門司港レトロ観光線に続く特定目的鉄道はどこなんだろう。

katamachi2009-06-06

 美祢線の石灰石列車、そして近畿日本ツーリストの軍艦島ツアーに参加した後、小倉駅前の東横インに泊まり、翌日、門司港レトロ観光線http://www.retro-line.net/に乗ってきた。
 ここでは、北九州市が鉄道施設を持つ保有第3種鉄道事業者となり、第2種鉄道事業者である平成筑豊鉄道が施設を借りながら列車を運行上下分離方式がとられている。
 元々は戦前から続く貨物線で、門司築港という築港会社によって敷設された。戦後、門司市が所有する貨物側線となり、一部は国鉄→JR貨物へと引き継がれた。
 ここを観光鉄道にする計画はバブル期である1991年頃から北九州市とその関係者の間で検討されていた。衰退著しい門司港地区における観光開発構想と関係したモノである。
 そんな話を聞いた後、1992年春に門司港駅と貨物線界隈を歩いてみた。もちろん門司港駅舎などレトロな雰囲気を漂わせる近代建築が多数残るエリアで魅力的であると感じた。埠頭沿いの倉庫街を中心に観光都市へと生まれ変わった小樽市のような町を造りたかったのか。ただ、当時は用途を終えた建物がただ並ぶだけの寂しい地域であり、観光鉄道がやっていけるほどの地域とは思えなかった。
 それから10年。
 2000年頃になると、ここは「門司港レトロ」としてガイドブックでも紹介されるような一大観光地へと変貌した。2000年の鉄道事業法改正で新たに設定された特定目的鉄道事業者として観光鉄道を運営する方針に転換。様々な経緯の後、2009年4月、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線として営業を始めた。

この日の門司港レトロ観光線の一番列車は意外に空いていた

 5月24日の日曜日。朝イチに小倉駅周辺の魚町をぶらぶらした後、門司港地区へと向かう。
 起点となるのは九州鉄道記念館駅JR九州門司港駅から徒歩3分。駅舎はまあ、かなり安上がりのプレハブ建築。重要文化財に指定されている門司港駅と対比するのが気の毒な感じなんだけど、初期投資を抑制するには仕方ないのかな。

 この門司港レトロ観光線トロッコ列車2両のみ。報道によるとかなり混み合っているという話だったし、知人も自由席に乗るのに1時間ほど待たされたとかボヤいていた。なんで、事前に地元のローソンで指定席を確保しておいた。バスの切符やコンサートチケットがコンビニで販売されているというのは若い層にはかなり周知されてきているが、鉄道の切符というのはここが最初になるんだろうか。JRのマルスシステムに乗せるよりも、手数料とかいろんな面で割安ということなのか。
 指定されたのは始発となる九州鉄道記念館駅9:40発。
 9:30、先に自由席の客が招かれる。座席は36名と聞いていたが、並んでいたのは20人程度。観光するにはちょっと早すぎたのか。日曜にしては意外に少ない。その後、指定席券を持った人たちが続く。


 トロッコ客車はトラ701と702の2両(1両目が指定席車、2両目が自由席車)。その前後に、DB101とDB102のディーゼル機関車2両が繋げられている。

 機関車は1986年から2007年まで南阿蘇鉄道トロッコ列車「ゆうすげ号」http://www.r1100rsp.net/torokko-train.htmlを牽引していた。元々は貨物側線などで貨車の入れ換えをしていた車両である。その能力からして旅客営業しながら本線走行するということは国鉄時代には考えられなかったが、第3セクター化された後、観光客誘致の切り札として抜擢されたのだ。同社が新型機を導入した後、北九州市門司港の観光鉄道用に引き取った。
 高さは3メートル。長さ5メートル。自重10トン。隣の客車、そしてホームの高さと比べると、機関車の小ささが改めて実感できる。

 一方、トロッコ客車は元もと国鉄のトラ70000形貨車。島原鉄道が1997年にトロッコ列車の運行を始めたとき、客車に改造されたのだ。2008年に島原外港加津佐間が廃止されてトロッコ列車の運行が終了した後、北九州市に買収された。

 指定席車と自由席車の2両。座席定員は計78席。木製のシートや造りはレトロな雰囲気を醸し出している。

 ちなみに、島原鉄道時代はこんな感じだった。


 塗装だけでなく、ガラス窓が設けられたり、室内もかなり手が入れられたりしているが、基本、雰囲気は昔のまま。乗降扉が付けられた関係で座席数は減っている。


 さて、出発の時間だ。乗客の整理にあたっているボランティアスタッフの指示に従って、車内に入る。
 地元の方が多いようだが、福岡市から来ている人や、本職の鉄道員もいるんだとか。都市部に近いんで参加しやすいんだろうけど、ちょっと羨ましかったりする。

