"ポストのりつぶし"を模索した鉄道旅行派マニアたちの動機。

katamachi2007-06-01

かつて日本国有鉄道という組織がまだ存在していた頃、国内各地に広がっていた国鉄線を乗りつぶそうと志したマニアたちがいた。宮脇俊三やチャレンジ2万キロの存在が彼らを未知の世界へと駆り立てた。
夏休みともなると、ローカル線の車内は旅行者で溢れ、駅窓口には入場券やスタンプを求める列が続いた。夜行急行や旧型客車、青函連絡船……魅力的な俳優たちが我々を迎えてくれた。

 ってのが昨日の80年代の話「2007-05-31 "駅めぐり"を目指した80年代の鉄道旅行派マニアたち。」。今日はその続きです。

ローカル線廃止が進み"ポストのりつぶし"を考えねばならなかった

 70年代後半から80年代にかけて、宮脇俊三種村直樹の著作、そして"いい旅チャレンジ20000km"の影響で、鉄道旅行派系のマニアは加速度的に増えていく。鉄道系の出版物も70年代半ば〜80年代半ばにかけて大量に消費されていく。
 だが、80年代後半を境にして、鉄道旅行趣味のジャンルは行き詰まりを見せ始める。ターニングポイントとなったのは"国鉄再建問題"であった。
 1983年からスタートした地方ローカル線の廃止は加速度的に進んでいく。いつしか営業キロ数は完乗マニアの代名詞となっていた2万kmの大台を割ってしまい、1987年の分割民営化の頃にはめぼしいローカル線はほとんど消え失せてしまった。1988年にはついに青函連絡船宇高連絡船が消え、1989年には池北線や標津線名寄本線天北線などの"北海道長大四線"がついに整理された。

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