"中心"が存在しない日本の都市にコンパクトシティは似合わない。

katamachi2009-02-08

 というのが、以前、誰が何のために「限界集落」を守らなければならないのか? - とれいん工房の汽車旅12ヵ月で参考にしたid:Dr-Setonさんのエントリーを読んでの感想。
 彼によって最近書かれた「自滅する地方 自滅した浜松 その3 - Dr-Seton’s diary」と「自滅する地方 自滅した浜松 その2」を併せて読むと、

  • 「浜松は郊外型大規模小売店舗によって(katamachi注 中心市街地が?)食い尽くされた。」
  • 「郊外化は自治体の財政を圧迫するからだ。インフラ整備を行う面積が拡がればそれだけ必要な経費は増大」
  • 「大規模小売店舗が出店する事で“自治体全体”の固定資産税は減少」
  • 「このような浜松の状況は地元企業「スズキ」と無関係ではありません。」

というお話しである。
 日本の地方都市というのは60年代までは駅前や繁華街などの従来からの市街地を核とした都市構造を形成してきたが、その後、70年代後半から郊外化が進捗していき、90年代になると"中心市街地"の衰退が"課題"となってきた。
 その際、大規模店舗がしばしば"悪玉"として挙げられている。ネタ元にされている「大型店とまちづくり―規制進むアメリカ,模索する日本 (岩波新書 新赤版 (960))」に限らず、郊外へ大規模店舗が進出したことで中心市街地の商店街が疲弊したというのも、これまたあちこちで語られてきた。自動車もそんな"悪玉"の1つ。で、郊外化を食い止めるには何を規制しなければいけないか……という議論も出てくる。
 ここらの話は、都市を語る論者にとってはお馴染みの話題である。その点では特に違和感はない。
 大企業は地元に税金も雇用も収めないからメリットがない...というのは左派系の財政学者が"搾取"という視点で60年代から語ってきたことだった。昔お世話になった、ある岩波文化人のセンセイもその1人。共産党系の市議なんかは各地で同じようなことを繰り返し主張していたんじゃないかな。
 それが、80年代半ばから都市郊外での大規模店進出が相次ぎ、明らかに旧来からの商店街が閑散としてきた。それがあまりにも極端なことになってきて地元の商店主たちが騒ぎ出し、保守系の地方政治家たちもついに動き始めた。左と右が同一歩調で歩み出した。隔世の感がある。
 かくして、1998年に中心市街地活性化法が制定され、様々な施策が取られるようになった。
 日本におけるコンパクトシティ論もその延長線上にある。ヨーロッパから移入してきた施策特有のイメージ先行で分かりづらい側面もあるが、われらが「はてなキーワード」の

 都市の郊外化、スプロール化による諸問題への反省から、市街地を小規模の地域に集約しコミュニティを再生しようというまちづくりの思想。

というところを参考にしてもらおう。市街地をコンパクトに保つことで、歩いたり公共交通機関で行き来できる範囲を生活圏とし、住みやすいまちづくりを目指そう……というところか。

