有田川鉄道公園で花見をしながら動態保存されたキハ58を眺める

katamachi2010-04-05

 青春18きっぷが2日分余っていたんで、どこかへ行こうか。
 毎年、桜のシーズンになるとこういう決め方で行き先を考えるのですが、今春は和歌山へ向かうことになりました。
 目的は、かつて藤並駅から金屋口駅まで続いていた有田鉄道廃線跡。3月20日にオープンした「有田川町鉄道交流館」を見たくなったんですね。キハ58など有田鉄道で活躍した車両が動態保存されているというが最大のウリ。
 「旅客集中により3分遅れています」という花見客だらけでベタ混みの新快速。1時間立ちっぱなしで大阪へ向かい、紀州路快速に乗り換え。桜が満開で臨時停車する山中渓駅の風景を楽しみながら山越えしていきました。

有田川鉄道公園と有田川町鉄道交流館を訪ねる

 和歌山駅から友人の車に便乗して、有田川町を訪れました。
 藤並から県道を金屋方面へと向かいましたが、途中、「鉄道公園→」という小さな表示が一つあるだけ。ドライバーがここに土地勘がある人間だったのでなんとか辿り着きましたが、その先も道路は入り組んでいて分かりにくい場所でした。
 駐車場は満車で、遊歩道となっている堤防敷にも十数台置かれています。
 さて。入口に飾られているのは、D51-1085。
 釧路から1977年に運ばれて以来、藤並駅前で静態保存されていたのが、ここに終の棲家を変えることになったのです。2010年2月13日、トレーラーで6kmの道のりを運ばれてきたそうです。阪和道との交差部分は、煙突部と効果の間の隙間はわずか1cm。ここの移動が最大の難所だったとか。


 機関車の場所から先、レールが敷かれています。赤錆びていますが、バラストも枕木もレールも今回の展示にあわせて新たに新調されたっぽい。これが奥の車庫まで続いているんです。
 公園内に入ると、新しくできた鉄道交流館が待ち受けています。おとな200円/人

 瀟洒な建物の中にはいると、鉄道模型レイアウト製作会社のDDFが製作したNレイアウトが1台、HOレイアウトが1台。共に有田鉄道やその周辺の姿をイメージした風景になっており、廃止時にあった5駅のストラクチャーもありました。他にも、有田川町周辺の建物がレイアウトに点在しており、その芸の細かさは地元の人たちにはそれなりに受けていたようです。使用料は50分で500〜600円。

 一方、ホンモノの有田鉄道などに関する展示についてはやや寂しい。これでは「町営貸しレイアウト屋」じゃないの......的な状態ですけど、まあゆっくりと展示を充実してくれるのでしょう。たぶん
 桜の花見には最適な日だけど、あまりマニアっぽいのはいなかったなあ。駐車場も和歌山ナンバーばかり。ニュースでもほとんど扱われなかったし、ここの鉄道交流館がオープンしたことはあまり知られていないっぽい。地元の有田川町周辺の人が中心で、こどもの遊び場みたいな雰囲気になっています。こういうのもまたいいですよね。

キハ58003、ついに桜並木の下を動く

 さて、ここの最大の目玉は、かつての廃線跡に新たに敷かれた400mのレールとバラストと枕木。ここを

  • キハ58003(旧富士急行車。70・80年代の主力)
  • ハイモ180-101(旧樽見鉄道車。1994年以降の主力)

が走るんですね。
 2009年8月から雨漏り状態の車両を塗り替え、エンジンの整備を行うことになったようです。従前から動態保存できるように維持管理されていましたが、ついにそれが動けるスペースと環境が整ったわけです。
 この日、運転は11、13、14、15時の4回。動くのはキハ58。
 「お客様を乗せての運転はできません」ということだけど、いろいろ準備ができていないのかな。でも、車内には入れるんで、見物させていただきました。
 キハ58のサイドからタラップで上がります。稼働に備えてDMH17のエンジンがくるくるくると動いているのが聞こえます。

