イランで誘拐された学生さんと海外危険情報と自己責任と笹川堯

 イランで誘拐された横国大の学生さんが解放された。あまりニュースでは大きい扱いではなかったですが、なんだかちょっと嬉しいです。
 なにより、そのニュースを聞いた直後のお父さんの笑顔が本当に良かったし、さっき記者会見で答えていた本人さんも、きちんと関係者に謝罪や礼を述べた上で、自分で言葉を選びながら話していたと思う。海外旅行好きの一人として、彼の災難は他人事ではなかったし、その解放を素直に喜びたいと思う。
 ところが、以下のような反応も出ているんですね。

 笹川堯衆院議院運営委員長は17日午前の自民党役員連絡会で、イランで誘拐された日本人大学生が8カ月ぶりに解放された事件に関し「外務副大臣がスタッフを連れて、3度イランに行っている。これはみんな国民の税金(で負担している)」と指摘した。その上で、「政府が渡航の自粛を要請しているところに行った人については、今後、外務省で厳しく徹底する必要があるのではないか」と述べ、救出に要した費用は本人の負担とすべきだとの考えを示した。
救出費用は自己負担に=イランの邦人解放で−笹川氏6月17日13時0分配信 時事通信

 笹川堯つて、笹川良一の子供だよなあ。「政府が渡航の自粛を要請している」って、ウソ言うなよ。
 

イランってそんなに危険な国だったっけ……

 で、今回の事件。
 この大学生が誘拐されたと報道された直後、テレビのニュースなどでも、「イランみたいな危険な国へ無謀に渡航するなんて……」というニュアンスの発言が繰り返されました。みのもんた木村太郎小倉智昭あたりもそう。彼の自己責任だし、政府の言うことを聞かなくて……と。
 ただ、イランに行ったことのある人間なら、誰もが思います。「えっ、あの国ってそんなにキケンな国だったっけ」と。マスコミはイランとイラクとをゴッチャにしているんだろうか。
 まあ、イランと言って、日本人がイメージするのは、

てなところでしょうか。正直、この国に対して、良いイメージを持っている日本人はあまり多くないと思う。ここ6年ほど、大量に流れてきたイスラム絡みのニュースを見聞きしていたら、西隣にイラク、北隣にアフガニスタンと接している極めてややこしい地域であると思いこんでしまうのも仕方がないのかもしれない。
 でも、ゴリゴリのイスラム教徒が治めている国って、意外に治安は悪くはないんですよ。基本的に、彼らのルールを侵さない限り、異教徒の旅人に危害を加えることはない*2。少なくともイスラム絡みのテロが起こっているタイ南部のハジャイ付近、あるいはインドネシア・バリ島なんかと比べれば、まだまだ安定している方じゃないでしょうか。
 もちろんバムやケルマンの治安があまり良くないというのは旅行者の間では有名な話でした*3。ケルマンとバムを結ぶバスが襲撃されて外国人旅行者が誘拐されたという事件も7、8年前にありました。
 私が行った2000年頃、バキからイランへ移動する際の注意事項しては以下のようなことが語られていました。

  • ペシャワールとクエッタを結ぶ直通バスは、途中、トライバルエリア(部族地区)の中を通るので絶対乗ってはいけない。言うことを聞かずドロボウにやられたヤツ多数。

 それはもちろん誘拐された方も承知だったでしょう。ただ、それはバキの話。イランは、フィリピンや南米のように外国人誘拐がビジネスとなって頻発している地域ではありませんし、ヤラれても強盗団ぐらいか……程度に旅行者が了解していたというのも致し方ない。個人的な印象では、今回の事件、かなり不運なケースだったと思います。

当該地域を「渡航の是非を検討してください。」としていた外務省の海外危険情報

 こうした世界各地における危険情報に関しては、日本の外務省が「海外安全ホームページ」で出している「海外危険情報」が一番信用できるとされています。これは、

渡航・滞在にあたって特に注意が必要と考えられる国・地域に発出される情報で、その国の治安情勢やその他の危険要因を総合的に判断し、それぞれの国・地域に応じた安全対策の目安をお知らせするものです。海外安全ホームページを使いこなそう