都市の"核"としての機能が失われた旧来の市街地に人々が帰ってくる保証はない

 id:Dr-Setonさんは、

 その処方箋は存在するのか。それがコンパクトシティだとして、それは

と指摘されるような強制性を伴うものになるのか。次回はその処方箋について述べてみます。

と論を締め括っている。これにはまだ続きがあるようだが、まちづくりに関しては「コンパクトシティ=処方箋」と
考えられているようだ。
 その理想は間違っていない。でも、舶来の施策に特有の違和感もあったりする。
 郊外農地の住宅化のスピードを抑えて下水道などの公共材の支出を抑制すれば、地方財政的には助かる。シャツター通りの続く商店街が変われば街は魅力的になるのかもしれない。それは確かだ。
 ただ、農地を持つ人、商店を持つ人。それぞれ抱えている事情がある。今の場当たり的な農業政策が続き、さらに様々な理由で跡継ぎが現れそうもない中で、都市郊外で農業を続けていくモチベーションがどこにあるのか。商業店主も同じような悩みを持っている。
 そして気の毒にも、かつての中心だったエリアの住居や商店には空きが目立ち始めた。この30年間、もっと効果的な施策を打ち出していれば何とかなつたのかもしれないが、様々な運動論が語られはしたものの、理想と現実とを調和した施策はなかなか見つからなかった。
 欧米のようなドライな施策を展開できなかった背景には、日本特有の賃貸借に対する考え方、借地借家法土地神話、後継者の不在……などがあるとは想像できる。実際、中心市街地を活性化させようと様々な人たちが運動していたが、その足を引っ張っていたのは当事者である商店主だったというのはあちこちで聞く話だ。また、地盤とする商店街などの商工業者たちに色目を使って保守系の地方議員がカネのバラマキを始めたのも話が混乱する原因となった。
 成功事例として紹介される街もある。
 たとえば滋賀県長浜市。「黒壁」という古い建物を核に商店街再生に"成功"した街としてよく語られる。だが、観光客が素通りする街と化したあそこの商店街から、地元客は消えた。そして商店主たちはみんなヨソの人たち。地元住民はクルマで大規模小売店へと足を運ぶ。研究者をしていた十数年前、長浜市で関係者たちにヒアリングしたとき、そのことを黒壁の責任者に質問したことがある。だが、「活性化すればそれでいいんです」という主旨以上の言葉はもらえなかった。東京資本で埋め尽くされた京都の町家なんかもそうだけど、それが本来の住民たちにとって"幸せ"なのかは疑問が残る。
 そもそも地方都市の中心から郊外へと人の流れが移住していったのは、大規模小売店舗立地法が廃止された2000年に始まったのではない。それ以前から、中心から周辺へ……という街の構造変化は起きている。市役所や警察署、病院、中学や高校などの公共施設も、旧来の市街地にあった施設が手狭になったこともあり、郊外への移転が次々と行われてきた。それは多くの都市においてこの数十年間進めてきたことである。
 中心市街地に近いところに住んでいた住民もそうだ。戦前もしくは高度成長以前からの手狭な住宅に満足する人は多くない。地価が安くて固定資産税が低くてもっと広いところへ住める郊外へと移転したくなる気持ち。分からないでもない。
 そんなわけで、「郊外化」は多くの関係者や市民にとって歓迎されるべき施策だった。"政策"として意識していた実施した自治体はそんなに多くはないと思うが、結果的にはそうなった。
 そして、現在、地方都市の郊外に住む人たちが、かつての中心市街地に対して何か思い入れがあるのか……というと甚だ疑問だ。
 なんでだろう。それは上に書いた。「市役所や警察署、病院、中学や高校などの公共施設も、旧来の市街地にあった施設が手狭になったこともあり、郊外への移転が次々と行われてきた」ことで、街の中心性は失われた。中心市街地活性化もコンパクトシティも理屈としては分からないわけではないが、現実問題、都市の"核"としての機能が失われたところに人々が帰ってくる保証はない。そこまで思い入れのある人は少ない。魅力あるコンパクトシティにするには、巨額の財政出動が必要だ。それを支持する市民はあまり多くないだろう。

