"現実化が断念された夢"に実存を求めていた宮台真司のその後。

制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

制服少女たちの選択―After 10 Years (朝日文庫)

 宮台真司の代表作『制服少女たちの選択』(講談社,1994)が文庫本化された。今回、文庫用に「元援交少女座談会」、圓田浩二との対談、そして中森明夫の解説が付け加えられた、『制服少女たちの選択 After 10 Years』として装いを新たにした。単行本を持ってはいたが、12年の歳月を経て付け加えられた増補分が気になって、新しく買い直してみた。
 宮台は90年代前半に"ブルセラ学者"として登場した後、各方面で社会問題やサブカルに関して積極的に発言するようになり、いつしか90年代の論壇を代表する語り手となっていく。その強さの秘訣は、某女子高ではパンツを売った娘が2割いたとか、都内のQ2ダイヤルのメッセージの9割が女子中高生で半分以上が売春志願とか、やたらと具体的かつ地道なフィールドワークを積み重ねていた上に、"社会システム理論"という確固たる理論的背景を持ち合わせていたから......というのは周知のところ。テレビでの対談中に完膚無きまで論破された西部邁が涙目になって途中退席した……なんて武勇談は有名な話である。

 確かに、90年代には、宮台が解析したような少女を取り巻く社会情勢があったことは確かだし、その原因も処方箋も彼の言うとおりだったかもしれない。
 ただ、宮台の"隙のない分析"による"処方箋"は意外にも社会には通用しなかった。感情的な反発が一通り出尽くした後も、なかなか議論の声が広がらなかった。むしろ宮台の狙いとは異なる方向へと進んでいく。オヤジの叱りが有効だと思っている人間は決して激減はしていないし、それを窮屈に感じている人間も少なからずいる。条例改悪は進んでしまったし、児ポ法の改正論議はたえまなく続いている。
 宮台は「民度上昇の速度が遅いとは思ってもいませんでした」(p.352)と苛立ちの気持ちを隠していない。だが、彼のあまりにも理路整然とした論調が禍したのでは......というのが私の印象である。他者が反論する余地を与えなかったため、逆に議論の幅が広がらなかったのだと思う。
 司会者からの

「取材対象となった少女たちは、その後どうしているのでしょうか? その後幸せに暮らしているのか。援助交際の経験が傷となっていないのか」*1

との問いかけに対し、宮台は"願望水準"*2と"期待水準"*3とが乖離してきたというこの10年の状況を雄弁に解説する。だが、どこかその語り口は重い。明らかに現状は、1994年の単行本のまえがきp.14で(そして中森明夫の解説p.382でも引用されている)

「教育評論家やいわゆる『識者』の方がたは言う、少女たちは自分自身を傷つけていることを知らないと、いつかは後悔するだろうと。しかしその『傷』という観念たるや、すでに『価値判断』の産物にすぎず、『問題』とならない。少女たちはけっして後悔しないだろうと断言できる」

と威勢よく啖呵を切った時とは逆の方向に行ってしまった。かつての論敵たちが指摘した「傷」は残されてしまったわけだ。「願望水準の高さが、後々彼女たちの心を蝕む可能性を、想像しなかった。」と言い訳している宮台の言葉は痛々しい。
 ただ、13年前に威勢よく少女たちを語っていた宮台の痛々しさは読者にも跳ね返ってくる。
 圓田は、「文庫本特別収録2」p.357で、取材対象の援交少女に幻想を抱いて宮台の『制服少女たちの選択』を渡したにもかかわらず突き返されてしまった……という苦い思い出を語っている。実は、かつて私もAC系の女の子2人に同じことをしたことがある。そうした無数の期待を宮台は押しつけられてしまっていたのだ。それを思い返すと、胸が痛い。"After 10 Years"における宮台の"ミスリード"を非難したり、空回りを笑ったりするのは簡単であるが、90年代という社会状況を独りで背負っていた彼を責める立場には誰もいない。
 そんな宮台の真の強さは、p.395から始まる文庫本あとがき*4に記されている。これを書き終えたことで、彼はようやく不毛であったAfter 10 Yearsを終えることが出来たのかもしれない。正直、ここ5、6年ほどの彼の著作には見るべきものはあまりなかったのだが、まだまだ新作に取りかかる意欲もあるようだし、今後の活動に期待したい。
 なお、本作の文庫本とほぼ同時に、『宮台真司ダイアローグズ1』も刊行されている。1994〜1999年にかけて行われた対談など38本が収録されている。

宮台真司ダイアローグス〈1〉

宮台真司ダイアローグス〈1〉

 その相手となったのは宮崎駿村上龍上野千鶴子鈴木光司藤原新也岡田斗司夫田中康夫と多彩である上に、『制服少女たちの選択』理解のために重要な発言もいくつかあった。面白かったのは、宗教ジャーナリスト室生忠との「こちら側は生きるに値するか」という対談。オウム事件について語り合う2人の会話は、正直、噛み合っていないのだが、それゆえにブルセラ女子高生や「終わりなき日常」に対するスタンスが鮮明に語られている。ぜひ併行して読んでみることをオススメする。

*1:「文庫本特別収録2」、文庫本p.344

*2:「自分としての自分が本当に望むもの」という意味らしい,同p.346

*3:「現実に期待できるのはこの程度と見切ったもの」,p.346

*4:MIYADAI.com Blogより 『制服少女たちの選択』文庫増補版あとがき:現実はもうダメ。でも断念された夢を語れた