はてなで日記を書き始めた理由。

katamachi2008-06-07

 親子の会話は、ほとんどメールです。12歳ぐらいからずーっと。頻繁な時期は毎日1通。シンプルで短く、業務連絡の世な感じ。18歳か19歳のころ、珍しく自分の哲学や、子どもに教えなくちゃいけないことをつづったメールが来ました。「何を」やってもいいが、一流になれ」と書いてあった。反発しました。「世に出るとか、売れるとかで判断されたくない」って。
 同じころににもう1通。「僕が今、つくっているものの98%は、10代で吸収したもので成り立っている」と。
坂本美雨インタビュー「おやじのせなか」、朝日新聞、2008年6月1日 ※この記事の「おやじ」は坂本龍一

 僕が、はてなダイアリーで日記を書き始めて2年になる。ブログを書く人としてはタイミングは遅かった。でも、この春まで2日に1回ぐらいのペースで更新してきた。
 自分のような鉄道系ってあまりブログを書く人がいない。昔から周辺雑記的なモノは好まれなかったし、こっち系の人たちはむしろ自分たちが活動するための基礎情報やデータを求めたがる。僕の日記も、定期客よりは検索エンジンで来られる方が圧倒的に多い。ならば、訪問してきた人になにか成果を持って帰って欲しい。だから、僕の思ったこと考えたことは刺身のつま程度にして、来られた方の参考になるような情報を書き記すようにはしている。

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 でも、なんで人は、ネットで文書を、そしてブログを書こうとするのか。それにはいろいろ理由があるんだと思う。
 もちろん"自分のため"に書き始めたというのはあろう。「日々の記録のため」、「ともだちに見せるため」、「やっている商売の宣伝のため」、「最近のナウなヤングにバカ受けらしいから」、「他の媒体では表現できないから」という説明が付くこともある。みんな「そんなたいしたものはないから」とエクスキューズをする。ただ、それならばわざわざネットを通して他者にまで公開する必要はない。アフィリエイトなどによる恒常的な報酬はさほど期待してはいないし、そのために書いていてもモチベーションは続かない。
 あえて、こうした手段をとっている理由として四つほど挙げてみる。

  • 自分の知り得た情報を他者に知らしめたい
  • 自分の気持ちや考えを他者に伝えたい
  • 自分と感性のあう他者と繋がりたい
  • そうしたものとは別の個人的な理由

 そこには、ブログの書き手が内在的に持つ自己顕示欲や社会へとの渇望、寂しさ、愛情......etcなど、その人なりの複雑な背景があるんだろう。言わずもがなと言えば言わずもがな。ネットやブログとかいう次元とは別の、人間の持ちうる感情がそこにあるんだろう。
 と、共に、そうした知らしめたい、伝えたい、繋がりたいという気持ちになった"きっかけ"もあったはず。そのきっかけとはなんだったのだろうか。

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 僕は別に自分を表現するという作業を最近になって始めたわけではない。
 高校生だった二十数年前から同人誌の作成に参加するということができた。鉄道研究部で200〜300部ほど出して、学園祭で200円/冊で売るという、ただそれだけのものである。今読み返しても、いろんな意味で自分や仲間たちが未成熟だったことには恥じ入るばかりだけど、でも、自分たちの調べたこと、体験したいこと。それらを誰かに伝えたいという熱気だけは確かにあった。それは、年に一度の刊行というルーチンワークとは明らかに別物であった。
 それを忘れられず、平成になったらコミックマーケットで鉄道関係の蘊蓄をまとめた本を作ってみた。書店で販売し始めると、飛躍的に部数は伸びた。十年ほど前からは商業誌でも発表する機会に恵まれた。本名で単著を書くこともできた。自分の好きな鉄道や旅行に関することだったから、それはそれなりに充実感があった。モラトリアムな時間が長かったというのも幸いだった。
 僕の目指したものは、

  • 人と同じことはやらない。他人があまりしていないこと、考えてもいなかったことをやる
  • 後学の人間として、先人よりはレベルの高いものを目指す
  • 自分の興味があることは他人も関心を示してくれるはず(ただし、そのためには汗をかく努力が必要だ)

の3点である。
 ただ、あくまでも「表現すること」は趣味であり、副業である。
 専業とされている方もいるが、自分ができるかというと、いろんな意味で継続するのは難しいと判断した。趣味と仕事は別物にした方がいい。いろんな先人たちがそう呟いていたことが耳に記憶があった。

