10年前に僕が作成した鉄道未成線資料400件がそのままWikipediaにパクられた話

katamachi2010-06-16

 ちょっと呆れています。怒るというより、わびしいというか悲しいというか。
 相手は、あのフリー百科事典「Wikipedia」。さっきネットで調べ物しようとしたら、10年前に僕が作成した資料400〜500件がそのままWikipediaにパクられていたのに気付きました。あまりにも堂々と資料がそのままコピーされていたんで、いろんな意味で驚いていますし、と共に寂しい気持ちになっています。

「鉄道未成線を歩く」取材と資料調査の日々

 僕は今の仕事に就く前、1年半ほどヒマにしているときがあって、その間、JTBさんから話をいただいて未成線についての話を本にまとめたことがあります。

の2冊。
 こうした未成線というのは、鉄道会社などが計画しただけで実現しなかった鉄道線についてのことを指します。
 京阪電気鉄道が梅田に乗り入れる計画があったとか、名古屋で東海道本線のバイパスとなる貨物線が敷かれていた(南方貨物線)とか、京王の前身の1つ帝都電鉄東京市郊外部を環状する鉄道計画を持っていたとか。
 鉄道社史でも僅かながら触れられることがあります。でも、「●●鉄道が成立していった過程」を語るのを主眼としている「正史」からの視点では、こうした実現しなかった鉄道計画というのはすっぽり抜け落ちるんですね。裏話というよりも黒歴史という存在だから。先人の経営者の失敗や判断ミスを指摘する形になるから、ややオブラートに包んだ表現にせざるをえない。
 そんなトリビアな知識というのは趣味関係の本でも少なからず紹介されていたし、特に川島令三は積極的に取り上げていたのですが、情報があまりにも少なくて、根拠のない噂話とかが勝手に飛び交っていたんです。
 単にトリビアな知識を集めただけじゃあ寂しいんで、本文で取り上げた路線についてはかなり本格的に調査取材しました。
 そして、僕は当時の運輸省の地下倉庫にあった膨大な量の文書(いわゆる鉄道省文書・運輸省文書)=一次史料に直接当たりながら、鉄道社史や趣味本の裏をとる作業を始めました。いや、途中からは文書ベースで鉄道史の黒歴史を紹介する方に主眼が行きましたか。現地取材にも行って自治体や博物館から資料集めをしたりもしました。
 と共に、本の後半部分に、

  • 「鉄道未成線120年のレクイエム」
  • 「大正・昭和期における未成鉄道の失効路線一覧」

というのを付け加えました。前者は「未成線」という視点から日本の鉄道史を語った文章、後者は1910年〜2000年に地方鉄道法軌道法などで免特許を失効させた路線の一覧です。これは鉄道省運輸省の統計文書、そして官報そのものにあたって作った資料です。
 そうした資料収集と現地取材の積み重ねをし、実質一年半(着手してからだと3年くらい)かけて執筆したのが上の2冊です。20代後半の時の仕事です。
 実現しなかったものの黒歴史だけをひたすらマジメにまとめた本なんて過去に存在はしませんでした。鉄道車両に対する趣味が中核であるこの世界において、かなり強引な変化球でした。かといって豆知識や裏情報を羅列するだけでなく、鉄道史研究にも耐えられるレベルにまで引き上げたかったんですね。
 鉄道好きの97%にはご縁がない本だったと思いますが、人によっては興味深く読んでいただいたようです。2chに専用スレまでできていたと後で気付きましたが、意外にも評判は悪くなかった。紀伊国屋書店のposデータも好調でした。なんでこんな本が売れているの、とあちこちで尋ねられました。
 鉄道趣味の世界の大先輩たちからにもにもそれなりに評価をいただきました。青木栄一氏が「鉄道ジャーナル」誌2002年3月号の書評にて、鉄道史研究の視点から本書の意義を解説してくれました。書評の最後の「日本の鉄道史研究におけるテラ・インコグニタ(未知の大陸)ともいうべき未成線の全容に取り組んだ著者のこの仕事には、心からの賛辞を捧げたい」という箇所には、ちょっと涙が浮かびました。
 結果的にこの2冊を刊行し、僕は正業に就いたので、「鉄道ライター」生活は一年半で終わりました。
 その後も臨時で請負仕事はいただきますけど、時間もカネも余裕もないし同じレベルの本をもう一冊書くのはずっと後のことだろうな。


