「となりのトトロ」幻のエンディングと「魔女の宅急便」幻の監督
『トトロ』については、「メイが迷子になってから先、トトロが活躍しないまま映画が終わりまで行ってしまう」というような声を、封切り直後に受け止めてしまったらしい。その部分を是正するために若干の新作場面の追加したい、と発案した。
WEBアニメスタイル | β運動の岸辺で[片渕須直]第46回 ふたつの映画の狭間で
「トトロ」に幻のエンディングが存在し得たのか。
ネット普及後の都市伝説的には「トトロ」には別なラストがあって、とか語られているのは聞いたことがあるが、それとはもちろん無関係にしろ、幻のエンディングが存在し得たというのが驚かされた。
確かに、今の宮崎とジブリしか知らない人間にはウソみたいな話だが、「トトロ」公開前後、宮崎作品に対する興行側の評価は決して高くはなかったと聞く。あの「トトロ」でさえも自身がなかった。「完全な自信を伴った磐石の態度で批評を受け止められるものではない」という観察眼は、宮崎の公となっている姿とは別の側面を浮かび上がらせる。
(ちなみに、同時上映の「火垂るの墓」は未完成のまま時間切れとなったため、一部白い画面で公開された。DVD・テレビ版では完成版になっているが、フイルム上映だと未完の作品を見ることができる)
この話が、宮崎の愛弟子であった片渕の口で語られたことが貴重である。
でも、そもそも片渕って何者なのか。というところから解説が必要なのだろうか。
彼の一連の連載、そして「片渕須直 - Wikipedia」なんかである程度、彼の来歴は分かると思う。
代表作は、
- うしろの正面だあれ
- 名犬ラッシー
- アリーテ姫
- マイマイ新子と千年の魔法
というところか。「ブラック・ラグーン」という作品は未見というか未知なんでよく知らないが、監督を担当していたらしい。
巷では評価は高かったし、彼がシリーズ監督を努めた世界名作劇場シリーズ「名犬ラッシー」(1996)なんか、僕は大好きな作品だった。
ただ、彼にはどこか不運がまとわりついていた。その「ラッシー」にしても、玄人筋では高評価を得ていたモノの、視聴率は伸び悩み同年8月にて放送終了。8ヶ月で打ち切りというのは同シリーズ初の緊急事態であり、かつ世界名作劇場シリーズ自体も次作「家なき子レミ」にて終了してしまう。
「アリーテ姫」なども佳作としての評価はあったものの、一般的な人気にもオタク的な人気にも恵まれなかった。
ところが、昨年来、「マイマイ新子と千年の魔法」がそれなりに話題となった。ネットで高い評価を受け、アニメ業界人たちがプッシュし続け、そのお陰で単館上映ながらロングランを続けている。
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その後、「魔女の宅急便」(1989)で、当初、片渕が監督として予定されていたという裏話も、マニアの間では噂としては広がっていた。「片渕須直 - Wikipedia」でも、「『魔女の宅急便』では当初監督として準備班を指揮した後」と紹介されている。
ジブリの親元である徳間書店のロマンアルバム「魔女の宅急便」p.38で映画作成→宮崎監督に決定するまでの裏話が紹介されているが、宮崎が「20代の若い演出家のフイルムをビデオで見まくる作業」によって、誰を選ぼうとしたのか。どこか言葉が濁されている。
片渕自身、シナリオ案の提供を行ったと「第45回 桜の下で」で回想している。監督という立場ではなかった、らしい。そして、「第46回 ふたつの映画の狭間」にて、片渕自らが企画の経緯を説明している。
それが、80分作品へと変わっていった、と。宮崎の指示で、「若い女性が好むヨーロッパ」としてストックホルムへ片渕は趣くことになる。
その前段階のあれこれのエピソードで今回の連載は終わっている。片渕は監督になれたのかどうか。それは次以降の連載を読んでくれ、ということか。
だが、僕らは、「魔女の宅急便」が宮崎駿監督作品として公開されたことを知っている。片渕は監督補という肩書きになっている。
