「片町線115年 ―覚えておきたい10の出来事」の講演会資料
先日の当方の講演会。パワーポイントで資料を作成していました。
当日、興味を持たれた方が何人かいらっしゃったようですし、個人的にも頼まれていたんで、とりあえずテキストを公開いたします。画像に関しても、当方の撮影分に関してはいくつか出そうと思います。
これで片町線115年の歴史が分かる、というにはわずかな話ですが、鉄道史にご興味あるならご参考にまで。
片町線とは
片町線の栄光の日々
- 1898年 大阪名古屋を結ぶ高速急行列車
- 1912年 官営鉄道最新鋭の蒸気動車が投入
- 1932年 関西国電で最初の電車が走行
- 1979年 関西初の自動改札機で近代化
- 1991年 JR西最初の通勤電車207系投入
- でも……みんなに忘れられています。
- 地味ならではの輝きを紹介したい!
1.浪速鉄道 1895(明治28)
片町線の原型を作った資本家たち
浪速鉄道とは
片町駅の立地の中途半端さ
2 関西鉄道 1898(明治31)
大阪・名古屋を結ぶ最速急行が行く
大阪を目指す関西鉄道
- 関西・名古屋を結ぶ鉄道を企画する鉄道
- 1889年 草津〜三雲間開業
- 1894年 臨時総会で木津〜大阪間の建設を決定(浪速鉄道開業の前年)
→やがて浪速鉄道と城河鉄道に関心を持つ
- 城河鉄道 四条畷〜木津間、大住〜八幡間 未開業線
関西鉄道 大阪乗り入れの過程
1898年 網島〜名古屋間開業
- 都心により近い網島駅が起点に
- 11月より網島〜名古屋間で直通運転開始
1往復半は急行で5時間17分で結ぶ
網島 徳庵 住道 四条畷 田辺 新木津 加茂….停車
- 網島に関鉄の大阪事務所本社機能
- 1899年の網島駅の乗降客は1.5倍
- 片町線最初で最後の栄光の日々が到来
網島線・桜宮線 黄昏の日々
- 1901年 網島駅と桜ノ宮駅を結ぶ短絡線
- 網島駅 1899年63万人→1901年29万人
他の駅も2割減、徳庵は3割減
- 玉造〜放出、長尾〜新田(宇治)の新線構想
→大阪と京都を結ぶ鉄道プラン
・鹿背山トンネル
・奈良鉄道との立体交差
・新木津駅跡
- 関西鉄道の社章
電気鉄道の発展と片町線の黄昏
京阪が片町線改良に名乗り上げる
•片町線木津〜片町間の電化
•1067mm+1435mmレールに改築(三線軌条)
•片町〜星田間は複線化
•京阪野田橋・蒲生と片町線京橋に短絡線
•信貴電片野〜星田間に短絡線
•認可後3年以内に電化工事実施
京阪の仰天計画の背景
- 鉄道敷設の免特許の申請が乱発
- 鉄道資本と政治家、鉄道省官僚との癒着
- 政友会 鉄道敷設権免許に積極的
- 憲政会 どちらかというと消極的
- 八田鉄道次官から京阪への提案
「京阪が負担するなら並行路線認可の理由がなくなる」
輸送力増強と近代化による乗客増
※1930年と1935年の乗車客数/日
- 片町線定期客数
1936年8651人→1940年16404人→1942年18567人
6.城東貨物線と軍事輸送 1931(昭6)
大阪を南北に操車場を結ぶ貨物線
大阪界隈の旅客貨物線の分離
吹田操車場と片町・関西線を結ぶ貨物線
-
- 城東線旅客化・電化・高架化
- 大阪南部・臨海部への貨物ルート充実
- 1929年 吹田〜淀川間開業
- 盛土は長尾から輸送 路盤は複線分確保
- 1931年 吹田〜放出〜平野間開業
片町線が城東貨物線・吹田操車場を介して全国の鉄道貨物ネットワークと連絡
大阪陸軍造幣工廠と貨物輸送
- 大阪城跡の砲兵工廠は東洋最大の陸軍工場
- 1899年 大阪鉄道玉造〜砲兵工廠間開通
→明治期より軍事輸送の一部となっていた
- 1904年 日露戦争
→軍事輸送のために鉄道網の全国的統一が必要
→1931年の城東貨物線完成でネットワークに組み込まれる
陸軍工場と貨物輸送
戦中から戦後へ荒廃
7.片町線複線化 1969(昭44)・1979(昭54)・1989(平元)
地元悲願の電化・複線化は着々と
戦後復興と片町線の再整備
1955年段階の片町線
片町線近代化プロジェクト
片町線近代化の結果
国鉄と鉄道貨物の転換期
木津電化
ローカル線っぽい片町線
車両近代化の波が片町線にも
他路線から独立した片町線
- 木津〜片町間。貨客とも他路線と直通運転皆無・他鉄道との連絡不(関西鉄道の1年半….)
- 旅客・貨物輸送は1930年頃まで低迷
- 施設近代化・輸送力増強の遅れ
- 経営合理化と実験的な施策による模索
- 関西鉄道→鉄道省→国鉄
→片町線を活用するビジョンを長年描けず
- 関西の鉄道ネットワークでどう片町線を位置づけるかが課題となってくる