「片町線115年 ―覚えておきたい10の出来事」の講演会資料

katamachi2010-10-09

 先日の当方の講演会。パワーポイントで資料を作成していました。
 当日、興味を持たれた方が何人かいらっしゃったようですし、個人的にも頼まれていたんで、とりあえずテキストを公開いたします。画像に関しても、当方の撮影分に関してはいくつか出そうと思います。
 これで片町線115年の歴史が分かる、というにはわずかな話ですが、鉄道史にご興味あるならご参考にまで。


片町線115年のあゆみ

〜知っておきたい10の出来事〜
    鴻池新田会所  2010.10.3
    森口誠之 (もりぐち まさゆき)

片町線とは

  • 木津〜京橋間。1895年(明治28)より一部開業
  • 今年で115年目。歴史は京阪や近鉄より古い
  • 片町線の支線として城東貨物線(吹田〜鴫野〜放出〜平野)もある
  • 名前の由来は終点「片町駅」→1997年に廃止
  • 愛称・学研都市線 (1988年)
  • でも、今でも正式名は「片町線

片町線って地味な路線

「牛より遅い片町線」by笑福亭鶴光師匠

同志社前? 松井山手? 四条畷? どこ?

  • 「旧型国電の墓場」学園都市線? 話題性がない
  • 鉄道趣味の世界でも、大阪人でも、

「地味な路線」

片町線の栄光の日々

  • 1898年 大阪名古屋を結ぶ高速急行列車
  • 1912年 官営鉄道最新鋭の蒸気動車が投入
  • 1932年 関西国電で最初の電車が走行
  • 1979年 関西初の自動改札機で近代化
  • 1991年 JR西最初の通勤電車207系投入

  • でも……みんなに忘れられています。
  • 地味ならではの輝きを紹介したい!

1.浪速鉄道 1895(明治28)

片町線の原型を作った資本家たち

浪速鉄道とは

  • 片町〜四条畷間 1895年(明治28)開業
  • 大阪府内で4番目の鉄道
  • 片町、放出、徳庵、住道、四条畷の5駅
  • ルートは古堤街道→低湿地帯、
  • 838mmの軽便規格→1067mmの狭軌
  • 寝屋川を跨ぐ橋梁が開業当日にも未完

片町駅の立地の中途半端さ

  • 102年間片町線の大阪側拠点だった片町駅
  • 物流拠点の堂島・中之島からの距離感
  • 他鉄道線との接続がない
  • 創業期から貨物輸送の伸び悩みに苦労
  • 大阪鉄道梅田線(現・大阪環状線)との連絡はどうする?
  • 後の関西鉄道、政府鉄道院も扱いに苦慮

なんで片町線を作ったのか

  • 発起人は、福井精三、福沢桃介、西村捨三、鴻池新十郎、松本重太郎

→鴻池家も含めて大阪の資本家たちが中心

  • 目的 寝屋川水系の物流 &四条畷神社の参拝客→でも、地域の資本家は不在
  • 敬神信仏は方便? 本気にやる気はあった?
  • 開業翌1896年、浪速鉄道は関西鉄道との合併話



2 関西鉄道 1898(明治31)

大阪・名古屋を結ぶ最速急行が行く

大阪を目指す関西鉄道

  • 関西・名古屋を結ぶ鉄道を企画する鉄道
  • 1889年 草津〜三雲間開業
  • 1894年 臨時総会で木津〜大阪間の建設を決定(浪速鉄道開業の前年)

→やがて浪速鉄道と城河鉄道に関心を持つ

  • 城河鉄道 四条畷〜木津間、大住〜八幡間 未開業線

関西鉄道 大阪乗り入れの過程

  • 1896年 浪速・城河鉄道と免許譲受契約
  • 1897年 営業権や車両などを譲受。四条畷〜木津間などの建設
  • 1898年
    • 四条畷〜長尾〜木津間を開業
    • 加茂〜大仏(奈良)間を開業
    • 加茂〜新木津間を開業
    • 放出〜網島間の開業

1898年 網島〜名古屋間開業

  • 都心により近い網島駅が起点に
  • 11月より網島〜名古屋間で直通運転開始

 1往復半は急行で5時間17分で結ぶ
 網島 徳庵 住道 四条畷 田辺 新木津 加茂….停車

  • 網島に関鉄の大阪事務所本社機能
  • 1899年の網島駅の乗降客は1.5倍
  • 片町線最初で最後の栄光の日々が到来

関西鉄道 湊町を大阪拠点に

 奈良〜湊町、天王寺〜大阪(梅田)間の権益を譲り受ける(関西本線環状線)

