中之島線を見切った京阪2011年5月ダイヤ改正の減量っぷりが豪快すぎる
数年前、鉄道好きの人たちとの宴席で、京阪電気鉄道の歴史について話をする機会があった。
僕の持ちネタである未成線、特に京阪梅田線(戦前期に梅田〜森小路・蒲生・上新庄などで企画されていた鉄道計画)の話をしていて、「実現すればかなり便利になったけど、それでも阪急に吸収買収されてしまうという歴史は変わらなかったのかなあ」とかいう話をしていたと思う。
「京阪の歴史には、どうしても後悔せざるをえない失敗が3つあったんだよね」
「京阪電鉄の三大失敗」。さて、なんだろう。
とりあえず、戦時中、半強制的に阪神急行電鉄(阪急)と合併させられ、戦後、新生・京阪電気鉄道として独立するものの、虎の子の新京阪線を阪急に持って行かれた(現在の阪急京都線)ことは最大の痛恨事であろう。
あとは京津線の話か。もう一つはなんだろう。
悩んでいると、京阪の歴史が動いた3つの局面を教えてくれた。