近江鉄道の略称は「きんてつ」?、「おうてつ」?
先月末に祖母が亡くなった。前回書いた大井川鉄道井川線行きの翌日のことである。医者からの急報で滋賀県の病院に真っ先に駆けつけたのだが、すでに意識はなかった。御年98歳。他者から見ると大往生ってことになるのだろうが、可愛がってもらった孫の1人としてはいろいろやるせないものはある。
祖母が体調を崩した二年前、うちの母親と納戸を整理していたら古いアルバムが見つかった。写っている親戚たちの年齢から推察するに、1930〜1950年頃の写真だ。
その中には、祖母が20歳代半ばの写真もあった。昔風の瓜実顔なんだけど、ひいき目なしに美人だと思う。結婚前は婦人解放運動をやっていたらしく、「婦人公論」とかにも投稿していたんだとか。その縁で無産運動(社会主義運動)をやっていた祖父と知り合ったんだという(伯母談)。堤康次郎とも繋がりはあったんだとか。"人には歴史あり"ということを痛感する。
その中で興味深い写真をいくつか見つけた。
まず、これ。
近江鉄道バスの表示は「KINTETSU」
写っているのは、江若鉄道。1969年まで琵琶湖西岸に走っていた京阪系のローカル鉄道で、湖西線の建設にあわせて1969年に廃止された。
前後の写真から推測すると1955年ころの写真だと思う。"9"とあるから、日本車輌製造のキニ9形なんだろう。たぶん。流線型っぽいデザインは、京阪60形「びわこ」号を彷彿させる。
場所は滋賀県高島市鵜川の白髭神社近くの湖畔。白鬚駅 - Wikipediaのあたりか。
白髭神社のホームページhttp://www.biwa.ne.jp/~h-ume/kotyuutorii.htmlにも同じ場所で気動車を写した画像がある。ここは湖の中に鳥居があるので有名なところらしく、「企画展 ありし日の江若鉄道|お知らせ|大津市歴史博物館」や「Kokyu Rail Photo Products」でも同じシーンが写されている。
続いて二枚目。
神社の鳥居前での集合写真。右横に停まっているのボンネットバスのお尻に「KINTET」と書かれている。「KINTETSU」(「KINTETU」)?ということは、「きんてつ」?
祖母は滋賀県内に住んでいて、目的地も滋賀県。もちろん近畿日本鉄道バスの可能性は捨てきれないけど、これは近江鉄道バスだよね、たぶん。
近江鉄道の略称が「きんてつ」であるとは、鉄道マニアの間ではそれなりに知られているトリビアな知識だと思う。
ただ、現在、滋賀県に住んでいるのだが、近江鉄道の略称として「近鉄」(きんてつ)を使うのを見聞きしたことはない。
いや、一度だけある。その証拠がこれ。祖母の遺品を片付けに行った帰りに立ち寄った。
この手書きの「JR」の下にある「近鉄」は明らかに近江鉄道のことだ。
JR西日本東海道本線彦根〜南彦根間の猿尾道踏切である。彦根市の芹川を跨ぐ橋梁の側である。この区間、近江鉄道彦根〜彦根口間(単線)と併走していて、都合、3線。JRと近江鉄道とが踏切を共有している。
ただ、方向を示す表示だけは両者は別になっている。
大昔、ここの踏切に警報機が付けられたとき、「国鉄」&「近鉄」と書かれたんだろう。それが国鉄分割民営化後のいつかの時点で、「JR」&「近鉄」と書き改められた。「近江」としておけばいいと思うが、担当職員のイタズラ心から「近鉄」としたのか。あるいは前例踏襲でそのままの表記にしたのか。
まあ、当事者としてはどっちでもいいんだろうけど、ちょっと気になります。昔、子供向け入門書で見た「近江鉄道」=「近鉄」という略称が、実際に使われている現場を確認できたのだから……
「きんてつ」と「おうてつ」、その違いはなに??