  • 9月より名阪直通列車は、奈良・王寺経由
  • 網島駅ルートは1年半で用済みに
  • 鉄道時報
  • 「網島線の建設費は空費」
  • 「桜宮・網島・片町線の建設はまったくの無駄」

網島線・桜宮線 黄昏の日々

  • 1901年 網島駅と桜ノ宮駅を結ぶ短絡線
  • 網島駅 1899年63万人→1901年29万人

  他の駅も2割減、徳庵は3割減

  • 玉造〜放出、長尾〜新田(宇治)の新線構想

  →大阪と京都を結ぶ鉄道プラン

  ・鹿背山トンネル
  ・奈良鉄道との立体交差
  ・新木津駅跡

  ・星田駅の駅舎にあった社章
  ・寝屋川連絡所(鴫野駅西側)の橋桁


3 蒸気動車 1912(明治45)

SL+客車の新鋭車両と鴻池新田駅

気動車とは

 ホジ6005→キハ6401
 愛知県・明治村JR東海博物館

  • 気動車で桜宮線を活性化
  • 政府鉄道院は桜宮線の再生に取り組む

  木津付近の不要路線の整理統合

  • 1912年に最新鋭 蒸気動車ホジ6005を網島機関庫に投入
  • 桜宮・片町〜四条畷間で増発・合理化
  • 京橋・新喜多・鴻池新田・鴫野での旅客扱いをスタート

    ※ただし線内移動のみの特例

鴻池新田駅の誕生

  • 開業は1912年(明治)4月21日

 蒸気動車の運転開始日と同じ

  • 最初は停留所。桜宮・片町〜四条畷間発着の切符しか発売していなかった
  • 翌1913年に停車場に昇格。貨物取扱開始
  • 駅設立の資金や敷地を鴻池家が提供
  • 片町線京橋口乗降場が京橋駅下に開設

新たな挑戦の挫折

  • 気動車の運転は2年で終了(1914年)

  その後も何度か入線したが…..

  • 桜宮〜網島〜放出間は1913年に廃止
  • 喜多駅も1916年に廃止
  • また片町線(木津〜片町)は宙に浮いた存在となる

電気鉄道の発展と片町線の黄昏

  (大軌→だいき 近畿日本鉄道奈良線の前身)

放出玉造線跡地(今里筋線緑橋駅)
喜多駅跡地

4 京阪電鉄片町線乗り入れ計画 1927(昭和2)

京阪自費負担による片町線電化構想

取り残される片町線

  • 放出・徳庵駅の利用者 大正初期1.5倍増
  • それでも京阪・大軌沿線とは段違い
  • 1918年に片町線電化を沿線各町村が請願するが相手にされず

 →時の政友会政権は地方路線の拡充に必死

 京阪・大軌、他グループも鉄道建設熱

京阪が片町線改良に名乗り上げる

片町線木津〜片町間の電化
•1067mm+1435mmレールに改築(三線軌条)
•片町〜星田間は複線化
•京阪野田橋・蒲生と片町線京橋に短絡線
•信貴電片野〜星田間に短絡線
•認可後3年以内に電化工事実施

  • 京阪が電化工事費600万円負担。施設を鉄道省に無償譲渡
  • 鉄道省は京阪に片町線での純益を支払う
  • 1927年 鉄道省は京阪乗り入れ計画を認可
    • 信貴電は星田〜交野間免許取得

京阪の仰天計画の背景

  • 鉄道敷設の免特許の申請が乱発
    • 京阪梅田線、大軌四条畷線、奈良電大阪延長線、大鉄寝屋川延長線、城東電気鉄道、東大阪電気鉄道………
  • 鉄道資本と政治家、鉄道省官僚との癒着
    • 政友会 鉄道敷設権免許に積極的
    • 憲政会 どちらかというと消極的
  • 八田鉄道次官から京阪への提案

「京阪が負担するなら並行路線認可の理由がなくなる」

巨額負債で苦しむ京阪

  • 金融恐慌から昭和恐慌
  • 京阪の経営状況の悪化
  • 1929年 鉄道敷設免許のばらまき
  • 免許権を巡る政党と鉄道資本の癒着

→大臣や鉄道首脳を巡る疑獄事件

  • 1930年以降鉄道建設熱が急速に冷める
  • 京阪梅田乗り入れ構想の名残    

  ・桜ノ宮駅南側の京阪電鉄乗越橋
  ・京阪電鉄乗越橋の銘板

  ・大喜橋(だいきばし)
  ・阪奈道路

5 片町線電化 1932(昭和7)

