明延鉱山鉄道の一円電車に乗れるチャンスを見逃すな!

katamachi2010-10-10

 国内最大のスズ鉱山として栄えた明延鉱山(兵庫県養父市大屋町)で、「一円電車」の愛称で親しまれた鉱山電車が10月24日に常設軌道として復活することが
住民の夢実現、「一円電車」常設軌道で復活 兵庫・養父市産経新聞2010.9.28

 姫路からクルマで2時間ほど国道29号・県道6号を北上し、山を越えた養父市大屋町明延地区。ここに三菱系の明延鉱山があったことをご存知の方が多いと思う。
 「明神電車」と呼ばれた鉱山鉄道の乗車賃は片道1円。「一円電車」の愛称で有名な存在となる。
 地区最大のトロッコが動き出した戦時中の1941年で、明延鉱山からの採石を峠の東側にある神子畑選鉱所(朝来市)まで6.1km、762mmの鉱山電車が行き来し始める。
 鉱石輸送がその最たる役目ではあるが、鉱山関係者の輸送も兼ねて旅客用の人車も連結された。
 戦後になると、屋根付きの専用客車が配置され、関係者以外の利用も黙認されていたため、地元の明延や旧大屋町の住民も利用する。1952年から料金は1円に据え置かれた。これがいわゆる「一円電車」。
 福祉目的の輸送のため採算は度外視されていた。
 ただ、鉱山を取り巻く環境の悪化により、1985年で人車の運転は取りやめられ、2年後に鉱山も閉山となった。

あけのべ一円電車まつり

 その後、明延側で一円電車や架線式電気機関車、バッテリーカーなどが静態保存され、観光資源として活用されるようになる。
 その一環で、街おこし運動の一環として、当時の一円電車を動かそうと言うことになった。
 今年も、http://www.fureai-net.tv/akenobesizen/であるように、「第4回あけのべ一円電車まつり」の一環で当時のトロッコを動かすことになった。例年は30mほどの長さであったのが、今年は70m。「一円電車」復活へ 地元住民、線路整備に汗」によると、中古のバッテリー機関車をリース元である丸菱電機から格安で購入したのだとか。常設での運転も考えているという。


 昨年(2009年)10月25日、私は「新・鉄道廃線跡を歩く」の取材の依頼を受けて、明延と神子端を訪れることになった。どうせなら......と、一円電車の動いているイベント日に訪問日をあわせた。第3回目のイベントになる。

新・鉄道廃線跡を歩く4 近畿・中国編

新・鉄道廃線跡を歩く4 近畿・中国編

 自家用車の具合が悪かったんでレンタカーを吹田市内で借り、中国道で西へと向かう。
 明延は兵庫県内といっても京阪神からかなり遠い。
 地図は、http://www.fureai-net.tv/akenobesizen/map/map.htmlが分かり易い。山崎インターで下りて国道29号で北上したが、ちょっと遠回りになった感じだ。1000円高速による渋滞には引っかからなかったのは幸い。
 会場は鉱山とは離れていて、郵便局などがある明延振興館という公民館前の広場になる。
 お昼過ぎに行くと、200人くらいは会場内にいたであろうか。少ない、と言うなかれ。ここがいかなる山奥にあるのか。そこにこれだけの観光客が集まると言うことだけでも凄いことだ。
 会場内の端に確かにレールが敷かれてあった。長さは30mなんで短いのは短いのだけど確かなんだけど、まあそれはご愛敬。

 地元のボランティアの人たちが受付を担当してくれている。
 乗車賃は無料。ただし、切符を配ってくれる。往時の一円電車整理券を模した厚紙だ。
 さっそく客車に乗り込むことにする。

 客車は「くろがね号」。人車として使われていた車両である。廃止後、振興館の片隅で静態保存されていたが、今回のイベントにあわせて引っ張り出された。年代物だし、問題なく車輪は動くのだろうか。
 牽引するのはバッテリーカー。ただ、これは当時使われていたものではないらしい。ヨソから借りてきたんだろうか。

