エチオピアのドジっ子系黒人メイドとブラックジョーク。

katamachi2009-05-11

 金曜日の夜にエチオピアから戻ってきました。
 その翌日、仕事へ行ったときも、「豚インフルエンザはどうなの?」というタイムリーな質問*1と共に、「エチオピア。なんで行ったの?」という素朴な質問を何度もされたんですか、正直、返答に苦慮していました。
 実際、総額27万円(うち24万円が国際・国内線の航空運賃)ほど注ぎ込んで、向こうに2週間滞在してみたにもかかわらず、途中、なんでこの国に来たのか自分でも疑わしくなったから。今でも体調、良くないんですよ。とほほ

エチオピア旅行の最大の目的が初日にて強制終了

 関空4/25深夜発のエミレーツ航空でドバイ3時間乗り継ぎ。アジスアベバに着いたのは2日目の4月26日11時(現地時間)。空港から10km離れた旧市街地ど真ん中までミニバスを乗り継いで1時間くらい。運賃は3B(日本円で30円)。その小高い丘にあるタイトゥ(Taitu)・ホテルに泊まることにしました。
 ここはエチオピアの皇后さんが1898年に建てた同国最古の西欧スタイルのホテルなんです。初めての日は一泊税込100B(900円)の安いところに泊まりましたが、最高級の272B(2500円)の部屋にすると、本館の建物に泊まれるんですね。パックパッカー1人での寝起きにしては、めちゃくちゃ広くて、そしてレトロ感満タンの調度品が良かったのですけど、まあそれはそれ。

 時差ボケ解消のため仮眠を軽くとった後、60年代に整備されたままの大通りを抜けて、そこから2kmほど離れたアジスアベバ駅へ向かいました。スリが出没する以外は治安がそこそこ悪くないんで、歩いていけるというのが有り難い。
 街並みは、50年くらい前のコロニアルな建物群と、数十年前に途中で整備が放置されたモダンなビルと、トタン屋根のボロ家が密集して隣接している......という、ある意味、アフリカっぽい混沌とした感じ。標高2000mの高地ゆえの息苦しさに戸惑いつつも、「マネーマネー」と連呼する物乞いと路上に捨てられたゴミの悪習を除けながら、そうした未知の姿を楽しんでいました。
 アジスアベバ駅へ行くのは、ここから東部のディレダワという都市結ぶエチオピア国鉄の旅客列車が1日1往復運転されているんで、そのスケジュールを確認するため。北部の世界遺産群を回った後、この鉄道を乗るつもりでいたんです。
 アジスアベバ〜ディレダワ間は座席夜行で一晩ほど。ただし出発時刻も所要時間も運転日も運賃も不明。当日にならないと分からない要素も多々ある。それはそれで困るんだけど、アフリカや中近東、南米の鉄道ではよくあること。何度もそういう経験をしているとそれも慣れては来ました。鉄道マニア的要素の高い自分としては、「その国の鉄道に乗る」ということ自体が海外旅行のモチベーションの高さを維持してきた理由だったし、それまでの過程や苦労なんかも含めて楽しんできたつもり。
 で、イタリアの資本なんかも入れて100年前に建てられたアジスアベバ駅。

 えーと、結論から言うと、駅舎には鉄道職員は誰もいませんでした。もぬけの殻。ただっ広い構内には客車も貨車すらもない。鉄道マニアには一目瞭然。嗚呼、このアジスの鉄道は全面運転休止→オレは鉄道に乗れないんだ……
 英語使いでガイドをするゾとかいう客引きが声をかけてきた。彼に聞くと、もう数年前から旅客列車は運転していないんだとか。貨物列車も保線上の大きな問題があって数ヶ月前から止まっているんだ、と。
 オレのエチオピア旅行のハイライトが初日にして一瞬で強制終了させられることになった。「なんで鉄道に乗るんだ」「オレのガイドは一流だぜ」とか売り込みをかけてくる男を追い払いつつ、しばし駅前で呆然としていた。


 いやあ、確かに、それは世界で一番有名なガイドブック「ロンリープラネット」シリーズの2006年版「Lonely Planet Ethiopia & Eritrea (LONELY PLANET ETHIOPIA AND ERITREA)」にもそう書いていたんですよ。
 それを日本で読んだとき、なんとなくヤバそうな感じがしたんだけど、「E09 地球の歩き方 東アフリカ・ケニア・タンザニア 2008~2009」には、2007年9月の情報として「アジスアベバからダレ・ダワまで月〜土曜14:00発」と「2007年9月現在」の情報として書いてあった。「歩き方」の取材者のテキトーな取材によってミスリードされる被害は何度も受けてきたし、あれはそういうものだと割り切っている。今回も伝聞情報か「トーマスクック」の時刻表データ丸写しで現地に行かずに書いたんだろうけど、この空振りは痛かった。