 9:40、定刻に九州鉄道記念館駅を出発。
 2分500mで、次の出光美術館駅に到着。個人の観光客2人を新たに迎えて発車。
 ここを出ると、門司港の埠頭沿いへと列車は進んでいく。左岸に穏やかな水面が広がり、岸壁沿いに小さな船が並ぶ。

 3番目はノーフォーク広場駅。その先の海員会館踏切を越えると、トンネルへと入る。隧道内はライトアップされていて、乗客からいっせいに歓声が……

 9:55、終点の関門海峡めかり駅着。幅員1メートルほど手狭なホームへと降り立つ。

 手際よいボランティアスタッフの誘導で下車客はそのまま外へ。代わりに門司港への戻り便への乗客がホームへと招かれる。
 折り返し時間5分。10:00に出発。

改めて元入替機関車が引くトロッコ列車をを鉄道線沿いで見ると……

 時間がないので線路脇の和布刈(めかり)公園で静態保存しているEF30-1(関門トンネル専用の交直流電気機関車。1961年当時で車体がステンレス製というのはかなり珍しかった)を撮影して、

 その側で折り返し便を捕獲。いやあ、外から見てもみんな楽しそうだなあ。

 次は関門海峡めかり10:30発の便の指定席を持っているが、旅行派鉄道マニアとしては下車駅を増やすことも考えねば。で、1つ手前のノーフォーク広場駅まで徒歩移動。途中、関門海峡大橋をサイドから見れたり、ちょいとレトロなホテルがあったり、まあいろいろ興味深いスポットはいろいろありました。
 ノーフォーク広場駅の隣のトンネルに入る下りをサイドから撮影。

 踏切とかは本格的なんだけど、走っている機関車はやはりスイッチャーなんだよね。サイズか小さすぎ。国鉄時代には、この線路にも貨車の入れ換え用に同じような機関車が走っていたのだろうけど、これが旅客列車の牽引機になって観光用に走るというのは……やはり隔世の感あり。
 10:33に九州鉄道記念館駅行きが到着。

 10:36、出光美術館駅着。ここで降りることにする。

 ここから終点の九州鉄道記念館駅、そして門司港駅へは徒歩5分圏内。
 列車を追いかけようかと思ったんだけど、ほぼ全線に渡って柵が張り巡らされているんで、全体の姿を捕らえられるスポットが少ないんだよなあ。

 桟橋通り踏切を行くトロッコ列車。こんな幅員のあるところを行くんだなあ。スゴイヤ

次に特定目的鉄道となるのに相応しい路線ってどこだろう

 昼に京都で所用があったんで11時前には切り上げたんだけど、1時間ちょっとの関門海峡めかり駅までの往復。それなりに楽しめました。
 正直、入換機転用の機関車と貨車改造の客車って鉄道マニア的には邪道に見えていたし、やまぎんレトロラインとか出光美術館とかネーミングライツってのがあまり趣味じゃないし、もっと安っぽい遊戯列車っぽさが漂っているのかと思っていた。開業日にわざわざ行こうとしなかったのも、そこまで興味を持てなかったから。
 実際乗ってみると、安造りの駅舎とホームは別として、意外に本格的な鉄道の雰囲気が漂っていた。まあ、踏切や線路はホンモノなんだし、当たり前と言えば当たり前なんだけど、ちょっと嬉しかったりもした。


