保育園とイモ畑と戦後民主主義。

katamachi2008-10-17

 昨日、「第二京阪道路と大阪府と芋掘りの想い出。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月」で第二京阪道路は地元民にとってそれなりに意義があるという見方を紹介した上で、でもそのルート上にある関係者にとっては......どうなんだろうという問題提起をして(というか結論を放り投げて)そのまま終わった。
 それから1日経って、自分の日記や産経や朝日の記事のブックマーク、あるいは他人さんの日記・ブログ、大小様々な掲示板をパラパラと眺めていると、

  • 大阪府はイモ掘りまで2週間待てなかったのか?
  • 保育園の周囲の人間って胡散臭くないか?
  • 小さな子供を全面に押し出すのって問題はないのか?
  • 安直に対立構造にしてしまったマスコミ報道って変じゃないのか?
  • とりあえず橋下府知事の物言いってどうよ?

……など、様々な視点から語られることを改めて知った。
 ただ、この事件で白黒はっきりさせるのに躊躇してしまったのは僕だけじゃないはず。
 とりあえず、産経新聞の「http://sankei.jp.msn.com/politics/local/081016/lcl0810161139000-n1.htm」というニュースに貼付された「壊されていく畑を泣きながらにらむ園児たち」というキャプションの写真にはちょっと驚いた。いまだにこういう風景が存在するのか……と。で、チビちゃん。確かに泣いているじゃないの*1
 あえてリンクはしなかったのだけど、北巣本保育園の支援者と主張する人間のHPと書き込み

が存在する。戸田久和 - Wikipediaの記載が本当に正しいのかどうか真偽のほどは定かではないが、かなり胡散臭い人物であるのは確かだ。保育園を巡る騒動を自らの主義主張のために利用していると僕の目からは見える。その意味では、三里塚と同様だ。
 その男の存在を抜きにしても、保育園理事が「第二京阪道路建設によってこども達の菜園を奪わないで」という文章で主張する「園児の菜園を奪わないで」や「ノガミ様として祀られてきた神聖な土地の破壊をやめて」、そして第二京阪道路による環境問題とか事業予測の話。言わんとすることは理解できるが、その運動の輪が広がっているようには見えない。なんでなんだろう。もう少し何とかならなかったのかという気もするが、もう遅かった。
 ただ、道路の必要性、反対派に関する疑問を感じつつも、やっぱり保育園の人たちを批判することは自分にはできなかった。
 一つは、第二京阪道路の建設の経緯。
 昨日も書いたけど、沿線の都市化が終わった後の90年代に着工というのはどう考えてもタイミングが悪すぎた。大阪府が後先のことを考えて準備をしてきたのか。需要予測はどうだったのか。地元住民に対する説明や広報は本当に充分かつ効果的だったのか。イモの収穫を2週間待たずにして強行するほどの案件だったのか。僕には不可解な点が多かった。
 もう一つは、保育所というものが普及してきた経緯。
 保育所が出現してきたのは50年代から60年代にかけてだった。農村の都市化や核家族化、公害問題……そうした高度成長期の日本社会が抱える諸問題が噴出する中で、女性が社会進出していく過程で、乳幼児を預かる保育所が求められるようになった。保育所社会福祉と直結しているというのは、いまだに管轄官庁が厚生労働省であるということからも明白だ。そして、そうした運動の背景には、学生運動などとも繋がる左系の人たちの動きが大きかった。プライベートな預かり所での保育から始まり、劣悪な施設やシロウト運営で様々なトラブルが起き、保育所への公的補助の拡大を求める運動が広がり、それが公営保育所の設立などにも繋がっていく。
  "保育園 歴史"でググってみると、3つ目に三重県四日市市の「ひよこ保育園」http://www.hiyoko-kids.net/page/rekishi/index.htmlというところのHPが出てくる。ここを見ても、初期の保育所がカネや用地の問題でいろいろ大変だったことが想像できる。最近でも学童保育の場所の確保が難しくなって……という記事はよく見かける。今でも民家やアパートの軒先を利用しているところは多く、保育所以上に不安定な状況に晒されている。ただ、ニュースとしてはあまり大きくは取り扱われていない。読者にとって、おもしろくないからだろう。イモとか橋下とか涙とか複合の要素が絡んで今回の事件は大きく取り上げられた。そしてすぐ忘れられる。
 門真の保育園の理事の言葉にどこか古めかしい堅苦しさが見え隠れするのも、社会運動の成果として保育所が誕生したという歩みと繋がりがあるからなんだろう。たぶん、50年前、40年前には、今回のイモ畑騒動みたいなトラブルは昔はもっと頻発していたのだろう。保育所の拡充のために「園児の涙」を利用した関係者や親はそれなりにいたんだろうなあとも想像できる。僕には記事の写真の片隅に小さな子供がいたのはなんら不自然ではなかったのだけど、それを批判する人たちの方が圧倒的に多かった。
 そうした大昔のノリを、いま繰り返すことにどんな意義があるのかは分からない。保育所を神聖視するつもりもない。ただ、平成になって悪しく叩かれるようになった「戦後民主主義」。その成果の一つとも言える保育所の世話になったのは僕だけではないはずだ。他人の言葉を借りてきて教条的に語る人は右も左も苦手なんだけど、先人たちが築いてきた事象については、ある程度、理解と敬意を示さないといけないんじゃないか。
 と、イモ畑の記事でいろいろ考えてはみたものの、今日も結論らしいオチは見当たらなかった。ネットの世界では極論を語る人が目立つし、そちらの方が評価されたりもするけど、うまくいかない。まあ、それはいつものことだしそれでもいいやと思うのだけど、それはまた別の話。

追記

 一昔前のアニメだと、『保育園(とか教会とか孤児院とか)の土地が地上げされそうになって…』ってのは定番のネタだったよな…

はてなブックマーク - 保育園とイモ畑と戦後民主主義。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月でコメをいただき、あああ、と合点がいった。「タイガーマスク」や「あしたのジョー」なんか、まさにそのまんまだったもんなあ。地上げ屋や悪徳不動産屋、悪徳弁護士に限らず、公共事業とかなんとかで潰されたイモ畑なんて40年、50年前はどこでも見られた風景なんだよなあ。

*1:橋下知事「園児の涙利用」と保育園側を批判 行政代執行によると、「祖母に連れられて通園途中に畑に立ち寄った園児が1人いたが、5分ほどいただけで祖母がすぐに保育園に送った」とある