 というような苦労話とか個人的な感情というのは読者にとってどうでもいいことです。刊行されることで書籍は著者の手から外れていくものだから。
 楽しく読んでもらって、鉄道知識を深めてもらって、さらにもっと鉄道のことを知りたい!......という気持ちになっていただければそれで十分です。

鉄道未成線を歩く (私鉄編) JTBキャンブックス

鉄道未成線を歩く (私鉄編) JTBキャンブックス

Wikipediaの記事で「要約」か「引用」されたっぽいですが

 それから数年経った頃です。この日記を書き始めた年だから2006年かな。
 知人と電話をしていてなにげに未成線の話になって、「そういや●●線の話ってWikipediaに載っていたね」ということになりました。
 ネットのフリー百科事典「Wikipedia」の存在はすでに有名になっていましたし、僕も何度となく閲覧していました。
 でも、迂闊にも鉄道系のページにはほとんどアクセスしていませんでした。真偽不明の話が参考文献もなしにたくさん載っているので、情報ソースとしてどうなのかなあと無意識に思っていたんでしょう。
 そして●●鉄道について検索してみると、
おおおお、オレの本からの丸写しじゃないですか!
 正確に言うと大学生のレポートみたいな分かり易い丸写しじゃないんですよね。著作権には気をつけろ!みたいな意識は徹底されているようです。
 でも、ねえ。主語と述語の順番を変えたり、修飾語を違う表現にしたり、要約していたりしても、元ネタを書いた当本人にはパクられたのかどうかぐらいは分かりますよ。それを「要約」というのは勝手だけど、ならばきちんと他の文献も調べて書いて欲しいなあ。
 認識不足とか誤認とかも気になるのですけど、僕が違和感を覚えたのは、

  • 僕の調査研究に9割以上依拠しながらWikipediaの名前で発表しているのに、引用元や参考文献(つまり僕の本の名前)が全く書かれていないのはどうよ

という点。で、該当項目を書いた方に間違いを指摘したのだけど、

  • 一部で書き間違えました
  • 他に編集した人間もいるんで自分だけではない
  • ご意見があるなら自分で編集してください

という回答でした。
 もちろんマジメな人も多いんだろうし、最近は参考文献や引用元をきちんと明示する人も増えているみたいです。
「文句あるなら自分で書け」
というのがWikipediaの方針とは思いたくないですが、なんか無責任な書き手が少なからずいらつしゃるんだなあと感じたわけです。一番最初のとっかかりで不幸な出会いをしてしまったんで、僕がWikipediaで記事を書く機会はありませんでした。
 同じようなことはいろいろあるようです。
 内燃動車・気動車研究の権威で「内燃動車発達史〈上巻〉戦前私鉄編」など刺激的かつ決定版とも言える本を多数刊行されている湯口徹氏。ご自身の母校である母校である同志社大学鉄道同好会のOB会の掲示http://drfc-ob.com/wp/?p=8229でウイキペディアの記述について批判的なコメントを残されているのを偶然見つけました。

拙著「内燃動車発達史」等からも丸写しが山ほどあってうんざりするくらい。せめて出典を記す最低限度のマナーなんぞ、糞でも喰らえ、ないしは引用してやったのだから有難いと思え、といわんばかりである。

 うまく言えないんですけど、そうなんですよね。パクられている人間の気分としては。
 記事を書いたっぽい人が下の方で丁重に謝っているんだけど、「ウィキペディアの本体の方にも、ご指摘をどしどし頂けますと幸いです」って、ちょっと待てよ。その理屈ってWkipediaの編集人以外では通じない論理ですよね。

