【5】「鉄子の旅 6」(前編)
- 作者: 菊池直恵,横見浩彦
- 出版社/メーカー: 小学館
- 発売日: 2007/02/28
- メディア: コミック
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キーワードは、「鉄道趣味の本流から外れた作品」、「エッセイマンガという手法」、「鉄道マンガという市場はあるのか」、「画力と第三者的な視線を持つ菊池直恵」ってところでしょうか。それが書評なのか......という気がしないわけもないのですが、それはまた別の話。
今日は「鉄子の旅」の外的要因についての説明。<追記>本論は、2007-03-14の「鉄子の旅 6」(後編)に書きました。あと、最初のエントリー、無駄なウンチクと一方的な感想が長々と続いていただけなので、一部、カットします。眠いときに書いてはいかんなあ。
鉄道マニアの王道から外れた場所で生まれた"鉄道マニア実録"
本作は小学館のマンガ雑誌「IKKI」誌に連載されていた。作画担当は菊池直恵。また「旅の案内人」として、JRと私鉄の全駅に降りたことで名をはせた横見浩彦が参加している。掲載誌である「IKKI」は小学館でもマイナー系の青年漫画誌で部数は1.9万部程度らしい。ただ、連載をまとめた単行本は「月館の殺人」や「金魚屋古書店」、「ぼくらの」などそれなりに人気を得ているようである。本書も、人気では上位に食い込んでいるようで、若手の鉄道旅行派マニアだけでなく、「鉄道はさほど興味がないけど、旅行に行きたい」って層にも支持された。今春からはCS放送でのアニメ化も予定されている。ここ7、8年、出版業界における書籍の売上は下降線を辿っている。特にマンガ本の落ち込みは深刻である。鉄道趣味本も同様で、発行点数が激増した影響もあって各書籍の実売は低迷している中で希有な存在だ。
ただ、この作品が目指す路線は、鉄道趣味業界の本流の動きとは別物である。「鉄道ピクトリアル 2017年 01 月号 [雑誌]」で「『鉄子の旅』幕間散歩」として座談会が掲載されたときは、正直、驚いたが、サブカルの動向に関心を持たない40歳代より上の鉄道マニアが手に取ってくれるとは......ちょっと考えにくい。
いま流行のエッセイマンガ(コミックエッセイ)で"鉄道"を語るということ
第1巻の第1旅(第1話)(2001年秋に取材)を見てみよう。
「月刊IKKI」から旅行エッセイマンガの執筆を依頼された菊池直恵が木更津駅へ向かうところで物語が始まる。そこで編集部から紹介されたのがトラベルライターの横見浩彦だった。ところが、「旅の案内人」である横見が言い出したのは「木更津線を全駅降りること」。そして、祇園、横田……と上総亀山までの13駅を制覇する。こうして、新進女性マンガ家の菊池、そしてトラベルライターこと鉄道オタクの横見による珍道中がスタートする。
以降、
- 横見が鉄道旅行派のマニアがするような"濃い鉄道旅行"を企画
- それに同行させられた菊池が、旅で体験した微妙な出来事と横見の子供じみた言動に嘆き、呆れ、ボヤきながら、日帰り旅行の過程をマンガ化していく
......というスタイルで、5年間で6巻第48旅(第48話)まで続くことになる。さすがに途中から飽きては来たが、菊池の語り口と絵柄が親しみやすく、最終巻まで買い続けた。
マンガ家が身辺雑記を集めてマンガ化する"エッセイマンガ"というジャンルがある。自分が読んだ作品では1987年の「フロムK」(いしかわじゅん)あたりが一番古いのだろうか。1990年頃になると「まあじゃんほうろうき」(西原理恵子)、「青木通信」(青木光恵)とこの手のジャンルは珍しいモノではなくなった。海外をテーマにした作品も少なくなく、"旅の案内人"とのやりとりを描いた作品としては、西原理恵子(と鴨志田穣、ゲッツ板谷)の「鳥頭紀行ぜんぶ」を思い出す。西原と菊池では芸風がかなり異なるが、同行者のオバカな所作を冷ややかに笑い飛ばすという点では同趣旨のモノだ。