関西初の国電と淀川電車区

関西初の国電片町線を走る

  • 1930年 片町線と城東線の電化が決まる

 ・城東線に次ぐ輸送量
 ・蒸気列車での輸送に限界
 ・平坦な独立路線で短距離

  • 1932年 片町〜四条畷間で電車運行

 ・桜ノ宮駅北側に淀川電車区(淀川駅)
 ・20m電動車モハ41など27両投入
 ・1933年に城東線も電化・高架化完成

輸送力増強と近代化による乗客増

  • 1933年 奈良機関区
  • 貨物列車 小型タンク蒸気機関車C11
  • 四条畷〜木津 キハ41000気動車ガソリンカー
  • 1937年 片町線全電車2両化
  • 1940年 強力タイプモハ60投入
    • 鴫野〜徳庵  3631人→8608人
    • 鴻池〜四条畷 3282人→5783人
    • 星田〜長尾  686人→959人

  ※1930年と1935年の乗車客数/日

  1936年8651人→1940年16404人→1942年18567人 

6.城東貨物線と軍事輸送 1931(昭6)

大阪を南北に操車場を結ぶ貨物線

大阪界隈の旅客貨物線の分離

  • 増加する旅客・貨物輸送に対応すべく、駅施設内の貨客分離、操車場設置が急務
  • 1923年 吹田操車場が開設
  • 吹田操車場と片町線放出・関西線平野を結ぶ貨物専用線の工事開始
  • 1927年 淀川貨物線と淀川駅。桜ノ宮天満駅貨物、城東線高架、旧桜宮線
  • 城東貨物線の建設

吹田操車場と片町・関西線を結ぶ貨物線

    • 城東線旅客化・電化・高架化
    • 大阪南部・臨海部への貨物ルート充実
  • 1929年 吹田〜淀川間開業
    • 盛土は長尾から輸送 路盤は複線分確保
  • 1931年 吹田〜放出〜平野間開業

片町線が城東貨物線・吹田操車場を介して全国の鉄道貨物ネットワークと連絡

  • 竜華操車場と大阪南部の貨物
  • 1938年 竜華操車場開業(現・久宝寺付近)
  • 1939年 放出〜竜華〜八尾間開業
    • 大阪南部の貨物拠点開業
    • 天王寺貨物駅(1935)
    • 大阪臨港線と大阪港駅(1927)
    • 大正飛行場貨物線(19442)
  • 1943年 都島信号場と蛇草信号場の開設

大阪陸軍造幣工廠と貨物輸送

  • 大阪城跡の砲兵工廠は東洋最大の陸軍工場
  • 1899年 大阪鉄道玉造〜砲兵工廠間開通

→明治期より軍事輸送の一部となっていた

→軍事輸送のために鉄道網の全国的統一が必要

→1931年の城東貨物線完成でネットワークに組み込まれる

陸軍工場と貨物輸送

  • 祝園〜川西火薬庫 川西側線(1935年)
  • 津田〜禁野火薬庫 禁野側線(1936年)
    • 1939年爆発 死者95人
  • 星田〜香里弾薬庫 香里側線(1941年)
  • 片町線・淀川駅を経由して大阪砲兵工廠へ
  • 城東貨物線経由で大阪港・東海道本線・全国へ
  • 1942年 片町線全電車3両化
  • 1944年 4扉改造車が投入→混雑緩和

戦中から戦後へ荒廃

  • 1945年3月・6月 大阪大空襲で21両が被災→廃車
  • 8月 京橋駅被爆 死者217人→多数
    • 運転本数・両数減が年ほど続く
  • 多大な犠牲と共に軍事輸送終了
  • 朝鮮戦争自衛隊と川西側線。祝園での弾薬輸送は1955年頃まで続く



7.片町線複線化 1969(昭44)・1979(昭54)・1989(平元)

地元悲願の電化・複線化は着々と

戦後復興と片町線の再整備

  • 1950年 四条畷〜長尾電化
  • 1951年 長尾〜木津間で気動車運転再開
  • 1955年 片町〜放出間で複線運転開始
    • 京橋駅ホームも1面2線に
    • 放出までの小運転列車

1955年段階の片町線

    • 片町〜放出  複線電化
    • 放出〜長尾  単線電化
    • 長尾〜木津  単線非電化
    • 放出まで朝5分毎、4両編成運転
    • 輸送力は京橋口で5000人/時が限界
    • 1963年に5両化
    • 放出〜四条畷間は単線運転の限界
    • 片町線沿線の宅地化の遅れ

