北海道で鉄系の旅をしながら歩いた(その1)

katamachi2007-10-04

 2週間ぶりの更新です。
 北海道、いやあ、やっぱりいいですね。花のシーズンでも紅葉のシーズンでもない中途半端な時期ではありましたが、気動車にガタガタ揺られながら緑の大地を眺めるというのはサイコーの贅沢です。年に1、2回は渡道しているのですが、ここ数年、レンタカーで移動する旅が増えてきたんで、鉄道マニア的なガチガチな旅をする機会がなくなってしまったのですが、たまにはいいもんです。自身の備忘録も兼ねて3回に分けて報告を。
2007-10-05 北海道で鉄系の旅をしながら歩いた(その2) DMVをついに試乗したゾ

地元自治体が諦めた札沼線DMV導入計画

9月20日(木)

  • 関西空港へ行くのに「ラピート」。開港から13年が経ちましたが、以来、使用はホント久しぶり。関空快速と違ってガラガラで車中に余裕があるのが嬉しいけど、あの車体広告だけはなんとかならんのか。
  • 新千歳空港には定刻より早く14:05着。ただ、「日本国」と大書きしたジェット機が滑走路を封鎖していたため、発着する各機とも20分ほど動けない。機内からは舌打ちと溜息が相次ぐ。結局、14:19発の快速→15:00発の札沼線に乗れず。搭乗口の変更が相次いで空港内は大混乱、遅延が相次いでいた。いったい何があったの……
  • 北海道医療大学駅で下車。2面2線の対向式ホームなのだけど、たこ足配線的に拡張されていったからか、その形状がかなり歪になっている。新十津川方面へ向かう列車は旧来の1番線(上)に入る。その横には安普請の"駅舎"が鎮座する。開業時はこちらを利用していたのだが、こちらを利用する人は誰もいない。なんか場違いな黄色で塗りたくられた駅舎は煤汚れている。手入れが全くされずに荒廃していく北海道の無人駅然とした雰囲気を漂わせている。一方、現在は西側に2番線が増設され、折り返し列車はここに発着(下)。北海道医療大学と連絡する小洒落た通路が増設されており、学生さんはこちらを出入りしている。複線化、新駅設置、増結……と近代化が進む通勤路線としての"学園都市線"、そして人口はそれなりにいるのに鉄道離れが急速に進む"札沼線"という2つの側面が入り交じっているこの路線の実情がよく分かる。


  • 正直、札沼線北海道医療大学駅以北は鉄道として残すよりはバス転換した方がサービス向上に繋がると思った。以前にクルマから、今回は列車から沿線を観察している限り、札沼線の駅はほとんど国道275号の側に立地しているのでバス代行へはスムーズに移行しやすそう。住民の家屋は旧集落から国道沿いに分散して移動しているから、わざわざ裏手にある駅まで乗り入れる必要は薄い。たとえ後述のようにDMVを入れても、輸送力のことを考えれば札幌まで乗り入れてくれるとは考えにくい。片道二車線ある国道275号とは違って札沼線ではスピードアップも期待できない。旅客流動のことを考えれば、岩見沢や奈井江、滝川へ入る北海道中央バスのルートを活かしながら路線を再構成してみるのが妥当か。
  • 一応、地元ではDMV(デュアル・モード・ビークル)の導入なんかも考えていた。当初、JR北海道晩生内駅など札沼線内で実証実験をやっていた影響もあったのだろう。自治体が「札沼線学園都市線)整備促進期成会」をつくって"運動"をしていたことになっているのだが、主な中身は「学園都市線PR活動(ポスター、ポケットティッシュ)の実施」、「鉄道施設等整備のための要望の実施」ぐらい……と"お願い"と"啓蒙"をするだけ。今でも貨車改造の安普請の駅舎の中にポスターが貼ってあったりしますが、それが実効性のある活動なのか疑わしい。路線を廃止させないために運動をしているという"反対のためのポーズ"をとっているだけにしか見えない。しかも、この期成会、所定の目的は達せられたということで2007年6月に解散してしまったとか。新十津川町長なんかは「町といたしましても導入に向けて今積極的に取り組むような現状には、今のところはないということでございます」とまで明言している*1。ユメ物語を語るのはいいけど現実はキビしい(^_^;)。
  • 続いて石狩金沢知来乙、中小屋、本中小屋、月ヶ丘、八軒と、この日は札沼線内7駅を制圧。途中、なんどか線路に沿って駅間を徒歩で移動したが、札沼線のレールを支えるバラストも自生する雑草で埋め尽くされようとした。まだ現役路線なのに……

