JR敦賀港線を"日本最古"と題する産経新聞とマスコミのナンバーワン好き

katamachi2008-11-15

 どうでもイイ話だけど、鉄道マニア的には、なんだか非常に違和感を抱かされる鉄道記事を一つ。産経新聞の記事なんだけど、いろいろ変なんだ。

 JR貨物が敦賀市敦賀港線(敦賀港駅〜敦賀駅間2・7キロ)について、早ければ来年3月中旬にも運行を停止するとの方針を同市などに説明していることが分かった。敦賀港線は明治15年に開業した日本で最も古い路線の一つで、同市の物流や観光へも影響を及ぼしそうだ。 
“日本最古”のJR貨物・敦賀港線、来年3月にも運行停止2008.11.13
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/195374/

 これ、別に産経のスクープって訳でもない。地元の福井新聞は、前日の12日に「敦賀港線、運行停止へ 来年3月中旬から、JR貨物」との記事を配信している。運行停止の理由も

  • コスト削減や、一部をトラック輸送にすることでの時間短縮など顧客へのサービス向上

と書いてある。産経は「貨物列車での輸送は500キロ以上の距離でないと、利益が出にくいと聞いている」と書いているが、それが敦賀港駅と何の関係があるのか全く説明できていない。
 いや、それよりもヒドいのはタイトルだ。なんで「“日本最古”のJR貨物・敦賀港線」なの?


 ※2004年10月17日の敦賀港駅「SL敦賀きらめき号」。側のキャラは「銀河鉄道999」の星野鉄郎メーテルの着ぐるみ。

"日本最古"の鉄道は京浜間であって、敦賀港駅ではない

 鉄道マニアなら誰でも知っているように、日本で一番最初に鉄道が開業したのは明治初めの1872年。営業区間は品川駅〜横浜駅(桜木町)間だった。トリビア好きな人なら"その7年前にイギリス人が長崎で鉄道運転のデモンストレーションをしている"とおっしゃる方もいるが、まあそれはそれ。とりあえず、1番目は東京と横浜の間だよ。それは小学6年生の社会科教科書にも書いてある。
 ちなみに、産経系の扶桑社が出した「新しい歴史教科書―市販本」では、日本初となる京浜間の鉄道は本文で無視されていたと記憶している。鉄道国有法は載っているのに、なぜ。執筆者に鉄道好きがいなかったのか……(T_T)


 それゆえに、それより10年後の1882年に開業した敦賀港駅(当時は金ヶ崎駅)が"日本最古"となるのはおかしい。それ以前に大阪や北海道でも鉄道は開業している。"福井最古"や"北陸最古"なら分かるけど、"日本最古"というのは明らかにゲタを履かせすぎ。
 本文記事は「敦賀港線は明治15年に開業した日本で最も古い路線の一つ」としているんで、"日本最古"認定したのは記事を書いた記者でなく、整理部の人なんだろう。
 整理部とは、

 記者が書いた記事を価値判断し、紙面にレイアウトする。これが整理部の仕事です。どの面にどの記事を入れ、どれくらいの大きさで扱うかを決めたうえで、内容を的確に表現した見出しを考え、効果的に配置します。
神戸新聞仕事紹介 編集局整理部

出版社の編集部のようなことをしている内勤の記者のこと。
 で、記事の価値判断をするのは彼ら。送られてきた記事を載せるかどうかの判断も彼ら。タイトルを決めるのも彼ら。
 そんな整理部にOKしてもらうように、記事としてインパクトがあるように、話題を呼ぶように、新聞記事を扇情的に書いてしまう記者もいる。
 「●○○は日本初」や「ギネス認定を目指した●○○」、「日本最後の●○○」とかがあったら、地域ローカルニュースも大阪本社、あるいは全国ニュースに格上げされること間違いなし。だから、記者たちは何かの"一番"となることを探したがる。
 この記事も、記者が

  • 「日本で最も古い路線の一つ」

と頭に"最も古い"と付けて出稿し、それを見た整理部がちょいと物足りないと、

  • 「日本最古」

と最上級の表現にしたんでしょう。で、本来は福井ローカルのニュースが産経のネットで全国に配信された。
 でも、京浜間の鉄道開業から10年も後なのに、敦賀港線を「日本最古」と表現するのはあり得ない。