鉄道未成線を歩く (国鉄編) JTBキャンブックス

鉄道未成線を歩く (国鉄編) JTBキャンブックス

僕の資料を丸々コピペした「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%88%90%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%B1%E5%8A%B9%E8%B7%AF%E7%B7%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7」。

 で、本題。
 今日、仕事が休みなんで久しぶりに日記を更新しようとして、ついでに過去記事の修正をしようかなあと考えたわけです。「岩手鉱山を目指して力尽きた東北鉄道鉱業と北岩手鉄道。そして岩泉線 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」。岩泉線の近くで計画された私鉄の話です。ここで取り扱っている「岩手窯業鉱山」って今の経営母体はなんなんだろう……と検索していると、Wikipediaが引っかかりました。またレアな。
 で、クリックしていくと見つけたのが「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%88%90%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%B1%E5%8A%B9%E8%B7%AF%E7%B7%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7」。
 はい、これ。拙著「鉄道未成線を歩く (私鉄編) JTBキャンブックス」p.174〜190からの丸写しです。
 どこのどなたが存じ上げませんが、400件から500件、未成線

  • 事業者名
  • 動力
  • 軌間
  • 距離
  • 区間
  • 免許 ・特許交付年月日
  • 免許 ・特許失効年月日
  • 備考

が羅列されていますが、これが見事、僕の作成資料そのままです。
 以下は拙著のp.189です。青森県岩手県の部分ですが、これがWikipediaの記事とまるっきり同じです。路線毎の資料の並べ方まで全く同じです。

 「備考」欄を見てください。僕が弘前電気鉄道ついて書いたコメントについても、

wiki 大鰐線弘前市内での残存区間
というような修正とも言えない修正がなされているだけ。基本、そのままです。他のページも僕の本を持っている方がいらっしゃったら照らし合わせてみてください。
 著作権を少しは気にしてくれたのか、僕の原表p.190にある資料解説25行分は「要約」も「引用」もしていないようです。でも、その解説がないと資料の意味を判読することはできないんですよ。
 この資料、47都道府県全部で2000件ほどあるんですよ。この後もWikipedia版「未成鉄道の失効路線一覧」はまだまだ拡充されていくんですかね。正直、愉快なものじゃないですよ。
 念のために言っておきますが、この資料を公表=本を発売したのは2001年です。Wikipediaの記事の方が後です。


 いやあ、ちょっと今回は参りました。
 しかも、10件とか20件とかじゃなく、記入されただけで400〜500件はあるんですよ。ここまで大量に、しかも潔くコピーされてしまうと、ちょっと感動的です。
 この項、下に「参考文献」として僕の名前が挙げられているのですが、まず著者名が間違っています。いや、それはいいんです。「参考文献」として上げれば、資料やデータをそのまま丸写ししてもいいのでしょうかね。手入力でやればもお咎めなしなんですね。
 ちなみに、「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AA%E6%88%90%E9%89%84%E9%81%93%E3%81%AE%E5%A4%B1%E5%8A%B9%E8%B7%AF%E7%B7%9A%E4%B8%80%E8%A6%A7」を編集した方は2人いるみたい。うち1人は湯口徹氏が指摘し、上記掲示板で言い訳を書いていた人と同一人物っぽい。
 著作権とかには詳しくないんですが、文章ではなく、こうした資料というのはコピペしても問題ないのですかね。あまりにも堂々と記事になっているのでちょっと不安に思えてきました。著作権が侵害されたどうのこうのというより、文章の書き手としての「仁義」や「マナー」はどうなんだろうか。そちらの方が気になります。
 でもねえ。僕がWikipediaに愚痴を言っても、「文句あるなら、あなたが編集すればいいんです」とか言い訳されそうでなんだか複雑な気持ちになっているのですが、それはまた別の話。

  • 続き→

読者の方とWikipediaの編集者の皆さんへ - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
大正・昭和期の関東大手私鉄系未成鉄道失効路線一覧と夏コミの本 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月

  • 最終的に

 とりあえず本件については解決したみたいです。
「Wikipedia:削除依頼/未成鉄道の失効路線一覧」について - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
 みなさんいろいろありがとうございました。