のことで、

  • 「十分注意してください。」★☆☆☆
  • 渡航の是非を検討してください。」★★☆☆
  • 渡航の延期をお勧めします。」★★★☆
  • 退避を勧告します渡航は延期してください。」★★★★

と対象地域ごとに4つの危険度にカテゴリーされています。
 今回の事件が起きた、シスターン・バルチスタン州及びケルマン州という地域。誘拐事件が起きた段階では「渡航の是非を検討してください。」となっていました(2002/04/26〜2007/10/11)。
 で、昨年秋のアメーバーニュースなんかは、

「確かに学生の海外渡航は増えています(中略)。せっかくの外務省の海外安全HPも、学生がそれを参考にしているかは疑問ですね」。外務省のHPでは、国によってはさらに細かく地域限定で「退避を勧告」「渡航の延期をお勧めします」「渡航の是非を検討してください」「十分注意してください」等々、渡航情報(危険情報)が出ており、情報収集の役に立っている。
「横国大生イラン誘拐事件 大学の安全管理と自己責任」アメーバーニュース、10月15日

と言い切っているのですね。でも、これが現地のリアルタイムの状況に対応しているのかどうか極めて疑わしい。
 今回の誘拐事件が起きたときの「渡航の是非を検討してください。」は危険度は"2"。4段階で下から2番目のランクです。この危険度の解説は以下の通り。

渡航の是非を検討してください。」
その国・地域への渡航に関し、渡航の是非を含めた検討を真剣に行っていただき、渡航される場合には、十分な安全措置を講じることをおすすめするものです。海外安全ホームページを使いこなそう

ということを政府外務省はおっしゃっているらしい。
 お役所言葉特有の回りくどい表現なのでナニを言っているのかさっぱり理解できませんが、これと同じ"危険度2"はインドや中華人民共和国、フィリピン、マレーシアなど53の国と地域に発令されています(彼が誘拐された直後の2007年10月17日現在)。有名所ではイスラエルジェリコベツレヘムとか、コロンビアやコソボ自治区のほぼ全土とか、イスラマバードとか。直近の各国別危険度としては「外務省「危険情報」カテゴリー別発出国一覧」が見やすい。
 今年6月だと中国の青海省甘粛省四川省。インドのアッサムとシッキムなどが危険度2にリストアップされています。一部に人気の南アフリカヨハネスブルクプレトリアケープタウン及びダーバンは「十分注意してください。」と危険度1……。リアル「北斗の拳」状態のヨハネスも行きましたが、うん? そうか。あそこは注意うんぬんというレベルではないが、甘粛省より危険度は下か。全体的にビジネス・観光需要が高いところは危険度は低めに設定される。9.11後のアメリカなどもそう。関係者や相手国が困るのを懸念してなんでしょう。危険度の基準が曖昧すぎる。
 正直なところ、"危険度2"レベルの危険情報が出ても、旅慣れた人間は旅行を継続するでしょうし、現地駐在のサラリーマンたちも仕事を止めることはありません。実際、一昨年、タイで起こったクーデター騒ぎの時にも、"危険度2"「渡航の是非を検討してください。」が1日だけ出ていましたが、慎重な対応を取ることが多い日本の旅行会社もその多くはツアーの催行を実施していたようで。企業も旅行会社も個人旅行者もケースバイケースで動く。
 でも、"危険度3"が出たらまた異なる"判断"が出てくるはずです。