「ロマンアルバム」p.117で片渕はこのように述懐している。
ぼく自身、宮崎さんに憧れてアニメ界に入ってきたわけですが、どこからが宮崎さんの模倣なのかと問われれば、模倣の部分がずっと多いと思うんです。この作品に参加するとき、どこかでそうしたものから脱却したいという思いがあって、そのもやもやかが宮崎さんに対する反抗的な姿勢になったり、ちょっと自分でつらくなったりしました
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まず、宮崎駿・ジブリに対する第三者的な貴重な証言となること。
「ナウシカ」マンガ連載の1982年から宮崎と徳間書店とは蜜月状態にあり、特に「魔女の宅急便」が公開されて初めて宮崎が公開段階で大ヒットを記録する1989年までは、宮崎・ジブリは徳間におんぶに抱っこという関係にあった。「アニメージュ」を通じた大量の広告宣伝やパブ記事が「ナウシカ」「ラピュタ」「トトロ」「火垂る」「魔女宅」を支えてきたのは紛れもない事実である)。
この頃までは、宮崎自身も徳間の本や雑誌で精力的にインタビューに応えている。対談をこなし、マニア向けのアピールに心がけていた。それが彼が作品を作り続ける環境を維持するために必要だと割り切っていたからなのだろう。「もののけ姫」以降、宮崎が無口になり、逆にアニメージュOBのプロデューサー鈴木敏夫が広報担当として露出が多くなっていくこととと比べると意外と言えば意外。今夏再版された「風の谷のナウシカ GUIDEBOOK 」。あるいは幻の名著「天空の城ラピュタ GUIDE BOOK」は必見である。
そうした徳間経由のパブ記事が公開前になると大量に出回るため、僕なんかも含めてそれを読みあさっていたのだけど、それって少なからず宣伝広告と一体化してバイアスがかかっているんだよね。ある意味、大本営発表だ。そうじゃない視点からの記事にはなかなか出会えない。
90年代半ば以降、宮崎作品を読み解くという類の本があちこちから出されているけど、そのほとんどは徳間の記事=公式見解に依拠している。宮崎評がステロタイプな語り口になってしまうのも致し方ないところがある。「宮崎作品には浮遊感がある!」なんていうのが定番の語り口としてあるが、それって四半世紀前の「アニメージュ」の記事の焼き直しじゃないのかなあ。宮崎・ジブリが質的にも興行的にもあまりにも立派になりすぎて、徳間経由以外の証言に出会うことは少なくなったのだ。
だからこそ、片渕の証言が貴重になると思う。
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「魔女宅」の監督変更が時を越えて話題となったのは「ハウルの動く城」における細田守の降板劇があったときだ。
「猫の恩返し」と「ハウル」は2002年に中編として同時上映される旨がリリースされていたが、東映動画から出向していた細田が途中でジブリから離れ、公開が2年遅れとなり宮崎が監督を務めることになった。製作中止になった経緯について、細田は「時をかける少女」の頃からちょこちょこと語るようになった。ジブリの制作サイドとのギャップが原因だとも匂わせている。でも、なぜ離れたのか。まだ釈然としないモノがある。
細田が離れたとき、そして「時をかける少女」で復活したとき、改めて1988年頃のジブリ最初期に起きた「魔女宅」の話題が思い返されるようになったと思う。
- ジブリがなぜ後継者育成に失敗してきたのか
というジブリ社内でも外野でも注目される事態がどうなっていくのか。
宮崎の数少ない理解者であり評者でもある押井守は「ジブリはクレムリン。宮さんはスターリンで、高畑さんはトロツキー。鈴木敏夫はKGB長官」と評している。ジョークと皮肉を込めたこの表現がジブリの現状への指摘としては的を射ていると思っている。宮崎が優れた作品を続けるには、彼の意図に忠実なスタッフが必要である。異分子は徐々に離れて行かざるを得ない。そうした環境でエッヂの尖ったクセのある演出家は育っていくのか。テレビシリーズなどでの試運転も練習もままならないとなると、なかなか難しいのだろう。