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 ところが本業が忙しくなるとそうもいかなくなる。好きに時間がとれなくなった。
 二十代前半のころの、何とも言えぬ飢えや渇きも薄れてきた。自身の性格もあって比較的自意識を抑えてきたつもりではあるが、それでも何かを表現するからにはその人なりの感情がどこかにあるはず。でも、ある種の達成感が自分にあったのかもしれない。
 あと、二十年間も文章を書くという作業を繰り返してきたことで、自分の目指すべき水準が異常に高くなってきた。高校生のときでも、できるだけ多くの文献に当たり、一次史料も見れるものは見たつもりだ。で、様々な本や人と出会うことで、レベルが高くないと自分が納得できなくなった。でも、そこまで読者は求めていない。あくまでも彼らが見たいものは、自分の興味のある、自分の理解できる範囲のモノである。カルトに深く追求した作品があっても、興味がなければ感性があわねば誰も付いていけなくなる。
 それが行き着くとこまで行き着き、プライベートのいろんなことも重なり、二年ほど前に自分自身が煮詰まってしまった。
 その年の夏に、パソコンの中にあったデータを繋ぎ合わせて同人誌を作成したが、時間もなかったし気力もなかったので、非常にあっさりしたモノだった。なのに、コミケでは、そこそこ、いや今まで以上に売れ行きは良かった。俺の今まで目指してきたことはなんなんだろうと考えさせられた。
 頭の中の情報とアイデアが整理できていなかった。なにをすればいいのか分かってはいたが、達成するまでの集中力に欠けた。「肉をくわえて橋を渡っている犬」みたいになっていた。

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 これじゃあ動けない。とりあえず日常でなにかしてみようか。と考えて始めたのがこのブログである。それが一番大きい動機と言ってもいい。
 読者の需要も考えず、テキトーに書き散らしてみた。構成も長さも考えずに。そのうちに、なんとなく自分の目指していたものを思いだしてきた。
 同じように煮詰まったことが14年ほど前にあった。鉄道に関する同人誌を作りたいのだけど、どうすればいいんだろう。そもそも誰のために作るんだ。自分のためというのは分かる。でも、具体的な読者を想定しないと本としてまとめようがない。
 そのとき、当時、一番よく売れた本(僕の同人誌の売れ行きとしては今でも最高)を読み返し、ふと気付いた。

  • 「ああ。自分が小学生や中学生、高校生のときに読みたかった本を作ればいいんだ」

と。十代のころ、何かを知りたいという知識や自分に対する飢えや渇望は腐るほどあった。でも、なかなか理想的なレベルの高い本と巡り会えなかった。
 ならば、あの頃の自分が読みたかった文章を書けばいい。自分は満足できるし、同じように当時情報を欲していた他人も、あるいは今、現実に知識欲に飢えている十代の子も楽しんでくれるんじゃないか。そう信じ込み、自身の動機としてきた。
 僕が出した商業本はマニアックなジャンルの中でも極北を向いた作品だったけど、それなりには売れたらしい。企画書を書いたとき、「対象:10〜20歳代」と書いた。編集者からは「いまどき若い子は本をホントに買わないし……」とボヤかれたけど、もちろん研究者やベテランの観賞に堪えるものにしたし、内容や文章のレベルを低くはしなかった。でも、意識としては、「本屋や図書館で鉄道書を漁ってなんとか知識を得ようとしている十歳代のころの自分」に向けて本を書いていた。あの頃の自分が読めば、ぜったい喜ぶはずだ、と。

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 実は、もう一つ。僕がブログを始めた内的動機がある。それが混乱して集中力を失ったこともあり、春ぐらいから更新がままならなくなった。なにを書けばいいのか分からなくなったのだ。カネにもならない。評価もされない。そんな日記っていったいなんなんだろう。
 一番最初に引用したのは朝日新聞の記事。坂本美雨が語るのは、父であり、ミュージシャンでもある「教授」こと坂本龍一の言葉である。

  • 「僕が今、つくっているものの98%は、10代で吸収したもので成り立っている」

とは本当にそう思う。二十歳や三十路になってから知ったモノもたくさんあるが、その認知や理解は十代で獲得した枠を越えることはない。その枠が小さければ、処理能力もそれなりのものにしかならない。自身の苦手なジャンルに関しては常にそう感じている。
 むかし塾講師をしていたとき、小学六年生の最後の授業には、いつも僕の愛読書を持ち込んでみた。藤子不二雄宮脇俊三北杜夫宮崎駿……小学校高学年から高校にかけて魅了された人たちの本だ。そうしたものを十代でどれだけ吸収できるかが勝負だよ、中学受験が終わったらそういうことも考えてみてね、と。
 ここ数日、そうした諸々のことを思いだした。とにかく、検索エンジンかブクマか"お気に入り"かを通して訪問してきてくれた人に、なにか有意義な情報を持って帰っていって欲しい。そのことを考えて書けばいいのかな、と。結局、二年前に戻っただけである。
 たぶん、そうした最初の動機はなんだったのか。それをたびたび思いだし、「なんでブログを書くのか。なんで表現したいのか」。自己を相対化することが長続きする秘訣なんだろう。
 それは趣味だとか、人間関係だとか、仕事だとか、なんだとか、他のジャンルでも同じじゃないのかなと思うのだけど、それはまた別の話。