”文学少女”と饒舌な殉教者

“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

“文学少女”と慟哭の巡礼者 (ファミ通文庫)

 小説の書籍・原稿を紙ごと貪り食べるのが特技である自称”文学少女”を中心とした高校生青春ロマンスの第5作。物語の進行役である"心葉"の過去とそこから隠されていた幼なじみとの再会が描かれていく。毎回、古今東西の名作がストーリーの下敷きになっており、今回は岩手県のあたりの例の人の作品である。主人公のかつての恋人だった朝倉美羽を出してきて、第1話から張られてきた伏線が一つずつ刈り取られていくという点では本シリーズの集大成的な作品とも言える。
 さて、個人的には、過去の因縁から袋小路に入っていく主人公と相手役とのやりとりに参ってしまった。混乱していく主人公の心情と私自身の体験とがシンクロする箇所が少なからずあったりした。う〜ん(いろんな意味で)辛いなあ……と、読み進めていった。
 だけど、舞台が闇夜の雪原へと移っていく六章で急に醒めていってしまった。ふと我に返ってしまった後はかなり冷静に読めた。と共に、自分は野村の描く世界に没頭できないなあ......と言うのも改めて自覚してしまった。
 ネットで絶賛されている本作及び本シリーズであるが、読み手が楽しんでいる要素はそれぞれ違うんだと思う。以下に7点ほど挙げてみた。

  • 卓越した才能を持つ主人公、そして本を食うという謎のヒロイン
  • 人生に迷って不安定さを吐露するサブヒロインたち
  • 文化系クラブ特有のまったり感
  • 正体不明な人物による独白(ゴシック体太字)の謎解き
  • 下敷きにしている古典作品や他の作品とのメタ的関係
  • 野村美月の伏線の張り方の妙
  • 饒舌なセリフによって分かりやすくなったストーリーと心情表現

……etc、ってところだろうか。こうしたガジェットが作品の魅力になっているということは想像できる。
 でも、せっかくの素材を十二分に生かし切れていないという印象もまた拭えない。その象徴は、クライマックスで展開される遠子先輩の独白にある。毎回、最後の章で"ネタ本"の解説をしながら、物語の謎解きをしていくのだが、そこで描かれる独り語りが饒舌すぎる。
 もちろんヒロインのキャラ立ちを考えての演出というのは理解できるし、遠子→作者が下敷きになっている作品に惚れ込んでいるのは十二分に分かる。でも、 そうした偏愛によって紡がれた言葉が、「人間失格」、「嵐が丘」、「友」、「オペラ座の怪人」、「銀河鉄道の夜」のメタ語りを無効にしてしまっている。そうした名作が名作たり得るのは、読み手の様々な解釈を可能にしてくれる行間の豊かさ。それらと読み比べると、本シリーズの過剰さと単調さが物足りなく感じるのだ。
 設定上の問題もあると思う。過剰なヒロインと素朴な主人公、周囲の脇役たち。一人称で喋りまくる彼ら彼女らを神様目線で見下ろす第三者が存在していれば、もう少し魅力的な物語構成と舞台設定ができた可能性はあったと思う。「本を食べる"文学少女"」という設定にインパクトがあったので第1作「“文学少女”と死にたがりの道化 (ファミ通文庫)」は突き抜けてくれたが、第2作「”文学少女”と飢え渇く幽霊 (ファミ通文庫)」以降はそれがうまく生かし切れていない。遠子先輩の弟、櫻井流人が途中から登場してきたのは、そうした第三者的視点を物語世界に投じるためだったと思うのだが、まだ溶け込み切れていない。
 なんだかんだ文句はあるけれど読み続けているのは作者の描写力に優れたものがあると感じるからであり、たぶん次の第6作も買い求めるとは思う。次回は“文学少女”の正体が明らかにされるようだけど、未整理な物語や設定はどうやって終幕へと持っていくのだろうか。ある意味では惰性で読んでいる自分を驚愕させてくれるような展開を期待はしている。個人的には、本作の"ラノベらしくない"表現や設定に魅力を感じてはいるものの、それでも随所に残る"ラノベらしさ"が作品への没入を妨げてくれている。それが読書の方法として、あるいは読者として正しい在り方なのかどうか分からない。ある意味で、日本のプロ野球を見て「本家とはぜんぜん違うね┐(´〜`;)┌」なんて言っている連中と同じスノッブさを自分自身に感じるのですが、それはまた別の話。