 車内は往時のまんま。銘板とかだけでなく、有田鉄道の古い観光バスの案内とかも生きていました。よく10年近く生きながらえてきたなあと驚くことしきり。

 小さな子が走り回る中、かつてこれに乗ったことがあるね、と話し合う年配の方が2人。軽油の匂いがぷーんと車内でも漂っています。
 そして、出発の時です。スタッフが乗り込み、準備を始めます。意外に高齢だなあと、あとで町のスタッフの方に聞くと、元有田鉄道国鉄のOBの人たち8名がボランティアで参加しているということです。

 ライトを付けて、ホイッスルが鳴ると、動き始めます。
 14:57、定刻より3分早いけど......まあいいか。

 おおおお、と周囲の人も集まりだしてくる。
 まずは施設の東側にある車庫の方向へと向かいます。
 交流館裏で展示されているハイモとすれ違い。

 続いて、今度はD51の置いてある東側へと向かいます。
 こちらは線路端に桜が植えられていて、その下を駆け抜けていきます。


 いやあ、すげー。
 でも、動くスピードは10km/hにも満たない。歩くのと同程度。追っかけも可能です


 静態保存のD51が見えてきました。ついに終点に到着。
 ここで運転士さんがエンド交替をして、最初にいたホームへと戻ります。

 また動き出したら、桜並木の下で停車。撮影タイムです

 1分ほどしてまた発車。

 もう一度、稼働する瞬間を前側から。僕の行動をマネする小さな子供が一人。親御さんから借りたデジカメで撮影しています。

 そして過ぎていく後ろ姿を。


 やがてキハ58003はホームに到着。8分間のデモンストレーション運転が終了しました。
 思っていたより迫力はありました。いいねえ。これ。わざわざ関西の東端から来たかいがあったよ。
 町の職員の方に聞くと、毎土日にはなんとか運転したいなあということを目標としているらしいです。ただ、運転できるのが手弁当で来るボランティアのOBさんたちだけ。なんで、毎月第●土曜とか運転日を確約するのは難しい状況です、とのこと。事前の可否も答えづらいっぽい。
 平日も施設は開館しているようですが、キハ58やハイモは車庫の中に入れておくというのが基本。なんで遠路はるばる来ても柵越しにしか見れないこともあるんですね。ただ、これも、できる限り、朝に車庫から車両を外に出しておきたいという方針のようです。
 全体的にやや準備不足という点は否めないけど、ムリせず末永く続けていって欲しいですね。たとえ見物に行ったときに運転していなくても、まあそこらは仕方ないか、と割り切るしかないですよね。また来ればいいんだし。

他の展示車両も見ておきたい

 あとは、他の展示車両のあれこれ。

 樽見鉄道から転属してきてハイモ。最末期はこれが運転していたんだよなあ。月〜金曜日の1日2往復だけというのがまた凄かった。

 最大の特徴は1軸だった動輪。よく揺れたなあ。

 これと同期の元北条鉄道車は隣の紀州鉄道でまだ現役です。


 あと、公園を出て川沿いの遊歩道を歩くと、施設の東側にある金屋口駅跡が見れます。

  • キハ605(旧岡山臨港鉄道→紀州鉄道キハ605)


 こちらは別団体の金屋口鉄道保存会(ふるさと鉄道保存協会系)によるもので、スタッフの方がキハ605の塗装作業に従事されているのが見えました。
 金屋口の駅舎もそのままですね。往年の姿が蘇ってきます。


 出札口の向こうの事務所は不要品の仮置き場っぽい感じですが、有田鉄道の職員の方が事務作業をされていました。鉄道保存とは無関係っぽいです。
 鉄道が消えた後も敷地の隣はパスターミナルとして稼働してきました。今でも平日は1時間に1本くらい走りますが、土休日は半減しています。