エチオピア観光のハイライトなはずのラリベラで気分はダウンモード。

 失意のまま、翌4月27日、アジスアベバから空路でラリベラ入り。ここはラリベラの岩窟教会群(世界遺産にも指定)を回りました。13世紀ぐらいに岩を削って掘り進められた建てられたエチオピア正教会が12あるんですね。エチオピア観光の本来のハイライトとなるところなんです。真っ暗な洞窟っぽい通路を通ったり、崖に刻み込まれた急な階段を降りたり、参拝するのにどこか探検っぽい色合いがあったりするのもまた一興。
 一番、有名な聖ギオルギス教会(St.George)を小高い丘から見下ろすとこんな感じ。

 そこから崖を下りていって、ゲートを潜ると……


と、高さ12メートルの十字の形をした教会が待ち受けている。これ、凄いのは、単なる「遺跡」や「遺産」じゃなくて、今もエチオピア人たちがフツーにお参りしている現役の宗教的施設なんですよね。このラリベラを世界的に有名にしている1月19日のトゥムカット祭の拠点ともなるところ。
 なのに、気分は盛り上がらない。
 痒いんです。体中が。ホテルで仮眠している最中、南京虫とシラミにヤラれたみたい。背中から腹にかけて40ヶ所以上、赤く腫れた痕跡がある。
 エチオピアで中級以下の宿で寝起きすると、南京虫・シラミ・ノミ・ダニのご一行様がもれなく無料で付いてくる……というのはバックパッカーの間では有名な話で、それは覚悟していたんです。岩窟教会なんかも虫の巣窟になっていて、床に敷かれたカーペットに服が触れただけでもいっせいに痒みが襲ってくる、と。でも、実際、現地で体験してみると、虫たちの凄まじさに圧倒される。正直、目の前にある歴史ある偉大な教会よりも、体のあちこちを掻きむしる方に気分がいってしまった。
 そして、4日目には標高3150mの山の頂近くのアシェタン・マリアムにあるMonastery(モナストリー。僧院・修道院)。この「天国に一番近い教会」へロバに乗せられて2時間くらいかけて向かいました。



 イイところなんですよ。ここ。
 でも、道中、おもいっきり日焼け&高山病→脱水状態になってしまい、気分はだんだんダウンモードに。帰路はふらふらになりながら、坂を降りていきました。で、街に着いたら、チップの額を巡ってガイドがグダグダ言い出して、さらに疲労度はアップ。体調はダウン。
 昼間はちょっと高級なホテルで飯を食おうかと、レストランに行ってみる。地元飯のインジェラ(穀物を発酵させてクレープ状にしたもの。酸味がある)がマズいのは経験済みなんで、ベタにイタ飯にしておこうか。マカロニを頼んでソファーに座っていると、なんか腰のあたりがむず痒い。ああ、ここにもダニがいたのか……。10分ほどの間で、腰回りに赤い斑点が15ヶ所ほどさらに追加。もうイヤなんで、外にあったプラスチックイスのあるテーブルに移動。
 その夜。別なレストランに行ってもる。そのときもエチオピア飯を避けて、鳥肉付きのフライドライスを頼んだのだけど、足下がいっせいに虫に噛まれていくのがリアルで分かってしまうんです。逃げようにもどうしようもない。


 これで体調も気分も絶不調。
 以降、どこへ行っても、絶え間なくやってくる自称ガイドや客引きの類。物売り。物乞い。今まで、エチオピア人はサイアクとか何とか他の旅行者から散々聞かされてきたけど、本当にだんだん鬱陶しくなってきた。街行く東洋人を冷やかそうとする中高生ぐらいのガキ達もウザい。夜にレストランで一緒になる欧州人達もみんなぶつくさ文句を言っている。
 体調が悪くてテンションが上がらないのに、だんだんイライラモードが高まってきてしまった。
 旅行の楽しさというのは、気分とか天候とか出会った人たちとか、本来の目的以外の副次的な物からも多大な影響を受けるんだと実感しました。

「こいつ、ナイジェリア出身なんだぜ。」

 完全にバテバテで、4月29日、エチオピア北部のアクスムへ移動。ここは巨大なトーテムポールであるオベリスクがあるところ。あと、モーゼの十戒を収めたアーク(「インディ・ジョーンズ」の元ネタ)のある土地としても有名なところ。
 気力も体力も低下しているんで、飛行機の便を1日先に変更せざるをえなかった。で、2泊したんですけど、気温も高くて体はダルくなるし、なんかひたすら寝ていました。朝夕にちょこっと町歩きしたくらい。

