種村直樹批判の源を探る

商業出版させてもらったのに実は写真は全くダメなんです

 なんてことを書いていると鉄道写真に詳しい人間のようにも見えますが、実は子供の頃からあまり写真を撮ることには興味がない人間でして、特に全国のJRと私鉄を乗り回っていた1987年から10年ぐらいの間のプリントはほとんど残していません。超有名撮影地なんてのも縁がなく、横軽が廃止になる直前に熊の平駅跡に行ってEF63の三重連とかを撮ったぐらい。それすらもバスで廃線跡を回っていてマニアさんの群れを見て偶然に発見しただけです。根府川とか山崎のカーブとかそーゆーのも縁がありません。今回も新疋田とか余呉に行こうかと思いましたが、どこにポイントがあるのか知らないので諦めちゃいました。
 一時期、仕事の関係でリバーサルフイルムを使っていましたが、ピントの合わせ方も未だに知りません。全て一眼のオート機能に頼り切っていました。


 というか、ポジとネガの違いを知ったのも、必要に迫られて鉄系の友人に教えてもらってからです。すでに25歳になっていました。「未成線 国鉄編」の本を出したとき、ネットでどなたかが「イイ写真が多くて」と評価してくれていましたが、すみません。あれは、天気と未成線跡が良かっただけでして、僕の腕ではありません。ですから、名羽線なんかも心残りが多くて(地図には間違いがあったようですし)、北海道の廃線跡を詳細に紹介されている塚本雅浩さんの鉄道廃線跡探訪のページでの成果を期待しているわけでもあります。
 

鉄道趣味を捨てた人、そして鉄道趣味を深化させた人

 さて、なぜ私が鉄道写真に興味を持たなかったのかというと、それは、もともと私が宮脇俊三種村直樹に影響されて「鉄道旅行」という角度からこの業界にのめり込んでいったからです。先に保守本流と称した鉄道車両→鉄道写真という黄金パターンの人間ではなかったからです。
 数的には鉄道旅行を趣味対象としている層は今でもかなりの割合を占めています。18きっぷやローカル線を対象とした鉄道旅行関係のムック本なんかもこの層をターゲットにしていますね。ここ5年ほど、「鉄道趣味」という素材が世間にも"浸透"している状況下にあるわけで、ある種、これまでとは違った局面でのムーブメントとなっている感があります。
 ただ、世間にも"浸透"はしているものの、その核となるマインドは"拡散"しつつあるわけでして、決して"深化"しているわけではない。かつて、趣味人の間で共通言語とされたものが、今の時代に伝わっていない。そして過去と現在との乖離が始まっているわけです。
 70年代末の「鉄道旅行派」というのもそうした鉄道マインドの"拡散"の先駆けだったわけで、自分も含めて大量の人間が鉄道趣味界に入ってきたわけですが、保守派の人間の一部からは「旅行しているだけ」とか「中身がない」とか「ブームに乗っているだけ」とかあまりイイ扱いをしてもらえなかったのです。別の世界の人種とされていたわけです。
 いや、そういう批判される点があったというのは事実でして、当人たちも、ただただローカル線に乗っているだけでは次第に飽きがやってくる。国鉄完乗!とか鉄道研究とか、そういうのを強制されるのもイヤだ。「鉄道」なんて言っているヤツはウザい。
 そうして、大学生ぐらいになった"ナウなヤング"たちは、ある者は鉄道趣味から足を洗い、ある者は鉄道趣味の方向性を深化させていくことになる。先に話題に出した「降りつぶし派」なんてのもそんな過程で生まれてきたわけです。そして、私も、次第に趣味対象を鉄道旅行から一歩踏みだし、鉄道史やら廃線やら同人誌作成やらとシフトを変え、現在に至るわけです。