 さっそく乗り込む。
 車内はかなり狭い。

 お客さんを8人ほど乗せたらスタートだ。
 バッテリーカーのガガカという音と共に、「くろがね号」も動き出す。
 レールの継ぎ目を過ぎるとガタンゴトン。パチモンといえばそうなんだけど、雰囲気は鉄道なんだよね。
 数年前、中国四川省の山奥で乗った芭石鉄路のトロッコを思いだす。あそこより設備はかなりしっかりしているよね。
 30秒もせずに終点。

 そのまままた来た道を戻る。これで乗車終了。


 遊園地のおとぎ電車より乗っている時間は短い。あまりにも呆気ない
 でも、僕はこの1分のためだけ大阪からわざわざ兵庫県最北端の山奥までやってきたのだ。もちろん十二分に満足している。


 でも、もう一度、乗りたいよね。と、同行した連れあいにお願いし、再度乗り込む。また一円切符をちょうだいする。
 往復1分でまた終了。なんだかウキウキしている。
 もう一度!
 と、お願いするが、後にしなさい!とツレから怒られて、断念。

明延にあるトロッコ軌道の廃線跡をたどっていく

 明延には鉱山鉄道の跡がいくつか残っている。


 1つは、旭山野外活動センター付近。
 和田神社の門前から鉱山事務所の手前まで800mほどのレールが続く。トロッコ線跡の路盤が再整備され、あけのべ自然学校(旧明延小学校跡)が管理する手こぎトロッコの走行路として2002年から使用されているのだ(ただ運転される機会はほとんどない)。


 レールもバラストも現役当時のものとは異なるが、往年の雰囲気はなんとなく感じることができる。

 上の産経新聞で「いつかは目標の600メートルを走らせたい」というのはここのことだ。
 一円電車祭りをしている明延の有志たちは、将来的にここで一円電車を走らせたいと募金活動を行っている。今年や昨年やっているイベントもその運動のための一環である。


 もう一つは、明延鉱山体験坑道(旧世谷通洞坑)。
 旧大屋町が明延鉱山株式会社の支援を受けて体験型鉱山学習施設として1989年にオープンしたもので、見学会に参加すれば500mほどの廃線跡を歩いた上、鉱車、バッテリーカーなどを間近で触れることができる。


 隣接する明延鉱山学習館は閉館していたが、屋外の展示場で静態保存された電動客車「しろがね号」「あかがね号」や、架線式電機などの車両を見ることができる。


 そしてマニア的に面白いのは、鉱山鉄道の廃線跡
 明延鉱山と鉱山鉄道は今でも三菱の所有地であり、巨大な廃虚と化した施設群への立入が禁止されている。
 だが、公道から見物できる廃線跡もいくつかある。
 それを僕は今回取材に来たのだ。
 その後、連れ合いを引き回して明延の山中にある廃線跡を取材した。






 途中で日が暮れたので、山の東側にある神子畑選鉱所と新井駅との間を走っていた神神軌道というトロッコ線の取材は後日にした。



 ここも大量にトロッコ線の跡が残っている。森林鉄道とか鉱山鉄道とかなかなか現物が残っていないんでなかなか楽しかったですよ。
 当時の運転士さんにも偶然お会いすることが出来て、取材を忘れて思い出話に聞き入ったものだ。
 その記事、先に紹介した「新・鉄道廃線跡を歩く4 近畿・中国編」でルポにしている。僕の担当は14路線60ページですが、関西圏で廃線跡歩きをされるならぜひ参考に。<参考>「新・鉄道廃線跡を歩く」が発売されました。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月


 今年もぜひ一円電車に乗りに行きたいとなあと思っている。600mの長さを走るのはさらに遠い話だと思うけど、今回でも長さは70m。先年より長い。1分しか体験できなかったトロッコ乗車時間が今年は倍になる。
 これはぜひともまた行かねばと思っているだけど、イベントのある10月24日、海外行きが先に決まっていた。今からキャンセルすべきかいろいろ迷っているが、それはまた別の話。