 その次は17世紀に建てられた中世ヨーロッパ風のお城が残っているゴンダール
 でも、アクスムからの移動の飛行機で体調不良ゆえに乗り物酔いをおこし、機内で胃のモノを全て出してしまった。で、バテバテなのに、またもや空港でホテルの客引きたちがわんさか押しかけてくるし、その対応で神経がすり減らされていく。
 ここらで不愉快指数が最高潮に達していたんですよね。
 早朝からの停電で、夕闇に差しかかつても、街中の灯火は消えたまま。天気もどよんと沈んでいる。なんか僕の深層風景そのままっぽい。



 その日の夜。街中の広場に面したホテルのレストランで飯を食うことにした。
 客は僕1人。若いウエイトレスが案内してくれる。美人ではないけど、愛嬌のある顔立ち。あと、ノスタルジックな給仕服をまとっているのも好感度が高い。ナイフフォークを並べる仕草もぎごちない。素でステンレスの盆を落としたりしている。まだ新人さんなのか。ドジっ子っぽい雰囲気も漂っている。
 おお、ネイティブ・アフリカンのメイドさんかよ
……と、元気ならいろいろ妄想が膨らんで、いろいろと冷やかしたりしたんだろうけど、その気力もない。
 メニューからステーキを選んで注文する。けど、ドジっ子系黒人メイドには英語が全く通じない。それを見かねたウエイターが、注文を取りに来てくれた。
 はあ。しんどい。テーブルに置かれたロウソクの火をぼーっと見ながら、心身とも疲れ果てたこの旅の空しさに思いめぐらす。
 黒人メイドさんは、僕のテーブルの隣にあるベンチで腰掛けている。他に客は誰もいないし、する仕事もなく、手持ち無沙汰なんだろう。
 不機嫌そうな顔をしていたんだろう僕にいろいろ声をかけてくれる。彼女なりの気遣いんんだろうけど、英語が喋れないんだから、会話になるはずもない。なんか放っておいてくれ……という気持ちになってくる。
 そんな、不快指数100%のアジア人オタクとドジっ子系黒人メイドのやりとりを見ていたウエイターが声をかけてくる。

  • ウエイター「ディナーを楽しんでいるかい?」
  • 僕「(あまり気乗りせず)ああ、停電で光はないけど、このロウソクが素晴らしいよ」
  • 黒人メイド「(数少ない英語の中から)グッド。サンキュー」
  • ウエイター「あなたはどこから来たのか?」
  • 僕「(15分ほど前に既に言っただろ、と思いつつ)ジャパン」
  • ウエイター「おお、ジャパンか」
  • ウエイター(そして振り返ってメイドさんを指さして)「じゃあ、この娘、どこの出身か知っているか?」
  • 僕「(さも興味なさそうに)さあ。」
  • ウエイター「ナイジェリア出身だよ」
  • 黒人メイド「(なんか可愛らしい顔をして)ノーノー、エチオピア……」
  • 僕「???????」

 なんか意味が分からないが、ジョークらしい。
 で、ウエイターの解説。
「この娘、肌が黒いだろ。アフリカで肌が黒いと言えばナイジェリア人だ。エチオピア人はそれほどでもない。」
とのこと。
 おお、肌の色を使ったジョークか……。これぞ真のブラックジョーク。
 日本と言うより、アメリカなんかじゃ考えられないネタなんだけど、黒人さん本人が言うとまた別な意味合いが出てくる。黒人メイドさんも照れた顔をしているけど、冷やかされたって程度で、あまりマジには考えていないみたい。
 そのやりとりで、ちょっと場が和んだ。あと僕の気持ちも。黒人メイドさんとも、英語抜きのボディーランゲージで会話をすることができるようになった。
 10分ほどして出てきたステーキはスパイスの味だらけで正直旨くはなかったのだけど、楽しく1人ディナーの時間を過ごすことができた。不機嫌そうな僕を癒してくれて2人のお陰だ。で、エチオピア滞在の最後の数日はそれなりに充実して過ごすことはできた。ただ、肉体的な疲労は一掃できず、最終日にはついに胃腸がダメージを受けてしまい、帰ってから3日経った今もゴロゴロ腹が鳴っていたりするのだけど、それはまた別の話。

*1:BBCでニュースは見ていたけど、概ね現地や欧州の人は我関せず。乗換客でごった返す深夜のドバイの空港でマスクを付けてウロウロしているのは日本人ばかり……というなんというか妙な光景でした。で、逆に、関西空港に着くと、遅延しているサンフランシスコからのユナイテッド航空の乗客と一緒にされて検疫を受けていましたが、そっちの方が「被害」があったとしても拡大してしまうような……水際作戦、いいのかそれで。