 待合室の路線図の看板は鉄道時代のモノを再利用した感じです。

 興味深いのはこれ。

 種別「バス」とわざわざ書かれている隅で、「鉄道」という文字も。バスと鉄道が並行して運行していた時代の名残ですね。末期は平日の朝夕計2往復しか鉄道は運転されていなかったので、定期客はどちらも乗車できたんですね。
 ただ、駅前の商店街は完全に休眠中でした。和歌山最大手のスーパーも閉店していました。


 近くの県道のパイパスができて、クルマの流れが変わったことが最大の要因だそうです。街並みをぷらぶら歩いていると、わびしさが色濃く出ています。
 最後、県道から家と家の間の細い路地を歩いていくと、

キハ58の顔が見えました。かつてここに踏切があったのでしょうけど、今は動態保存運転に通れなくなっています。昔は高校生とかがここを通って線路づたいにホームまで走っていったりしたのかな。
 最後に春空に浮かぶ鉄道車両を見送り、ここを去りました。
 この後、友人の車で山越えして野上電気鉄道動木駅跡周辺を通り、貴志川沿いに和歌山電鉄貴志駅へと向かいました。駅舎は建て替えられており、例の駅長はプレハブの方に移されていました。こちらもどうするのか、ねこで奇跡が起きたという「神話」に依存していていいのか。地元で地道な運動をしている人たちがどうなっているのか。地元の事情を知りうる人たちの話をいくつか聞いて、いろいろ思うところもあったのですが、それはまた別の話。<関連サイト>

<行き方>

 ※廃線跡を行くなら有鉄バスで行きたいところ


<おまけ>有田川町鉄道交流館を取り巻くあれこれ

 従前から有田鉄道金屋口駅とその周辺の用地で「有田川鉄道公園」の整備が進んでいました。車両の動態保存に向けての準備はされていましたが、なかなか具体的な活用方法が見つからないという状況。
 そんな中で、「有田川町鉄道交流館」が記念館として建設されました。吉備町などの合併によって誕生した有田川町が事業主体となり、地域創造支援事業として建てられたモノです(事業費6100万円)。
 と、共に、まちづくり活動推進事業として取り組まれたのが「NPO等による鉄道公園の動態保全事業」(事業費100万円)。こちらが動態運転関係の予算ですね。
 町議会議員の方のブログ「09年11月30日(月)第4回定例議会閉会 日本共産党有田川町議 増谷憲/ウェブリブログ」によると、

  • 交流館建設費 1億1552万円弱(ジオラマ約1900万円予定も含む)
  • 鉄道公園 約1億8809万円(H20度までの分)

が建設費として盛り込まれているということ。まちづくり交付金を使っているなら、交付限度額(国費率)は4割。ざっと6割が地元の有田川町の負担っぽいです。もちろん運営費は別ですね。
 土地は、http://arikaina.net23.net/_article/201003/tetsudo-1.htmlだと、

  • 土地は有田鉄道(株)から町が購入したもので、購入費は1億1200万円

とのこと。無償提供ではない、んだなあ。まあ当たり前か
 また、利用者は

  • 大人15人/日、子ども10人/日。年間7千人

と予測しているらしい。
 ハコモノの建設を抑制しているなか、よく予算を引っ張って来れたなあ。幹線道路から外れているし、お客さんを引っ張ってくるのはかなり難しそうだけど。大丈夫かな。
 町議会の広報とかを見ていると、「これらの事業効果はあるのか。財政難の中で凍結すべきではないか。」との質問が議会で出ていたようだけど、町民に活用していただける施設にしたい、との答弁で終わっている。うまくできるのだろうか。
 気になるのは、なんで有田鉄道(現在もバス会社として運営は行っています)の持ち物であると推察できる金屋口駅舎の建物。これを使えばもっと効率的にできたのに。いや、もともとはここを「鉄道交流館」とする案もあったようだけど、新築の建物になった。耐震基準などの古さに起因するものか、有田鉄道との協議がまとまらなかったのか、土地に関する問題か、国補助をとってくるための策だったのか、あるいは他の理由か。そこらは致し方ないのかな。