 ただ、公道と交差する箇所に踏切が設けられている場合、監督官庁は遊覧鉄道としての運営に難色を示す。道路交通法など様々な法律が絡んでくるので鉄道事業者として免許・許可を持つことが求められる。旧信越本線横川〜軽井沢間、旧北海道ちほく高原鉄道陸別〜小利別間ではトロッコ列車の運転が企画されていたが、その途中にある踏切の存在が障壁となってなかなか計画を進められていないのが現状だ。

*1:ちなみに、鉄道モドキの施設で鉄道事業法の範囲内にある鉄道として現役なのは鞍馬寺のケーブルカーのみ