〜六甲山クラシック〜六甲山ホテル(阪急系)と六甲オリエンタルホテル(阪神系)を歩く

katamachi2009-07-06

 20年くらい前から近代建築は好きだったんだけど、昨年末、品川駅前にあった京品ホテル(レトロモダンな駅前旅館、京品ホテルが自主営業している姿を訪ねて - とれいん工房の汽車旅12ヵ月→2009年1月に実質的に閉鎖)を訪れて以来、クラシックホテルを訪ねる機会に恵まれている。5月の箱根行きの際にも宮ノ下にある富士屋ホテルを訪れ、そのレトロモダンな雰囲気を十二分に堪能することができた。
 関西だと有名どころは、奈良ホテル(JR系)、舞子ホテル(山電系)、そして六甲山ホテル(阪急系)あたり。奈良と舞子は何度か立ち寄ったことはあるが、六甲山ホテルは未訪だった。ここは1929年建築の由緒ある建物がそのまま宿泊施設として提供されている。クラシックホテルにしては、1室2人で週末17,000円〜、平日だと10,000円〜、と比較的値段が安めというのもまた嬉しい。
 六甲山系には他にも、

といった近代建築が現存し、2007年、六甲山ホテルとあわせた4ヶ所が経済産業省によって近代化産業遺産として認定されている。
 てなわけで、六甲ケーブルがやっている「六甲山上の近代化産業遺産群を巡るエコツアー」を参考に、六甲山クラシックを求めて近代化産業遺産を訪ねる旅を企画してみた。

1 六甲山ホテル

 阪急系列のホテルとして開業したのは1929年。
 当時、六甲山系を開発していたのは主に阪神電気鉄道グループだったんだけど、そこに阪急が、神戸線六甲登山架空索道(ロープウェイ 1931〜1944年)&六甲山ホテルのセットで殴り込んできた。以降、平成に至るまで、六甲山の観光開発&観光客の争奪戦が阪急と阪神との間で繰り広げられるのだが、阪急側の象徴的な存在がこのホテルだったのだ。
 今では戦後に建てられた新館がメインになっているのだけど、その右隣に戦前来の旧館が残っている。
 表玄関は木々に囲まれているけど、山小屋風のクラシカルな雰囲気がそのまま生きている。

 そして、「ROKKOSAN HOTEL」の文字。

 入口は新館の方に移ってしまったんで、旧館の正面玄関は施錠されている。かつてエントランスだった部分は今では売店&土産物売り場に転用されている。
 ちょっと裏寂れた感じの階段を登ってみる。

 赤絨毯や壁面がくすんでいるのがなんとも……。あまりきちんと手が入れられていないのかな。
 上がったところがかつてのロビー。

 クラシカルな壁面と家具がうまく活かされた感じになっている。

 今はウエディングの受付スペースとして活用されている。相談に来ているカップルが意外に多いのはびっくりした。ちょっとしたリゾートウエディングの雰囲気を味わいたいって人たちなんだろうか。
 ここ、日本的に言うと「2階」になるんだけど、今では「1階」という扱いになっている。1階をグラウンドフロア2階をファーストフロアと呼んでいた欧風の名残なんだろうか。
 2階部にはライブラリースペースが。

 並んでいる本はわずか六冊。すべて、阪急の始祖である小林一三の全集というのがやっぱりそれらしい。


 さて、感じのお部屋の方は……ノーコメント。
 旧館の宿泊部分は1階と2階にあって、廊下を挟んでツインルームがずらっと並んでいる。
 レトロなのはレトロなんだけど、モダニズム的な古さじゃなくて、単に古いんだよね。17平米とツインにしては部屋はかなり狭めだし、壁とか水回りも微妙そう。かなり値段が安いと言うも何となく事情は想像できる。じゃらんのコメ欄には辛辣な意見も多い。
 値段相応と言えばそうなんだけど、部屋2つ→1つにするぐらいの大改装が必要なのかも。きちんとネオ・レトロ風、準スイート対応にできればそれなりには人気が出るかも。でも、こういう御時世だとなかなか大変だし……
 ちなみに、駐車場からは旧館の裏口が出入り場になっている。