記事のタイトルを扇情的にしたがる記者さんたちの気持ち

 確かに、産経って、記事の見出しに扇情的なものを使いたがるのだけど、"○○で一番"という記事を書きたがるマスコミは彼らだけではない。
 たとえば、朝日もアサヒコムで「JR最後の昼間急行「つやま」で行く小旅行 - コミミ口コミ」という記事を載せている。「消えゆく昼のJR急行 「つやま」来春廃止に惜しむ声」を受けてのルポなんだろう。ここにはタイトルも本文も含めてなんら偽りも上げ底もない。「JR最後の昼間急行」というのも確か。急行の運用史・ダイヤに造詣が深い寺本光照に話を聞いているのはいい選択だと思う。だけど、「昼間の急行が最後になる」という背景と問題点について何も示さず、ただ「最後」とされている。なんで昼行急行が消えるのか説明しないと"JR最後"とタイトルにした意味はないだろう......と僕なんかも思ったりもする。
 以前、ある大手紙の大阪本社の記者が、うちに電話をしてきたことがある。質問内容は「宝塚尼崎電気鉄道」という尼崎〜宝塚間で計画されていた阪神系の未成線について。宝塚駅の近くに謎の地下道があり、それが地下鉄の駅跡だと聞いている。これって、もしかしたら関西最古の、あるいは日本最古の地下鉄じゃないのか。詳細を教えろ、何かコメントを出せ……ということなのだ。
 この線に関しては、二十数年前、朝日新聞が報じたことがある。今は亡き宝塚ファミリーパークの側に謎の地下道があり、それは尼宝電鉄が建設したものではないか?と記事にまとめていた。
 「謎の地下鉄」とは、確かに魅力的なエピソードだ。でも、僕が国立公文書館で調べた限り、そのような記載はどこにもなかった。
 宝塚市小浜地区から宝塚駅にかけてのエリアでは工事をした気配すらない。兵庫県道42号が鉄道敷地跡に敷設されたのは確かだけど、残念ながら、宝塚にある(らしい)地下道跡を鉄道駅と断定できる資料はどこにもない。鉄道建設の際、カネのかかる地下線や地下駅を事前に造っておくというのは常識的に考えにくい。そもそも鉄道省の文書では高架線で建設されることになっていた。"地下駅"を否定することはできないが、肯定できる資料は見つかっていない。ゆえに2001年に僕が本で尼宝電鉄を取り扱ったときは、ここらの話はスルーした。根拠薄弱なんで記事にはしない方がいいですよ。
 と、その記者さんに説明を申し上げたのだが、それでも「日本最初じゃないですか?」とか、「地下鉄が宝塚にあったというのは素晴らしいじゃないですか」とか、「地下駅であると証明できそうな資料はないですかね」とか聞いてくる。ちょっとうんざりして、「なら東京の国立公文書館で調べてみてくださいよ。誰でもできますよ」と申し上げたのだけど、わざわざ関西から東京へ行くのは面倒らしい。やれやれと思いつつ、電話を切った。その後、これがコラムになったのかどうか。結論は聞いていない。
 できるだけ多くの人に記事を読んでもらいたいという気持ちは分かる。タイトルとか本文とかをちょっとオーバー気味に書いてしまうと言うこともね。ブログなんか書いていたら少なからず、そういうことを考えてしまうこともある。でも、上げ底し過ぎるにも限度がある。旧石器捏造事件 - Wikipediaの背景に、マスコミが「最古の遺跡」であることを求めすぎたことなんかも忘れているのかな。
 まあ、この産経の記事で「日本最古の鉄道は敦賀港にあった」という珍説が流布するとは思わないけど……

敦賀港駅の話。

 一応、ここは鉄道系ブログなんで、敦賀港駅についてもちょっと触れておこう。
 敦賀港駅は1882年に開業した"北陸最古"の鉄道だ(当時は金ヶ崎駅)。その後、北陸本線のメインルートから外れた支線となるのだけど、一時期は、ウラジオストクなど国際航路が港に発着していて、それに接続するための連絡列車が東京・新橋から運転されていた。
 戦後は貨物線として使用されてきて、JR化時に路線はJR貨物に引き継がれた。ただ、貨物列車の運転は1日1往復だし、合理化のために敦賀での貨物取扱を中止し、福井からのトラック輸送に転換しようと言うことなんだろう。
 基本、貨物線なんで貨物好きのマニア以外にはあまり注目されてこなかったのだけど、ここ10年ほどは何度か旅客列車も運転されている。
 1999年の敦賀港開港100周年と「つるが・きらめき みなと博21」を記念して、駅近くに敦賀港駅舎が復元された。あわせて欧亜連絡列車をイメージした団体臨時列車が7月に「スーパーエクスプレスレインボー」を使った品川〜敦賀港間で、8月には「SLきらめき号」が敦賀敦賀港間で運転され、当時、それなりに話題を呼んでいる。以後も、イベント実施時にあわせて、蒸気機関車C56-160+12系客車、あるいはキハ58を使った臨時列車がたびたび運転されてきた。
 このページの写真は2004年10月17日の敦賀港駅「SL敦賀きらめき号」。「食フェアin敦賀」が開催されたのにあわせて、10月16日と17日の2日間、1日3往復が運転された。それ以降、調べている限り、運転された気配はないので、この17日の運転が最後の旅客列車になるのかな。(2005年と2006年の8月に花火臨が運転されていますね。「最後」と断言しなくて良かった......。id:Thscさん、ご指摘ありがとう)

 地元の敦賀市なんかがこの路線の観光化なんかに積極的になっていたけど、JR貨物が廃止してしまうと、そこらの活用策が宙に浮いてしまう。
 先の産経の記事には、

 県や市では同線に線路と道路を走行できるDMVデュアル・モード・ビークル)を運行し、観光資源としての活用も検討していた。
 同市では敦賀港の多目的国際ターミナルの本格供用を控えており、河瀬一治市長は「多様な輸送手段の確保や敦賀港線の歴史的重要性から、運行再開に向けて敦賀港の利用促進に努めたい」とのコメントを出した。

 またDMVかよ。あるいは北九州市で3年前に休止された貨物線が門司港レトロ観光線となったように、"特定目的鉄道"として観光用に転換されるのかも。敦賀市って、原発のお陰でおカネを持っていそうだしホントにやるかもしれんよ……とは思うのだけど、それはまた別の話。