種村直樹は鉄道趣味界の使徒

 で、本題にしているのは「降りつぶし派」。その姿が目立つようになったのは90年代に入ってからです。周囲や旅先で2500駅とか2000駅とか降りた人たちを複数見かけるようになったのも1991年のことでした。国鉄やJRの全線完乗でも達成すれば600〜800駅ぐらいは降りていました。ならば、もう少し数を増やしていこうと考えていくわけです。


 ただ、その萌芽は1980年に鉄道旅行派が急速に拡大していた時期からその形はありました。すでにもともと入場券や駅スタンプを集めるために有人駅を中心に降りていた人たちがいたわけです。Wikipedia「乗ったで降りたで」という項目によると、

もともとは1979年に神戸大学鉄道研究会で鉄道駅に乗降したことを「乗ったで降りたで」と称して記録しあったのがはじまり、その後、その創始者と高校時代の友人が1980年に京都大学に伝播させたもの。

とあります。周囲でちょいと年かさの人たちに聞いても、やはり「駅に降りる」という行為はこの頃から自然発生的に生まれたようです。それまで「駅」という存在はその名称の由来という点以外はなかなか趣味対象になりづらかったわけですが、駅舎一つ一つにも違いがある。そこら辺にみんな興味を示したのでしょう。

種村直樹が「降りつぶし」に与えた影響

 私は「降りつぶし派」となんの説明もなく呼称しましたが、鉄道趣味の世界では"彼ら"を指す統一した言葉がまだありません。「駅に乗降する」という行為が趣味対象になっているのは確かなのですが、人によって、降りつぶしor駅めぐりor全駅下車と自分たちの行為を表現する用法がバラバラなんですね。今まで鉄道趣味誌では扱われることがないジャンルであり、しかもその横の連携がなかったので統一されることがなかったのです。Googleで検索すると、

  • 降りつぶし の検索結果 約 26,400 件
  • 全駅下車 の検索結果 約 26,900 件
  • 駅めぐり の検索結果 約 63,500 件
  • 乗ったで降りたで の検索結果 約 214 件

なんて結果が出ました。私は、"乗りつぶし"という言葉との対比、そして語感も考慮して「降りつぶし」と表現してきました。周囲でもそう呼ぶ人が多かった。
 
 ところで、先ほどWikipediaから引用した「乗ったで降りたで」という言葉はその語感が受け入れられなかったからかあまり一般的にはなりませんでした。しかし、「駅に乗降する」という行為を世間に広めていったのは、やはり種村直樹の影響が大きかった。彼がその世界観を著作で表現したことで、私も含めた後身たちが「降りつぶし」というかなんというか、そうした遊びを続けることが出来たのです。

 昨今(いや80年代からもあったのですが)、その言説を皮肉られたりしている種村ですが、彼がこの世界で果たしてきた役割は決して無視できないものがある。と、私は考えます。彼は創始者ではなかったが、ある事象を捉え、その要点を伝播させる役割を果たしてきた。今の鉄道旅行派はみんな種村チルドレン。彼は預言者だったのだ

 ....と書いていたら上滑りし始めたのでここで止めます。ホントは、そうした側面からも種村直樹を再評価したかったのですが、それはまた別の話。