 その裏側には教会が。ここ、ホテルへ移設にもかわらず、毎日曜日、オフシーズンでも日曜礼拝をやっているんだとか。ここらはきちんとしているなあ……

2 六甲オリエンタルホテル

 ちなみに、阪神電気鉄道が、阪急に対抗して1934年に建てたのが六甲オリエンタルホテル。六甲山ホテルから2キロほど東側にある。ここは創業当時の建物は残っていないんだけど、オリエンタルホテルがダイエー傘下に入った後も、阪神の子会社として経営が続いていた。阪神系の六甲高山植物園や六甲山人工スキー場、六甲摩耶鉄道(ケーブルカー&山上バス)、六甲ガーデンテラスとのセットで阪神グループにおける六甲山観光の中核となる存在だった。
 ところが、今は……

と、道路からエントランスへ続く部分には柵がされている。
 そして、こんな張り紙が....

 入口や窓も完全に封鎖。

 このホテルの海側に、安藤忠雄の「風の教会」というチャペルがあったんです。

 僕がホテル前で佇んでいると、ちょうど若いカップルがやってきました。建築専攻の学生で現代建築好きらしく、「風の教会」を見るべく六甲までやってきたんだとか。
 でも、もう完全封鎖されているんで、中には入れない。なんで、看板の写真を接写。


 そうなんです。ここ、「六甲オリエンタルホテル閉館へ」にあるように、2007年6月に閉鎖されてしまったんですね。

  • 1995年の阪神大震災による六甲山観光客の減少
  • 施設の老朽化
  • 山上ゆえに天候の影響を受けやすい
  • 団体需要の急減と観光需要の変化
  • 六甲山の観光スポットとしての相対的な魅力低下
  • 2006年10月の阪急・阪神の統合

というような状況が背景にあったみたい。
 阪神と阪急が同じグループになると、六甲山内で競争関係を持続させていく意味は失われてしまう。
 そして、どさくさに紛れて誕生した阪急阪神ホールディングス(HD)。いろんな意味で疑問視されてきた統合効果をマーケットに示すためにも、「重複事業の整理」というアピールが必要。
 となると、六甲オリエンタルホテルと六甲山ホテル。どっちを残していくのか

 近代建築好きとしては六甲山ホテルの旧館が残されたのは喜ぶべきなんだろうけど、商売としてはオリエンタルホテルを残した方がいろいろ活用できたのかも。でも、事実上、阪神を吸収した形になる阪急側の意向が尊重されることになったんだろうな。
 ここは夜にドライブで来たことあるんだけど、六甲山ホテルよりも夜景のきれいなところでした。
 閉鎖している写真ばかりでは寂しいんで、近所にある六甲ガーデンテラス(阪神系の商業施設)で撮った画像を下に。


 そういや、六甲界隈の廃墟ホテルと言えば、やはり阪神系だった摩耶観光ホテルが有名なんですね。90年代半ばに閉鎖された後、いわゆる「廃墟ブーム」で秘かな注目を浴びてしまった廃業ホテル。以前、外から眺めただけなんだけど、もう壁も窓も何もかも悲惨な状況でした。
摩耶山および摩耶観光ホテル関連資料
http://discoverjunk.cool.ne.jp/haikyotop/mayakan2/
摩耶観光ホテル - Wikipedia
 ガラス部は頑丈に密閉されているオリエンタルホテル跡もいつしかそんなことになるのだろうか。
 その後、六甲ケーブル六甲山上駅に行ったら、隣の「六甲ヒルトップギャラリー」(阪神系の食堂跡)の常設展 「あの頃の六甲・摩耶」で、六甲山ホテルや摩耶観光ホテルの資料も展示されていた。阪急&阪神の六甲山開発関係の資料が一緒並んでいるのが、両社の統合を象徴しているのは確か。ただ、潰れて2年しか経っていない六甲オリエンタルホテルの資料がなかったのはやはり生々しすぎるからかなあと思ったりもしたのだけど、それはまた別の話。


 次回、続編「六甲山クラシックを求めて近代化産業遺産群を歩く」の予定。