まあ、今なら、「おうみてつどう」と略称なしで呼ぶ(短いから略称を使う必要もない)か、あるいは「ガチャコン」って愛称か。40・50歳代だと後者をよく使う。近江鉄道自身も、いつからか自身の愛称としてこの言葉を使っている。たとえば、http://www.ohmitetudo.co.jp/railway/event/gachakon08.htmlとか。
これは60〜70歳代の年配の方もそうだ。うちの親戚たちに聞いても「きんてつ」と呼んでいた人は誰もいない。私の公私でお会いする滋賀県民の年配の方たちにも何度か聞いたことはあるが、「きんてつ」=「近畿日本鉄道」とみんな了解している。
以前、仕事でお付き合いのあった近江鉄道の人に質問を投げかけたこともあるけど、「きんてつ? えっ?」というような反応だった。「そうそう。よく知っているねえ」と答えてくれたのは、現在、70歳ぐらいのかなりエライOBの人。でも、「近鉄」の略称を使わなくなったのはいつですか?と尋ねても、はるか昔のことで覚えていないと言うことだった。
ところが、ネットで検索してみると、"近江鉄道を「おうてつ」と呼ぶことがある"と書かれているのを散見する。
元ネタは、近江鉄道 - Wikipedia。
近江鉄道は1944年に近畿日本鉄道が発足する以前から、近鉄(当初:おうてつ。後:きんてつ)と呼ばれていたという
今日では、近鉄というと一般的には近畿日本鉄道およびそのグループ会社を指すが、近畿日本鉄道は発足後しばらく、近江鉄道が存在したためか近鉄と呼ばず近日を略称としており、駅名では1970年まで社名を冠したものは「近鉄…」ではなく「近畿日本…」を公式名称としていた。
現在でも地元の一部の(主に年配の)人は、近江鉄道を「おうてつ」または「きんてつ」と呼ぶことがある。
と2009年4月現在はなっている。
このような紹介がされているのは見かけたのは数年前。ええーっと思い、前述の70歳代の近江鉄道OBに「おうてつ」って呼び方があるのか聞いてみたが、「『きんてつ』はあったけど『おうてつ』なんてのは……」一笑に付された。
「近江鉄道」の変更履歴 - Wikipediaを見ると、2004年10月に変更されたことが分かる。情報ソースはなし。"当初"とはあるけど、いつのことか。"地元の一部"とはあるけど、どこらの人か。さっぱり分からない。
"おうてつ"で検索してみると、西日本中小私鉄の雄、近江鉄道好きの談話室というのが出てきた。
「近江鉄道は地元で「近鉄」(おうてつ)と読みますが、かなり昔には「本家」の「近鉄」(きんてつ)に乗り入れて」という書き込みに対し、スレ主が
本社のある地元に棲んでもう何十年と経ちますが、「おうてつ」と呼ぶ人を見た例がありません。私の父親も永年近江鉄道に勤務いたしましたが、「おうてつ」と呼んだ記憶は無いと申しておりましたし、その他の鉄道関係者の方々からもそう聞いております。逆に近畿日本鉄道に対抗心を燃やして、あえて「きんてつ」と読んでいた節もあるようです(笑)。ですので「おうてつ」と呼んだ時期は非常に短く、ごく限られた人々では無かったかと推察します。
と書き込んでいる。
「きんてつ」との呼び方はある程度広がっていたのかなあと思う。ただ、「おうてつ」ってのはどうなんだろう。ある一部の、ごく一部の人たちではそのような愛称はあったのかもしれない。
近江鉄道絡みの裏付けの取れないトリビアな話は他にもある。
有名なのは、東海道新幹線建設時の「景観問題」。http://www.shiokinin.com/series_seibu/series_seibu8.htmlにあるように、「康次郎は旧国鉄から2億5000万円を取っている」とかいう裏話は何度も聞いたことがある。
ただ、これについては、『鉄道ピクトリアル』(685号)2000年5月増刊「関西地方のローカル私鉄」p.26で、林常彦近江鉄道総務部長が否定している。近江鉄道と新幹線が並行している区間に関して、踏切の問題と、そして高圧の電力の問題が背景にあったと説明している。現地を行けば、新幹線の盛土が影となって道路側から踏切が見にくくなっているのがよく分かる。警報機や遮断機なしの第4種踏切のままではダメだったんだろう。
堤康次郎がかなり胡散臭い人であったのは事実だけど、ここらのエピソードを当時の新聞が面白おかしく書き立てた。その影響は今もあるんだろう。よく知られたトリビアな話というのも、真偽が不明なのは他にも多そう。
略称や愛称、読み方を決めるのは誰か?