  • 夜は9月いっぱいで廃止される「まりも」。増結されて5両になっていましたが、自由席は各車3人ずつ。シートを向かい合わせにして大の字になって寝る。これなら廃止となるのも仕方ないか(土曜日の22日発はそれなりに乗っていましたよ)。

秘境駅古瀬駅と「くしろ湿原ノロッコ号

9月21日(金)

  • 「まりも」を音別で降りて、次の下り始発2571Dで根室本線で一二を争う秘境駅、古瀬駅へ。Yahoo!マップだと、ここ。1948年設置時に古瀬線路班(学生用の停車駅)、そして1954〜1987年は旅客扱いをする古瀬信号場だったところ。列車は7:01着。キハ40が3両編成だけどホーム長は20m強しかないから降りれるのは先頭車の前側扉のみ。運転台の脇に立つ社員さん(たぶん職務で便乗していたんだろ)から「えっ、降りるの」とは聞かれるが、最近では珍しくないのかそれ以上は細かく聞かれない。
  • 人の利用がほとんどなさそうな秘境感漂う僻地だとは思うのだが、その中で違和感を漂わせているのが、2番線の脇で鎮座しているマルチプルタイタンパー。黄色と黄緑の派手な塗装に彩られた保線車はなんか場違いなような感じだ。運転士さんの話だと今年の夏ぐらいからずーっとここの駅の側線に放置されているらしい。
  • ただっ広い駅構内に20m長の木造ホーム2面2線。一線スルーなんで2番線の方はほとんど使わないのか。信号設備用の建物はあるが中には入れない。駅待合室は設置されていないんで風雨をしのげる場所はどこにもない。気持ちのいいほどの秋晴れであることに感謝したい。もちろん舗装道路なんかが整備されているはずもない。ところどころで路肩が崩れている砂利道を行っても駅の近くには人家はなさそう。



  • ところが次の7:46発2521Dの時間が迫ってくると、そんな秘境空間に軽トラが駅に現れ、信号設備の脇のスペースに止まる。ああ、高校生の送迎か......と思っていたら、おじさんが現れた。白糠の病院へ行くのに鉄道を使うと言うことらしい。この方の話によると、駅から2〜3km離れた旧白糠町馬主来集落には4〜5軒しかないという。昔は30〜40軒は農家が入って駅の西側には広大な農地が広がっていたが、みんな離農してしまったとのこと。おじさんの住む隣の集落でもすでに10軒を切ってしまったらしい。「馬主来には高校生が1人ぐらいいたと思うけど......」という話だったけど、さっきの7:01発でも7:46発でも見かけなかった。
  • 2521D→西庶路→くしろバス→新大楽毛→2573D→釧路→和商市場と移動。
  • 10:56発の「くしろ湿原ノロッコ2号」に乗ろうとする。3番線で待っている列車に乗り込もうとすると、5両編成の車内はツアー客で満載になっている。いや自由席が2両あるはず、特にトロッコ風シートに改造されていないオハ510形だと大丈夫だろ……と期待していたのだが、すでにボックス席もロングシート部分もみんな団体さんで埋め尽くされている。ツアーなのに立ち席を強いられている人たちもいる。私の立席スペースを確保しようにもバックパックを置く場所すらない。シーズンは過ぎたし空いているだろうという目算が外れた。
  • 車掌のアドバイスに従って指定席である2号車の脇に移動する。東釧路駅から地元幼稚園生の団体さん30人が襲来。先生とのやりとりを聞いていると、みんなあまり鉄道に乗ったことがないらしい。先生の指示に従ってみんないっせいにお弁当タイム。きちんと指導がなされているからか、必要以上に騒いだりする子供もいない。そうした微笑ましい風景が珍しいのか、隣にいた白人さんの個人旅行者もファインダーに納めていた。釧路湿原駅で団体さん2組が下車し、代わりに修学旅行の小学生たちが乗り込んでくる。こういうトロッコ系の列車って、すっかり団体ツアーの中に取り込まれてしまってしまったんだ......と実感する。そーいや、今はなき高千穂鉄道、そして来春消える島原鉄道も定期列車はガラガラだったけど、臨時のトロッコ列車だけは満員になっていた。