日本の都市には"核"がない

 いや、ヨーロッパではLRT(21世紀型路面電車とでもしておこう)なんかが盛んで中心市街地が活性化されて……というご意見をおっしゃる方がいる。
 僕も世界のいろんな街を回ってきたんで、それは見聞きしている。昨年はイスタンブールブカレストとかソフィア、それに中近世の香りが残るシギショアラとかの古都も訪ねた。中心と郊外とがトラムやバスで結ばれて、昼も夜も旧市街地にはたくさん人が集まる。その賑わいは、日本の地方都市では見られないモノだ。それは中東などの都市でも同様だ。もちろん、これらの都市でも周縁部には大型スーパーマーケットはたくさんあるのだが、一方で街の中心にも人はそれなりに集まってくる。
 何で彼我は違うのか。それは都市経済の研究をやっていた90年代からズーッと僕には疑問だった。
 それが何となく分かったのは、研究室を離れてから。ある日、気付いた。ああ、中心市街地に対する思い入れが日本人とは違うなあ……と。
 ヨーロッパの都市の玄関口となる鉄道駅を降りると、僕はそのまま"旧市街"の"中心"へ向かう。
 街のセンターは一目瞭然である。かつて城塞で囲まれていただろう旧市街というのが地図の中でも明確に区分されていて、そこにはちょっとした広場があり、教会があり、市庁舎があり、バーやレストランが集まる飲み屋街もある。そして日曜日の朝にもなると、祈りを捧げる人で旧市街は静まりかえる。オフィスビルやスーパーもある新市街も整備されて拡張しているが、旧市街にも、そうした市民生活にとっての核となる施設が今でも残っている。そこに住む人たちも、郊外に移住した人も、そこにある歴史性を大切にしている。中心市街地にいることに誇りを持っている。だから、今でも都市の"核"が残るのだ。
 それは中東なんかでも同じだ。金曜日の夜のモスク。そこで祈る人々。彼らを商売にする人。彼らが街というものを大切にしてきたからこそ、"中心"というものが今でも存在する。
 じゃあ、日本の地方都市に、そこまで"思い入れ"を持たれている中心市街地があるのか。寺社仏閣の集客力が皆無なのは言うまでもない。ましてや、公共施設自体が次々と郊外に去ってしまった今では、"思い入れ"どころか用事のある人さえ少なくなったであろう。わざわざ郊外と旧来の商店街や駅の間にLRTを敷いても、乗車する人はいない。
 そんな"核"を持たない都市にコンパクトシティという舶来の概念を持ってきても、現実社会と、そして人々の観念の上でも、合致していかない。なぜなら、そこには中心市街地なるものが存在していないからだ。考え方としてコンパクトシティというアイデアは評価できるとしても、「市民が支持する→政策に反映される」とはちょっと考えにくい。
 スプロール的に郊外農地が住宅に転化されてしまっている現在、どこを中心地として設定するのか、どうやって市街地を縮小していくのか、答えが出ない問題である。昨今、コミュニティーバスとか言って交通弱者にも便利なように公共交通機関を整備しようという動きがある。これは「平成の大合併」で中心性を失った地域の救済的側面もあったのだけど、ルートを策定するとき、担当者はいつも難渋するという。人々の日々の動きがバラパラになってしまい、最適な路線を設定することができない。どうやっても利用者は少ないし、利便性を享受できない市民からは不満が出る、という。これも、地方都市に"核"が存在していないが故のことだろう。
 中心市街活性化でもコンパクトシティでも何でもいいんだけど、じゃあ、郊外に住んでいてはダメなのかね。そもそも、いろいろ面倒くさい中心市街地から離れて郊外に住みたいと思ったのは自分たちなんだけどね。
 コンパクトシティみたいな街ができれば素晴らしい。でも、大規模小売店舗やクルマ社会を悪玉とし、「べき論」で語られても困惑する。いや、現状ではたくさん問題があるんだと言われても、「お説ごもっとも、スミマセン」としか言えない。だって、僕たちはそんな"郊外"に住んでいるのだから。それを"自滅する地方"として扱われてしまうのは、なんだか解せないモノがある。過激なタイトルの方がいいというのは分かるけどさ。老朽木造住宅が密集する市街地での区画整理などの現場を見てきたんで、語り口が冷ややかになるのは申し訳ないんだけど。
 そもそも、施策の担い手である市役所の職員が郊外に住み、クルマで通勤しているようなところがほとんどなのに、コンパクトシティなんかできるはずないよと思ったりもするのだけど、それはまた別の話。

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"中心"が空洞になっている東京。都市機能の多核化を図った地方都市。 - とれいん工房の汽車旅12ヵ月