片町線近代化プロジェクト

  • 1964年 鴫野駅付近の高架化
  • 1969年 放出〜四条畷間の複線化。鴻池新田駅付近の高架化
    • 輸送力 1955年5040人→1970年9800人
  • 1977年 片町線電車の新性能化完了
  • 1979年 四条畷〜長尾間の複線化、6両化
    • 東寝屋川・藤阪駅の開業
    • 忍ケ丘・星田・藤阪付近の高架化

片町線近代化の結果

  • 片町線利用者 60年8万→70年12万→80年13万人→90年15万人(鴫野〜長尾各駅)
  • 鴫野・放出・徳庵は65年頃をピークに減少
  • 鴻池〜四条畷各駅は60年と70年で倍増。ただし70年代・80年代は伸びが鈍化
  • 忍ケ丘〜長尾間は70年と80年で2.4倍増。80年と90年で1.6倍増
  • 予想より京橋口の利用者数は伸びなかった
  • 京橋〜四条畷間の朝ラッシュ時の混雑が深刻

国鉄と鉄道貨物の転換期

  • 1973年 片町線放出〜木津間で貨物取扱中止
  • 1982年 淀川・放出の貨物取扱中止。淀川貨物線の廃止
  • 1984年 鉄道貨物の大転換点。吹田・竜華の操車場事実上の停止
  • 1985年 淀川電車区の放出への移転
  • 1986年 気動車2両編成化、同志社前駅
    • 片町〜長尾間全電車7両編成化
    • 長尾〜木津間電化、”松井ヶ丘”決定
  • 1987年 日本国有鉄道の分割民営化

木津電化

  • 1988年 快速運転開始と「学研都市線
  • 1989年 木津電化、松井山手駅開業。松井山手複線化 京阪グループ
    • 松井以遠3両直通、快速終日運転
    • 住道高架化
  • 1990年 基本編成4両化
  • 1991年 207系投入開始
  • 大住〜西木津駅各駅乗客数急増
  • 長尾・河内磐船の利用者増(他駅は横ばい)




8.蒸気機関車と旧型国電 1971(昭46)・1977(昭52)

鉄道マニアを魅了した旧型車たち

ローカル線っぽい片町線

  • 60年代 近代化から取り残された片町線
  • 片町線 1932年来の旧型国電の王国。貨物はC11が牽引
  • 城東貨物線 D51など蒸気機関車の天国。C58、8620、9600、D52も活躍
  • 1965年頃からのSLブーム
    • 大阪近郊の貨物線を行く大型蒸気機関車
    • 赤川橋梁、蛇草信号場……..
    • 改造また改造の旧型電車にも注目

車両近代化の波が片町線にも

9.JR東西線おおさか東線 1997(平9)・2008(平20)

片町線と他線とのネットワーク確立

他路線から独立した片町線

  • 木津〜片町間。貨客とも他路線と直通運転皆無・他鉄道との連絡不(関西鉄道の1年半….)
  • 旅客・貨物輸送は1930年頃まで低迷
  • 施設近代化・輸送力増強の遅れ
  • 経営合理化と実験的な施策による模索
  • 関西鉄道鉄道省国鉄

片町線を活用するビジョンを長年描けず

  • 関西の鉄道ネットワークでどう片町線を位置づけるかが課題となってくる

大阪外環状線計画の浮上

  • 城東貨物線に旅客列車を走らせて!
  • 1952年 客車運行促進同盟会が設立
  • 1958年 尼崎〜吹田〜放出〜加美〜杉本町〜大阪南港間での旅客列車運行が答申
  • 1958年 国鉄バス東大阪線吹田〜鴻池新田〜八尾間で運行開始(私鉄他社も)
  • 大阪外環状線構想(おおさか東線の原型)のスタート
  • でも、国鉄はあまりやる気はなかった

片福連絡線 片町〜桜橋(北新地)〜尼崎

    • 1971年に計画が具体化→環状線混雑緩和

1981年の突然の着工

1997年 JR東西線開業

2008年おおさか東線部分開業


10.片町線クロニクル 2010(平22)

115年目の片町線とその将来

片町線改良プロジェクトの終結

  • 2010年 木津〜同志社前間のホーム延伸
    • 7両編成が木津まで乗り入れ開始
    • ダイヤの足枷となった分割併合の解消
  • 片町線の施設改良はひと段落ついた
  • 城東貨物線の電気機関車投入

おおさか東線新大阪〜放出間

片町線の未来予想図

2010年代に片町線に求められること

以上、講演時間90分。