  • 塘路で26分休憩。駅前広場に並ぶ観光バスがツアー客を回収していっせいに去っていくが、折り返しの釧路行きを待つツアーもいてホームはごった返している。その片隅で白人さんが彷徨っているので尋ねてみると、駅構内には日本語表示しかないので、何がどこにあるのか、花をどこで見れるのかさっぱり分からないという。日本語看板を参考にしてざーっと略図を描き、湿原を一望できるポイントを説明する。韓国や台湾のツアー客が北海道に押しかけてきたのに対応してパンフレットとか案内図とかが整備されつつあるけど、個人で訪問してくる外人さんについてはあまりケアされていないなあと実感。観光部門での国際化を目指すなら、白黒印刷でイイから英語表記の観光マップを置くというのは基本的なことだと思うのだが……
  • 釧網本線で未訪問の美留和駅、南弟子屈駅で乗降。共に車掌車改造の無人駅で、交換設備を外して棒線化されたもの。美留和の方は近所の小学校のボランティア部のこどもたちの手で可愛らしい動物キャラや摩周湖の絵で彩られている。ホームでは花壇が整備されていた。以前、クルマで来たとき、当の小学生たちが駅舎の掃除をしていのに出くわしたこともある。一方、南弟子屈は、最近、青一色のデザインに塗り替えられたようだ。ペンキの匂いが待合室にこもっているので、ホーム上に新聞紙を広げてパックパックを枕にして寝っ転がる。青空と風に吹かれていく雲を眺めながら、大の字になって昼寝をする......ああ、ぜいたくな暇潰しだ。


  • 4735D→8737D→4737Dで移動。シーズンだけ釧路・網走間を直通する列車で、個人旅行の観光客で賑わっていた。車両は直通するけど運転士は緑駅で交換する8737Dで釧路へ戻り、代わりに4735Dの運転士が乗り込んでくる。16:51着の原生花園で下車。以前、降りたかどうか記憶に自信がないからだ(クルマでは昨夏も、一昨年も来ている)が、これで釧網本線全駅乗降を達成したことになる。ただ、すでにシーズンは終わっていて見るべきものは何もない。展望台のベンチで寝っ転がってオホーツクの荒波を眺めながら昼寝していたが、大量の蚊が来襲してあちこち噛まれ始めたので撤収。でも、どこへ逃げても蚊がやってくる。仕方ない。隣の国道を走る網走バスか現れたのでこれに乗り込んで退避する。特にアテもなかったけど鱒浦駅近くで下車する。近くの漁港まで散歩しようと思っていたのだけど、突然の大雨。ある意味、幽霊屋敷みたいな雰囲気を漂わせている駅舎の中に避難する。
  • 網走では駅前のビジホにチェックイン。19:32発の石北本線普通で未降の呼人駅まで往復しようと思ったけど、部屋の時計の針が5分ほど遅れていたため乗り遅れてしまい、一駅、降り損ねた。無念

*1:2007年6月の新十津川町議会定例会の議事録によると、「今ほどお話ございましたデュアルモードビークルについてもこの期成会の中でもいろいろと議論がなされてきたところでございます。(中略)。今ほど申し上げましたように、所期の目的が概ね達成されたということで、この6月21日をもって解散となったというふうなことでございまして、したがいまして、町といたしましても導入に向けて今積極的に取り組むような現状には、今のところはないということでございます。」とある。平成19年第2回新十津川町議会定例会平成19年6月