 この観光目的の鉄道が誕生した背景には、冒頭でちょっと触れたが、鉄道事業法が2000年3月に改正された際、「特定の目的を有する旅客鉄道」という規定があった。
 地方鉄道法→旧鉄道事業法における「鉄道」というのは、新幹線やJR、大手私鉄、そしてローカル線やケーブルカーなども含めて、公共的な旅客・貨物輸送を担うべきモノであると了解されていた。それゆえ厳格な免許制がとられ、需給調整規制や運賃制度が厳守されてきた。
 それが2000年に免許制から許可制に緩和される中で、「景観の鑑賞、遊戯施設への移動その他の観光の目的を有する旅客の運送を専ら行うもの」と規定される鉄道も新規に認められることになった。さほど公共的役割を問われることのない観光鉄道に限定して、採算性や事業継続の厳守を求めてきたハードルを少し低くした鉄道も容認されるようになったのだ。それが特定目的鉄道である。
 法改正以後、いくつかの地域で鉄道廃線跡での鉄道車両の動態保存が模索された。信越本線横川〜軽井沢間、そして神岡鉄道廃線跡については、地元で特定目的鉄道としての運行が模索されている旨の報道もなされた。高千穂鉄道跡、ちほく高原鉄道跡などでも。
 だが、この9年間。特定目的鉄道は実現しなかった。この鉄道に限り、許認可権は国土交通大臣から各地方の運輸局長に委ねられるようになったが、特定目的鉄道の第1号を許可することにとなることに各運輸局長が躊躇したのか。
 いや、鉄道の運転を躊躇ったのは地元の方であろう。
 事業許可関係の書類は従来の鉄道と比べると少なくて済むとはいえ、鉄道事業に手抜きをしてもいいはずはない。安全性に関しては従来の鉄道と同様のレベルは求められる。踏切や信号などの保安システムにはカネも必要。
 それに、採算面も通常鉄道ほどしっかりとした財政的裏付けは必要じゃないにしても、観光鉄道を採算度外視で運営できるほど裕福な組織なんかもあるはずもない。
 神岡鉄道跡と碓氷峠での動きについては、昨年、「飛騨市長選と神岡鉄道と特定目的鉄道事業 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で書いた。高千穂鉄道跡については「高千穂鉄道の橋脚の撤去が始まった - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」。ここらの構想は今ではその動向を報道してもらう機会すらもなさそう。
 特定目的鉄道であっても、

  • 1.レールなどの保線業務のための経費
  • 2.車両を運行・整備するための経費
  • 3.踏切・信号など保安設備のための経費
  • 4.ホームや車両など施設拡充のための経費
  • 5.運営するのに必要な運転士や間接部門の人件費

が必要だ。ただ、SLを走らせたいとか、大型電気機関車を動かしたいとか夢ばかりが膨らむばかりで、ここらのシビアな計算がなかなか立たなかった。
 そして、観光鉄道オンリーの会社としてやつていく上には、

  • 季節を問わず恒常的に観光客が集まるルート
  • 団体客→団体バスやツアー客が集まりやすい立地
  • 観光誘致の核となるべき自治体の協力

が必要となる。とりわけ自治体の全面的なバックアップが必要だ。地元自治体や警察との協議の担い手にもなってくれる(特に関連機関との調整が複雑になる踏切について)。
 ところが、高千穂でも神岡でも横軽でも、観光鉄道の先行きに対する不安が地方政財界間での分裂を招き、政治的対立、あるいは政治的無関心へと繋がっていった。高千穂町では最初から役場が逃げ腰で財界も途中で離脱し、神岡市では市長選で現職が敗れ、安中市では市長と推進団体が対立して計画は霧散した。
 その点、門司港では最初の構想から18年もかかったが、あまり大きな夢を見ずに運輸省や関連部局と地道な折衝を続け、政令指定都市である北九州市がきちんと引き受け手となり、同じ九州内で中古の車両を譲り受け、実現へと漕ぎ着けた。なにより、「門司港レトロ」という町が、この20年間で一大観光地へと成長して、季節を問わずに集客力を持つスポットへと生まれ変わったことが大きかった。もちろん様々なリスクがあることは想像できるが、5年ほどは安泰か。
 となると、次の特定目的鉄道ってどこが名乗り上げるんだろうか、と期待は膨らむ。

というところか。
 そういや、今春に休止となった敦賀港線跡について地元でDMV運転の動きがあるとか報道されていたなあ。
 このうち、小樽では1984年、横浜では1989年に沿線で地方博覧会が開催されたときに臨時列車が走ったんだけど、その後へは続かなかった。神戸も神戸港駅付近はつい最近までレールは残っていたけどすでに撤去済。他もほとんど遊歩道とかに転化されてしまった。そういや、大阪市港区の大阪臨港線でも10年ほど前に遊覧鉄道を走らせるとかいう構想が大阪市の都市計画マップに描かれたりもしたんだけど話だけで終わってしまった。商売として本格的な鉄道を持続していくのには躊躇してしまう。
 う〜ん、次の特定目的鉄道の候補地を探すのは難しい。横軽なんかは場所としては悪くないんだろうけど、もう誘致団体と地元との関係がこじれてしまったままだからなあ。
 と、考えると、門司港でのこの鉄道はかなり希有な幸せなケースであって、おいそれと他地域ではマネできなさそう。LRTみたいに国の補助なんかも期待できないし。そう考えると、やっぱりこの手の遊覧鉄道は公園の中かどこか閉鎖された空間でやるしかないのかなあと思ったりもするのだけど、それはまた別の話。