学生さんが誘拐された後に危険度を上げて退避勧告しても遅すぎる

 ところが、今回の場合、外務省は遅かった。

  • 送信日時:2007/08/24 シスターン・バルチスタン州及びケルマン州:「渡航の是非を検討してください。」(継続)
  • 送信日時:2007/10/11 シスターン・バルチスタン州及びケルマン州:「渡航の延期をお勧めします。」(引き上げ)
  • 送信日時:2007/10/16 シスターン・バルチスタン州及びケルマン州:「 退避を勧告 します。渡航は延期してください。」(引き上げ)

 誘拐された事実が報道された10月10日の翌日になって、慌てて"危険度3"「渡航の延期をお勧めします。」と更新して、そして10/16には"危険度4"「退避を勧告します渡航は延期してください。」に引き上げています。イラクアフガニスタンと同様の最高ランクになったのです。その理由は、共同通信によると、

 外務省は16日、イラン南東部への渡航情報の危険度をさらに引き上げ、退避勧告を出した。  外務省領事局によると、中村さんが誘拐されたとみられるイラン南東部のシスタンバルチスタン州とケルマン州に関する危険度を「渡航の延期を勧める」から最も緊急度の高い退避勧告とした。  両州の治安が依然として不安定な上、日本人が誘拐やテロの標的になる可能性があることから、外務省は事件を取材する記者などにも退避を強く勧めている。
誘拐事件で退避勧告 危険度さらに引き上げ共同通信2007年10月16日

というだったことらしい。実際、現地に日本の大手メディアも入って報道し始めているのでそれを食い止めたいと言うことを考えていたのでしょう。
 でも、これは過剰反応しすぎです。正直、日本人絡みの事件が起きてから、慌ててランクを引き上げても、日本人旅行者を危険から食い止めるという点では全く意味がありません。
 せめて、2007年8月にベルギー人夫妻が当地で誘拐されたという事件を受けて、政府が何か対応をしていれば彼の行動も変わったかもしれない。
 外務省のイランの危険情報を2002年から2008年まで時系列的に見ていくと、ベルギー人旅行者誘拐の報を受けて2007年8/24に改定されていることが分かります。ただ、その時点では誘拐されたという事実が本文に付け加えられただけで、危険度は「渡航の是非を検討してください。」のまま据え置かれているんですね。この時か、あるいはベルギー人が解放された9月の時点で、

  • 渡航情報の危険度を"2"から"3"へワンランク引き上げる
  • パキスタン日本大使館がイラン大使館に対して日本人旅行者へのビザ発給を止めるよう要請する

の2つの施策をとっていれば、事件を食い止められた"可能性"はあったかもしれない。9.11後に隣のイラクへ入った人たちとは明らかに違う。冒頭の笹川堯の発言は、彼か外務官僚かが意図的にミスリードしようとしているような感じがしてならない。
 今回も意味をなさなかった「海外安全ホームページ」についてはもう少し語りたかったのですが、それはまた別の話。

*1:旧王朝からの石油利権の絡みで、イラン人は革命後も1992年4月までビザなしで日本に渡航できた。だから日本に不法滞在してカネを稼ごうとした人たちが大量に押しかけてきたんですよ。今でも日本語を喋れるイラン人が現地にはたくさんいる

*2:異教徒の女性に対するセクハラ行為をする不届きなムスリムが少なくないのでその点では完全に安心して旅行できる国とは断言しにくいのですが

*3:そこらはイラン政府も承知していたようで、1999年頃からパキスタン国内のイラン大使館&領事館ではイランビザを取得できなくなりました。私のときは有効7日間のトランジットビザ(デリーで取得)で我慢するしかなかった。また、デリーやイスラマバードにある日本大使館も、パッカーたちがバキからイランへ陸路で渡ることに関して、ある程度、懸念はしていたようです。イラン大使館に対し、通称「レター」と言われる日本大使館の証明書を所持していない日本人にはツーリストビザを発給しないよう要請していました(現在も?)。ただ、時期や場所によって対応は刻々と変化しているようですが、08年5月現在、イスタンブールではレターなしでも1ヶ月のツーリストビザを取得することは可能らしい。