今ではエッセイマンガはマンガ界で一つのジャンルを形成するようになり、マンガ専門店などでは独自の書棚が確保されているし(もちろん「鉄子の旅」もそこに並ぶ)、メディアファクトリーでは「コミックエッセイ」というレーベルさえも作っている。ただ、業界の隙間産業的なジャンルとし出現してきたため、マンガ評論家やマンガ読みの中でもあまり注目されてこなかった。マンガ家の手慰みや余芸みたいな扱いであったような気もする。それゆえに、このジャンルの評価と区分はいまだに確定されていない*1。
少し脱線しすぎた。そんなわけでエッセイマンガというスタイルは今では珍しくはないのだが、このジャンルで"鉄道"を材料とした商業作品は「鉄子の旅」が最初であろう。
マンガで"鉄道"を描く難しさ
とりあえず、エッセイマンガのスタイルを踏襲するなら、"鉄道が大好きなマンガ家"に作品を依頼するのが筋であろう。鉄道好きのオタク層としても、"ボクらの大好きな鉄道がマンガになっている!"、"ああ、こんな鉄道風景を見てみたいなあ"、"へええ、こんな鉄道があったんだ……"という欲求を持っている。
ただ、過去に"鉄道マンガ"は出現しなかった。理由はいくつかある。
- マンガを読む鉄道好きはいるの?<若年層の鉄道好き、マンガ好きが減っている。>
- 鉄道趣味活動をマンガ化する意味は?<他人の鉄道趣味活動をマンガで読んで面白い作品になるのか。紀行文がなかなか成立しないのと同じ理由。>
- マンガを描ける鉄道マニアっているの?<クルマや飛行機のマンガはたくさんあった。でも、電車好きってね.....プロでは水野良太郎ぐらいかなあ。>
いや、正確に言うと、"鉄道マンガ"というか、"鉄道マニア"を題材にしたマンガは過去にも存在している。そのうち単行本化されたのは、弘済出版社(交通新聞社)の唯一のマンガとなる「チャレンジくん」(荘司としお、1982)のほか、恋愛青春系マンガの大御所による「気まぐれ乗車券」(小山田いく 1987)、鉄研会員を主人公にした「名物!たびてつ友の会」(山口よしのぶ 1996)の3つ*2。鉄道好きの主人公が国内を鉄道で旅しながらいろんな経験をして......という作品である。
正直、個人的には、世界観・現実感・物語の面で微妙な雰囲気を感じた。鉄道車両のデッサンもなんだかツボを外している。かっこいいアングルはそこじゃない。「フィクションなんだし正確さや現実味に欠けていてもイイじゃないの」「鉄道マニアにも夢を見させてやれよ」という見解も承知はしているが、なぜ鉄道マニアを物語の主人公にする必要性があったんだろうか。その基本ラインがクリアーされていないから、私には魅力的に見えなかった。
「鉄子の旅」と菊池直恵も、「本人はさして鉄道に興味がないが、編集部から頼まれたので、とりあえず鉄道を題材にしてマンガを描いてみました」という点では過去の作品群と同様である。ただ、菊池は、第三者的に横見浩彦を"見守る"という視点とスタンスを確立したがゆえに、あらゆる層に訴求できる(可能性のある)作品を作り出し得た。
(以降、2007-03-14の「鉄子の旅 6」(後編)に続く。途中に、鉄道マニアが求める"世界観"。そして物語の不在もあり。)
*1:「恍惚都市」2006-09-30 エッセイマンガ と「伊藤剛のトカトントニズム」2005-02-04『御緩漫玉日記』についての考察の言及が興味深い。