宮崎の愛弟子と自他とも認め、でもジブリで働く場を見付けられなかった片渕は何を語ってくれるのだろうか。
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ちなみに、前の週末、近所のシネコンで「借りぐらしのアリエッティ」を見ました。古い和洋折衷の家にやってきた子供、という設定は「トトロ」を彷彿させました。いや、他にも「トトロ」を思い出せるシーンは随所に散りばめられていました。作画や背景はジブリ的な水準に達していましたし、「もののけ」以降は枯れ果てた宮崎にはないエッセンスが散りばめられていたと思います。
でも、彼は宮崎とは違うんだよね。当たり前のことを知らされました。
レイアウトも頑張っているんだけど、小人の視線なのか、少年の視線なのか、客観視線なのか。意図があまり練り込まれていないからか、観客である僕はときどき置いてけぼりになった。あと、身の丈10cmの少女と人間の少年との対比、というこの作品最大のウリも有効に活用されていたのか。絵コンテやレイアウトでそういう細かい計算を練り込んだ上に、現実と非日常の間に起きるギャップを物語や画面に有効に活用してきたのが往年の宮崎で......と、結局宮崎駿の影を通して語られてしまう、というのがジブリ新人監督の最大の不幸なんでしょうね。
宮崎は、NHKの「ジブリ 創作のヒミツ 宮崎駿と新人監督 葛藤の400日」というNHKの番組でいくつかコメントを寄せていました。今回は、映画製作にタッチはしない、と。そして初号試写直後、米林宏昌監督と握手を交わし、にこやかに彼の手を挙げました。
はたして宮崎の心中やいかに。後継者をまた見付けようとするのでしょうか。
ちなみに、次回作についても宮崎は気になる発言をしたのだとか。どんな作品になるのだろうか。来年でこの人も70歳なんだよね。
余談ですが、そういや、僕は一度だけ宮崎駿と会ったことがあります。
高校1年の冬、東京に鉄道旅行へ行った途中、吉祥寺で降りて当時のスタジオジブリ第2スタジオに行ったのですよ。最初は社屋を見るだけで帰るつもりだったけど、現地に行くとそうもいかない。なんかやっぱり惹きつけられて2階の事務所をノックしていました。もちろん論外で見学は断られましたが、事務所の向こうに丹内司と金田伊功だけを目視できました。「トトロ」の絵コンテ作業は終了し、作画の最終リテイク作業に入っていた頃でしょうか。
まあしゃあないなあと階段を降りると、鼻歌で演歌を歌いながらこっちに向かってくるオッサンがいました。あの宮崎駿です。
口をあんぐりと開けたまま、宮崎と目があいました。
「ふふふ、ファンです。がんばってください」とだけ喉から言葉を絞り出すと、宮崎は「ああ、どうも」と一言残して事務所へ入っていきました。本人に会ったからというわけでもないんですが、この記事を書きながら、嗚呼やっぱり自分は宮崎駿が好きなんだよなあ、と再確認したのですが、それはまた別の話。
追記
第47回 宅急便の宅送便「次は自分たちで、ね」がアップされていました。
最終的にここがスポンサー乗りしなければこの企画は成立しないことになるという立場の企業の方から、「当方としては『宮崎駿監督作品』としてのもの以外に出資するつもりはない」
ですか。そうきたか......。他の宮崎以外の作品についても、必ずこういう資本側の論理って言うのはあるのでしょうね。僕が企業側の立場であっても、宮崎以外の監督作品にはさして興味がないというのが正直な評価になるかな。ましてや草創期のジブリで、片渕須直監督をごり押しすることはできなかった、というのも理解できないわけではない。降ろされた監督しては、作中のキキ同様、「屈折」になるのだろうけど.......<参考>
宮崎駿、「ゲド戦記」試写を見る - とれいん工房の汽車旅12ヵ月
「ゲド戦記」の不可解な2つの謎を考えてみた。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月