正月の暇潰しに見つけた鉄道系記事三題

katamachi2008-01-08

 あけましておめでとうございます、と一週間遅れですが、新年のご挨拶を。
 実家から戻ってきた後、ドタバタしているんで、とりあえず新年に気がついた鉄系ニュースをいくつか紹介。

おおさか東線の使用車両は103系、201系、223系

http://www.kotsu.co.jp/newspaper/index.html#
 交通新聞社の「交通新聞ニュース抜粋版」2008年01月08日号によると、おおさか東線で12/29〜3/14まで10〜15往復の試運転をするらしい(当方は未見)。使用車両は103系、201系、そして奈良〜尼崎快速用の223系の三種とか。えっ、103系。まだ使うのか??。
 十数年前、朝日新聞大阪本社版で103系N40改造車について、「通勤電車を40年使えるように改装、環境に優しい電車」という趣旨の記事が載ったことを思い出す。

鉄系の本も出していた新風舎山海堂が事実上の倒産

http://www.asahi.com/culture/update/0107/TKY200801070309.html
http://www.tokyo-keizai.co.jp/tosan/6.html
 上の方の記事は、ここ数日、ネットの世界でもいろいろ話題になっていますね。ある意味、予想通りといえば予想通り。うちの近所の郊外書店に行くと(ここのエントリー参照)、一冊残らず撤去されていました。
 協力出版というか自費出版というか、「著者にカネを負担させて出版→本屋で流通させると約束→でも、実際は……」という商売のカラクリについてはすでにお馴染みですよね。今だと、オフセット印刷による同人誌やら、ネットのホームページでも高いレベルの表現ができると思うのですが、そういう"シロウトっぽい"のではなく、きちんとした"プロ"の手による本を造りたい……と希望する人は今でも少なくない。私の周囲でも、こことは違う会社ですが、BMWの1台分のカネを注ぎ込んだ人がいます。いろいろ説得したのですが、ダメでした。自分の表現したい内容(ちなみに福祉関係)を本という形でなんとかして世間に知らしめたいという欲求が強かったようです。そんな体裁と見栄ばかりにこだわっているから学生紛争で負けたんだよとも言いたかったのですが、それはまた別の話。
 もう一つは、昨年末に報道されていたらしい山海堂の倒産。海外渡航中だったので気付いていませんでした。鉄系本に新規参入してきた出版社の本にはお手軽すぎる内容が多くて……とは、先日のエントリーでもボヤいてきましたが、この山海堂さん、比較的丁寧な本作りをされていたと思います。読み応えのある本も多かったのですが、いかんせん、地味目の題材が多かった。最近、あまり出していないよな……と思っていたのですが、まさかこんな事態になっていたとは。なんとか再生して欲しいなあとは思います。

有馬兵衛旅館向陽閣のケーブルカーの駅名標

ある方から駅グッズ骨董品店で「まんねん駅-兵衛鋼索鉄道」と書かれた駅名板を手に入れたとのご連絡が入りました。もう25年前に撤去したケーブルカーの乗り場の駅の駅名板です。
帰ってきた「まんねん駅」兵衛向陽閣 こぼれ話」2005/00/00(日付はバグ?)

 有馬温泉に行こうかと検索エンジンをいじくっていたら見つかりました。有馬兵衛向陽閣のケーブルカーの話です。
 もう今じゃ鉄道マニアでも忘れている方がほとんどと思いますが、昭和40年代、日本旅館やホテルの中で"鉄道事業"に携わった会社がいくつかあったんですよね。関西ばかりで5路線。路線延長100m前後のケーブルカーで、車両定員は10名ほど。遊園地の娯楽施設と同レベルの安っぽいものだけど、これでも、一応、運輸省公認、地方鉄道法で認められた「鉄道」として扱われていました。
  「浪花のモーツアルト」ことキダ・タロー氏作曲のテレビCMで(関西の人間には)お馴染みの兵衛旅館向陽閣も、ケーブルカーの運営を行っていた時期がありました。1960年3月から、万年駅〜蓬莱駅〜向陽駅間で営業を始めています。
 と書けばなにか本格的な鉄道のようにも見えますが、総延長距離は0.1km。ホテルの最下部にある駐車場と建物とを連絡する昇降エレベーターみたいな存在でした。
 で、僕が小学生だった1983年。親戚との旅行で兵衛向陽閣に泊まることになりました。こまっしゃくれたガキだったんで、鉄道本を読んで旅館内にケーブルカーが存在することを知っていました。有馬自体には全く興味はありませんでしたが、「ケーブルカーに乗れる」それだけを楽しみにして、面白くもない親戚旅行についていったんです。旅館にケーブルカーが走っている。しかも、運輸省が公認しているホンモノの"鉄道"。その怪しさに、なにか胸がときめくじゃないですか。
 ところが、有馬へ着いてホテルの中を探検してみても、探しても探してもどこにも「ケーブルカー」という文字が見つからない。スタッフの方に聞いてみると、「いまはやってないよ」とのことでした。その理由についても聞きたかったのですが、お盆の多客時で忙しかったからか、ガキの鉄道マニアがウザかったのか、こちらが質問する前に去っていってしまいました。謎は謎のまま残った。
 あまりにも悔しかったので、オトナになってから調べてみました。どうも、建物を改装・新築するため、1980年3月に営業を終了していたようです。まあ、この時期にでもなると、エレベーターでも十二分賄えますよね。そこらの由来と廃線跡の詳細については、僕が執筆を担当した「鉄道廃線跡を歩く〈8〉 JTBキャンブックス」を参照のこと。
 この廃線跡、今では災害時の避難通路として使われているのですが、当時のホームやらの残骸がまだ残っているんですね。しかも、一昨年、駅名板が発見されたとかで、当館の11階で展示をしているとか。また行ってみたいけど、関西の人間だし、数万円払って泊まりに行くというのもなんだか抵抗感がある。箱根堂ヶ島温泉対星館*1みたいに外湯*2を受け入れてくれればいいのになあとも思うのですが、それはまた別の話。

*1:ここは今でもケーブルカーが運行されている。運行開始は戦前。ただし昔から旧運輸省非公認

*2:正確には足湯。それに入るのに1000円もかかる!!