一方、現在、「きんてつ」と言えば誰もが近畿日本鉄道の方をイメージする。
ただ、上の写真が撮られた1955年頃、近畿日本鉄道の略称は「近畿日本」も使われていた。
関西急行鉄道と南海鉄道が合併して近畿日本鉄道が設立したのは1944年。それからしばらくは「近畿日本」が略称となる。プロ野球のチーム名も近畿日本となった(後のホークス)。
「近畿」という表記も、運輸省や大阪市の公文書で見かけたこともある。ここにあるように、戦後、プロ野球チームも「近畿グレートリング」と改められた(1947年の南海分離にともない「南海ホークス」に名称変更)*1。
一方、新生・近畿日本鉄道が1949年に設立したプロ野球チームは「近鉄パールス」と名乗っていたんで、この頃から「近鉄」という略称も使っていたんだろう。
ちなみに、「阪急電鉄」もそうだ。
元々は箕面有馬電気軌道。1919年に阪神急行電鉄となるが、略称は今でも使われる「阪急」のみならず、「阪神急行」もあった。1943年からは「京阪神急行電鉄」。この時期も「京阪神」とか「京阪神急行」とかいろいろあった。1973年に「阪急電鉄」に社名を変更したのは、自分の愛称をそう読んでほしいという意志が働いたからなんだろうか。ブランドイメージの統一とかいう意味でもそれは意義のあることだったのだろう。
「近畿日本」、「近畿」、「近鉄」、「京阪神」、「京阪神急行」、「阪急」……その当時、どちらが一般的だったのか。ちょっと分からない。以前から趣味で国立公文書館の鉄道系の文書を何度か読んでいたけど、そこでの表記にも揺らぎはあった。
当初、近畿日本鉄道が近鉄という略称を全面的に使うのに躊躇ったという背景には、「近江鉄道」略称「近鉄」の存在があったからというのは想像できる。ただ、話を裏付ける文書が見当たらない。そんなとき、きちんとネタ元を紹介して欲しいなあとつくづく思う。
こういう愛称とか略称とかを決めるのは、いろいろ事情があって大変なんだろうな……とは思う。
有名どころでは、JR東日本が決めた「E電」との名前がネタ化扱いにされていっこうに広まらずに知らないうちに消えていった……というのもある。「東京環状線」(「ゆめもぐら」)ってのは、石原慎太郎東京都知事の思いつきで抹消された。「L特急」というのも、鉄道マニアや国鉄職員は知っていたとしても、フツーの人には知られていない言葉なんだろう。
と、共に、裏付けをとれる資料なしに、ニックネームを断定するのも気をつけた方がいいと思う。
学校の先生のあだ名なんかもそうだけど、多くの人の支持がある名前もあれば、ごく一部の人にしか使われていない名前もある。仲間内で通じる愛称が実はあまり外の世界では知られていないということもある。そうした特殊な集団内でしか通用しない隠語を多用することの意味合いというのは理解しているつもりだが、どこか違和感があるのも事実。
そういう内輪のものは別として、広く知られている人物や事象について、ニックネームを決めうちするのって、マスコミの役割なんかだろうな。彼らのお墨付きがあって、初めてその名が確定する。
でも、なんかピントがずれた名前が付けられることもある。
最近だとこんな事例があった。
- 0系
「『団子っ鼻』の愛称で親しまれた車両」「団子っ鼻」0系新幹線、海の花道を古里へ(読売)
→誰がそんな呼び方をしたんだろう。そんな愛称で親しんだ記憶はない
- 急行「つやま」
「地元住民の呼び名は「ぼったくり急行」「ぼったくり」と呼ばれ…JR最後の昼間急行が廃止へ(朝日)
→地元住民で「ぼったくり急行」と呼んだ人は何人かいただろう。でも、「呼び名」とするには語弊がある。本当にそう呼ばれていたのか怪しい。そもそも津山市関係者がごり押ししたから急行として存続することになったのだから。これをパクった毎日は「地元では「ぼったくり急行」の異名」(ここ参照)とさらに深化させている。
- DD14
「鉄道ファンらに「ザリガニ」の愛称で親しまれてきた」東北の冬守り44年、除雪車「ザリガニ」引退へ(朝日)
いやあ、あれを「ザリガニ」と親しんだ記憶はないんだけど。検索すると、従前から2chとかで使われていたようだけど、検索エンジンに引っかかる件数は少ないのだけど。
僕が若い頃、無性に気持ち悪かったのは和田岬線の「トンボ列車」。1990年に廃止されたディーゼル機関車+旧型客車の編成のことだ。廃止直前に朝日新聞で「和田岬線の旧客」=「トンボ」と報道された影響からか、廃止当日、和田岬線兵庫駅構内では長渕剛の「とんぼ」が大音量でエンドレスで流されていた。JRが悪のりしている姿に辟易とさせられのを思いだす。前後に機関車を付けた列車に「とんぼ」との比喩があるのは知っていたが、当時、少なくとも和田岬線列車の愛称として趣味界で知られてはいなかった。
もっと昔からのマニアにとって悪夢に思える名前は「貴婦人」だろう。これも、どこかのマスコミがC57の愛称として取り上げた後、「『貴婦人』との愛称で親しまれた」という報道が繰り返されたことで、いつしか国鉄→JR西日本すらも宣伝で使うようになった。この名前に嫌悪感を示す年配の人は数多い。
マスコミが、記事の中身を分かり易くするため、読者の関心を引くため、こうした愛称を勝手に付けるのはよくあることだ。「ハンカチ王子」なんかもそうだろう。ただ、誰が言い出しっぺなのか、そんな呼び方をしていたのは誰なのか。最初に報じる人間はそこらの点を明らかにして欲しい。勝手に、「○○との愛称で親しまれた」なんて紹介されたり、「鉄道ファンら」と一般化されたりした日には、「えっ、誰がそんな呼び方しているの?」と戸惑ってしまう。と共に、「アキバにいるオタク像」みたいな感じで自分たちが単純化されたようで、寂しさも覚えるのだけど、それはまた別の話。
*1:この"グレートリング"が女性器を指すスラングだったと言われている((福岡ソフトバンクホークス - Wikipedia。鶴岡一人が述懐していたと思うが、ここらも真偽は不明